10-6

 午後六時五十九分五十秒。


 港区六本木の上空。白い影がひとつ、空をものすごい勢いで駆け抜けていく。


(くっ……片翼を失わなければ、余裕で間に合っていたはずなのに!)


 妖精ミリーナは、己の身の上を嘆く。だが、嘆いたところで、速度が変わるはずなどない。そんなミリーナの視線は常に一点に向けられていた。彼女の視線の先、そこには虎ノ門上空に優雅に浮かぶ飛行船の姿があった。


(あの飛行船から、とんでもない量の幻想子ファンタジウムの存在を感じる。きっとあの中に、新型の兵器があるのでしょう。なんとしても、起動を止めないと。でも……、間に合わない!)


 それは、彼女にとって誤算だった。この手で姉を葬ったときに負わされた傷で、全盛期の半分以下のスピードしか出せなかった。そして今のままだと、ほんの少しだけ、力の届く範囲の外で装置は起動するだろう。


(志帆、あなたとの約束――)


 装置起動、五秒前。


 ミリーナは手をまっすぐ前に伸ばす。すると、彼女の手の中に、真っ白な剣が突然現れた。それは少しでも力を届かせようとする、彼女の最後のあがきだった。


 四、三、……


(ごめんなさい、守れそうにないわ……)


 失望が、ミリーナの心に広がる。彼女の胸の中は、松本志帆と交わした約束を果たせぬ、謝罪の気持ちでいっぱいだった。

 自責の念から、ミリーナは瞼を閉じる。人間を救えぬ悲しみを、彼女は経験する。それは、かつて敵として戦った相手に抱く感情としては、はじめてのものだった。


 二、一、……


 飛行船の底部のゴンドラから、黒い大きな球体が落とされる。それが何かなど、言うまでもない。

 幻想子が詰まった装置は、頭を残して、ほとんど沈んでしまった太陽の光を反射させる。そして、埋め込まれた時限装置のカウンターはゼロを刻む寸前だった。


 この国の終わる瞬間が、ついにやってくる。


 ゼロ、起動。


 球体の装置が、あらんばかりの虹色に輝き始める。圧縮された高純度の幻想子が、装置のあちこちに取り付けられた開放弁から出ようとするために生じた光だった。


 太陽に変わり、地上を照らす虹色の光は、破滅をもたらすあやかしの光。それは、時代の変化を象徴するにふさわしいものだった。

 

(何か……、近づいてくるっ!?) 


 ミリーナが感じ取った矢先。

 東の空から真っ赤に燃え上がる別の光が、光の速度に迫るばかりの勢いで、虹色の光へと衝突する。

 大きな轟音と、衝撃波が、夕闇に覆われていく東京に降り注ぐ。突然の出来事に、ミリーナは思わず飛行を止めた。

 すると、謎の赤い光の輝きは失われ、本来の姿に戻っていく。露わになったその正体を、ミリーナが知らないはずもなかった。


「あれは、姉様のグラン・ゲミュール!? いったいどうして??」


 それは、忘れもしない双子の姉、オフィーリアの武器。五年前のあの日、姉はあの槍とともに、海へと墜落していった。

 愕然とするミリーナの目の前で、装置に突き刺さる紅の槍は、それ自身が持つ力を解き放つ。

 だが、次の瞬間、球体の装置はばっかりと真っ二つに割れた。そして、内部に閉じ込められていた幻想子が爆ぜるように、溢れ出す。空中に舞う大量の幻想子は、吹きすさぶ風に乗りながら、ゆっくりと地面に向けて沈下していく。


 アタルや美幸、そして、ミリーナが必死になって食い止めようとしていた装置の起動の阻止は叶わなかった。これから、大量の幻想子が降り注ぐ空の下で、今までにな

いほどの大量の幻人が誕生するだろう。たった一夜、いや、数時間もしないうちに、日本国内の幻闘士ファンタジスタを上回る数の幻人たちに東京は破壊される。……すべて終わりだ。

