14-2

 ――その日の深夜。


 静寂に包まれた、とある建物内。この時間、誰もいないはずのフロアの一室のドアの隙間から、不自然な明かりが漏れていた。それは、建物の備え付けの蛍光灯ではない、オレンジ色がかった暖かみのある白熱電球の光だった。


 そんな怪しげな光が漏れるドアを開けて、誰かが室内へと入っていった。


「ふぁ~あ……。ったく、こんな時間に呼びつけるなんて、いったいどんな用事ですかい?」


 眠たそうな半開きの目で大あくびをしながら、男は暗闇の中から現れる。いつも見かける飾り気のない灰色の作業着姿で、深夜の三時に呼び出された男の表情は不満そうだった。

 男を呼び出した人物は他でもない、マルクだ。


「……話がある」


「それなら、俺っちだけじゃなくて、ほかのメンバーにも聞かせてやったほうがいいんじゃないすか?」


「察してくれ。他人に聞かれたくないから、わざわざこうして呼び出しているんだ」


 マルクの意図を理解できず、男は首を傾げる。だが、しばらくすると例のにやけ顔を浮かべ始めた。

 出会った時から、マルクは男が時々浮かべるこの笑みが気にいらなかった。愛想笑いのつもりかもしれないが、腹の底でいったい何を考えているのか全く読み取れず、ただただ不気味だ。だからこそ、本当に信頼するに値する人物なのか確かめる必要がある。


「へぇ、そりゃあなんとも光栄なことで、うれしい限りっすね。それで、この俺っちにしか聞かせたくない話ってのは何なんすか?」


「例の作戦なんだが、仕掛しかかる前にをしておきたい」


「掃除? なんか綺麗にしたいものでもあるんすか?」


「綺麗にしたいのは、この組織のことだ。この前の大規模な作戦で、俺たちは世界中で名を馳せるテロ組織になった。当然、組織内には警察か幻災対策庁の内通者が紛れ込んでいるはずだ。多少の情報はコントロールできるが、極秘事項を流出させられたら、目も当てられない。だからこそ、今のうちに疑わしい奴らを炙り出しておいたほうがいいだろう」


 マルクの説明を聞いても、男は表情一つ崩さない。自分と同じか、少し年下のように見えるこの男は、マルクの言うことを当然だとばかりに堂々と聞いていた。


「確かに、あんたの言うことは正しいっすよ。事実、それらしき噂は俺っちの耳にも入る。で、なんでその話を俺っちだけに言うんすか? それこそ、あんたの相棒にも聞かせておいたほうがいいんじゃないっすか」


 にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべながら、男はマルクに問う。だが、マルクも引くわけにはいかなかった。


「セシルを見ていてわかるはずだ。彼女は内通者を特定するための情報操作や駆け引きが苦手だってことを。それに、あくまで彼女は戦闘員。内通者の始末は任せるが、特定するための頭脳労働には力不足だ」


 自身の見解を聞いた男の表情が一瞬だけ真顔に戻ったのをマルクは見逃さなかった。男の表情を崩すことができて、マルクは心の中で少しだけ勝ち誇る。


「なるほど、ちゃんと適材適所を見極めてるってことっすか。わかりました、あんたの言うことに従いますよ。……って言いたいとこなんすけど、俺っちだけで勝手に動くわけにはいかない。〝上〟にお伺いを立てないといけないんでね」


 そう言ってから、男はまたしてもにやりと笑う。


(この男……、やはりただのいち工作員じゃない。だが、敵か味方かと言われれば、まだ味方寄りだろう。とはいえ、そう簡単に気を許していい相手でもない)


 静かに、そして淡々と、マルクは目の前の名も知らぬ男を分析する。


「なら、早く上司に聞いてくれ。あまり時間はないんだ」


「了解っす。そんじゃ、俺っちは持ち場に戻らさせてもらいますよ」


 軽快な返事とともに、男はくるりとマルクに背中を向けて部屋から出ていくと、再び暗闇の中へと姿を溶け込ませていった。その様子を、マルクは黙ってただ見つめていた。

 男の気配が完全に消え去ったことを見届けてから、マルクも自分の居室に戻ろうと思った時だった。


「やだねぇ、男だけでこそこそ話なんかして。水臭せえじゃねえか、アタシも混ぜてくれよ」


「なっ!? いつからいたんだ?」


 男と入れ替わりになるようにして、セシルが部屋の中へと踏み入ってきた。彼女がすぐ近くにいるなど、微塵も思ってなかったマルクは狼狽えた。


「さあ、いつからいたんだか」


 挑発するように、セシルはマルクの問いに答える。それが、自分をこの場から省いたことに対する意趣返しであることは明らかだった。

 それでも、あえてマルクがここにセシルを呼ばない理由はあった。だが、それを彼女に説明するわけにもいかない。


「……………………」


 どう話を切り出せばいいのか分からず、マルクはしばらくの間黙っていた。

 そして、対峙するセシルも沈黙したままだ。おかしなことに、こんな夜中でも、セシルは相変わらずサングラスをしている。思えば、初めて会ってから、マルクは一度も彼女の素顔をちゃんと見たことがなかった。

 目の前のセシルが今どんな表情で自分を見ているのか、マルクは窺い知ることができない。


「……あのな、アメリカでのアタシの〝大失態〟を気にするのは当然のことだと思うぜ」


 マルクの胸中を見透かしたとばかりに、セシルは言う。


「どうして、あんたはそう思うんだ?」


 否定はしない。だが、それがマルクの理由の全てではなかった。


「だってさ、お前がアタシの話を聞いていた時、何となく不安そうな表情を浮かべていたからな。そういうところはまだまだ子供だな。心配するな、アタシはそう簡単に仲間を見捨てて、逃げたりはしない」


 ふう、とマルクは大きなため息をつく。

 どうやら、セシルは先ほどの話にそれほど腹を立てていないようだ。今、彼女と仲違いをしてしまったら、この後の作戦行動に支障をきたす。それだけは避けたかった。


「やれやれ、あんたの野性的な直感には恐れ入るよ」


 肩をすくませながら、マルクはつぶやいた。


「なんか釈然としないけど、それは褒めてるってことでいいんだよな?」


 腰に手を当てながら、セシルは微笑んでいた。

 そんな彼女の笑みにつられるようにして、マルクも自然と顔をほころばせる。


「もちろんだ。この作戦は、あんた抜きじゃ絶対に成立しない」


「そうか、そうか。このアタシがいないと困るってわけか。なら、やりがいがあるってもんだ。でもその前に、アタシたちの周りを飛び回る害虫の駆除が先か。まあいい、ウォーミングアップにしては、少々物足りないがな」


「この作戦が成功すれば、この国の幻災に対する自衛力は弱まる。そうすれば、治安の不安定化は間違いない。そうした状況の中で、俺たちは前回失敗した〝白狼〟ミリーナの暗殺を成功させるんだ」


 日本に行き、この作戦を遂行すると決めた時の決心を、もう一度確かめるように、マルクは右手を握りしめる。


「まあ、そんなに気張るなよ。あんまり思いつめるのは体に毒だぜ」


「そうかもしれないな……。なあ、あんたは何がしたくて死せる戦士たちエインヘリャルの楽園に入ろうと思ったんだ?」


 何の脈絡もないマルクの突然の質問に、セシルはぽかんとしていた。


「おいおい、いきなりどうした?」


「いや、なんでもない。忘れてくれ」


 真顔になったマルクは、顔を背けるようにセシルに背中を向ける。


「そう言われると逆に気になるじゃねえか。だいたいな、そういうことを聞くならまず先に自分から言えってんだ」


「今はよしておこう。……だだ、あんたになら、いつか俺が戦う理由わけを話す時がくるかもしれない。ま、そん時はあんたのことも話してもらうからな」


「いいだろう。だがな、アタシのは聞いても大して面白くないぞ」


 マルクは何も言わなかった。そうして、ふたりの会話はそこで終わってしまった。


 そうして、夜は更けていく――。


     ××


「ふぃー、あっちいな」


 例の男は、誰もいないビルの屋上にいた。水蒸気をたっぷりと含んだ、肌にまとわりつくような熱帯夜にうんざりとした表情で、噴き出す汗を手であおいで涼んでいた。ひとしきり仰いだ後、男は携帯電話を取り出すと、どこかに電話をかけ始める。


「ああ、もしもし? 俺っちです。すいませんねぇ、こんな時間に電話しちゃって」


『毎度のことだ、気にせんよ。それで、私に何の用かね?』


 電話のスピーカーからは、低くしわがれた男の声が聞こえる。それは明らかに、今電話をかけている本人よりもふたまわりくらい歳が離れた老齢の男の声だった。


「アメリカから来た二人のことなんすけど、男のほうが俺っちに仕事を頼んできましてね。それが、組織に潜んでるスパイの始末をしたいということでして」


『ふむ、アメリカの事例もあるし、彼なりに不安要素を取り除きたいということなんじゃないかな』


「それはいいんですけど、どうします? あいつらに、俺っちの持ってる情報をどこまで教えていいもんすかね」


『すべてを教える必要はない。だが、はるばる海を越えてやってきたのだ。全く協力しないというのも悪かろう。ひとりかふたり、特定することのできるヒント程度は提供してやれ。それで結果を出せるか、お手並み拝見といこうか』


「もし、何もできなかったら?」


 電話の向こうから、軽く笑う声が聞こえる。


『それくらいのこともできないようじゃ、この先の大事な作戦の指揮を任せるわけにはいかないな。そしたら、彼らは近いうちににでも遭うんじゃないか?』


「おいおい、後始末をするこっちの身にもなってくださいよ」


『ははは、そうなるかどうかは彼ら次第だ。それにこれは、一種の試練だ。それを乗り越えられるかどうか、我々は彼らを試しているんだよ』


 年配の男の言う意味に賛同しかねた男は、渋い表情を浮かべていた。


「ひとつ聞いてもいいすか? なんで今回の作戦のために、あの二人を呼んだんですか? 確かに男のほうは頭はよく切れる。んでも、もう一方のイケてる女のほうは、そうでもなさそうだ。それなのに、わざわざ呼んでまで指揮を任せる理由が知りたいっすね」


 男の質問に、電話の向こう側からすぐに返事は返ってこなかった。答えられなければそれでもいい。男がそう思っていた時だった。


『そう思うのも無理はないがね。君の見立て通り、マルク・ウィンザーは明晰な頭脳をもってしてヨーロッパ戦線では成功を収めている。だがね、私が本当に期待しているのは彼ではなく、君の評価がかんばしくないセシルのほうだ』


「ほう、それはまたなぜです?」


『人生、頭の中で思い描いた通りにはいかないものだ。それゆえ、人の持つ能力が真に発揮されるのは、予期せぬ危機が迫ったときだと私は思っている。……マルクの経歴を見たが、そういった生と死が間近に迫るような体験をしてこなかった。しかし、セシルは違う。あの〝幽霊騎兵たちゴースト・キャバルリーズ〟の襲撃を受けて、生還した唯一の人物だ』


「へえ。じゃあ、あの噂は本当だったんすか」


『ああ、信頼している情報筋からだから間違いない。目撃者も残さず殲滅をモットーとする奴らから生き残るには、並外れた精神力、決断力、行動力を持ち合わせていなければならない。そして、彼女はそれらの高い能力を持っていと自ら証明してみせたのだ。だからこそ、私は彼女に秘められた能力の真髄が見たいのだ』


「でも、それってただ運だよかっただけじゃないんすか?」


『これは試練だと最初に言ったろう。この作戦で、彼らには死力を尽くしてもらわなければならい。君も見てみたいだろう、彼らの実力を』


「うーん……俺っちとしては、早いとこ面倒事を終わらせて遊びたいんすけどね」


 男の不真面目なぼやきに、電話の向こうの老齢の男はため息を漏らしていた。


『まったく、君という奴は……。まあ、そう長くはかからないはずだから、引き続き彼らのサポートとをお願いするよ』


「了解っす」


 そう言ってから男は電話を切ると、携帯電話をポケットの中にしまう。


「たかがとある施設の破壊工作に、そんな苦労するもんかね? まっ、俺っちははたから見ているだけだから、そんな困ることはないか」


 そう呟いてから、男はゆっくりと両手を頭の後ろに組むと、いつもの何を考えているのか分からない怪しげな笑みを浮かべていた。


「さてと、俺っちを退屈させるんじゃねえぞ。お二人さんよっ!」


 気がつけば、東の空がうっすらと白み始めていた。

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黒鉄のファンタジスタ〜ヒーロー不適格者の英雄譚〜 出島 創生 @sajinext

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