 

 ――まだ、終わりはしない。

 グラン・ゲミュールの特性は、。その槍で突かれた物質は、何であろうとその性質を無効化し、構成する物質ごとに分解、そして還元する。よって、装置の中に貯めこまれた幻想子は、その力を失った残骸になり果てた。破壊の力を司るオフィーリアの力でも、特に強力な力だった。


 そして、アタルの放った〝魔弾〟は、確かにその力を発揮した。その証拠に、装置から吹き出した幻想子は、虹色の輝きを放っていない。真っ白な灰のように、そして、目に見えない細かい粒子などではなく、小さな塊となってひらひらと宙を舞っていた。

 それは、六月という夏の入りかけの時期に、まるで〝雪〟が降っているかのようだった。


 目の前で起きる出来事を、ミリーナは唖然としながら見ていることしかできなかった。ふと、彼女は我に返る。次に彼女が浮かべた表情は、驚愕や、憎悪ではなかった。愛しさと、笑みに満ちた、恍惚こうこつとした表情だった。


「ああ、姉様……やはり、生きていたのですね。私はとてもうれしいです。だってまた、


     ××


 神代アタルは、はるか遠く東京湾をはさんだ向こう側から、その様子を見つめていた。やがて、真っ暗な夜を迎えつつある空の下で、地面にばったりと大の字になって倒れ込む。放心状態になりながら、雲の流れていくさまを、ただ眺めていた。


『通信障害が回復しました! 美幸様から着信なのです』


「繋いでくれ」


『了解なのです』


 すべてをやり切ったアタルは、気だるげに答えた。やがて、ヘッドセット越しにから美幸の声が聞こえる。つい五分前に話していた相手だが、数年ぶりに話すかのような感慨が胸の奥底からこみ上げてくるようだった。


『アタル君、どうやら私たち……助かったみたい』


 気が抜けたような美幸の声がする。その声音こわねから、美幸の無事を悟ったアタルは、安堵の大きなため息をついた。


「それは……本当かい……?」


『うん、今のところ、大きな幻想子反応や幻災警報は出ていないの。いま、ニュース見れる?』


 美幸に言われて、アタルは携帯端末を取り出した。そして、適当なニュースサイトを開くと、虎ノ門付近の定点カメラの映像が映し出される。

 映像には、誰もいない無人の街と、真っ白い雪のような物質がしんしんと降る様子が映っている。そして、今のところ幻獣や、幻人が現れたという通報はないというテロップも表示されていた。


「これは、どういうことだ……?」


『どうやら、装置は確かに東京の上空で起動したみたい。でも、その寸前に妖精ミリーナがって情報がSNSで流れてる』


「ミリーナだって!?」


 予想外の答えに、アタルは飛び起きる。よりにもよって、グラン・ゲミュールを一番見られたくない相手に見られてしまった。きっとミリーナは、オフィーリアがまだ生きていると思うに違いない。そうなれば、絶対に彼女は、真相を突き止めようとするだろう。


『幻災対策庁の上空にいる彼女を撮った画像が拡散してる。私も見てみたけど、真偽は別として、確かに白い羽をもった何かが映ってた』


「………………………………」


 アタルは懸念する。だが、今はもうどうでもよかった。


(皆を救えたのだから、今はそれでいいじゃないか。悩むのは、また明日でもいいか……)


『アタル君?』


「……いや、まさか妖精が人間を助けるなんて思いもしなかったよ。ところで、ミリーナ以外でそっちに何か変わったことは起こってないか?」


『幻想子の被害はないけど、もう世間は大騒ぎだよ。相変わらず情報は錯綜してるし、交通機関も大混乱。しばらく学校も休みになりそうだね』


「ははっ、それはよかった。明日も学校サボろうかと思ってたところだったし、出席日数が減らずに済むよ」


 不謹慎だと思いつつも、学校が休みになったことをアタルは素直に喜ぶ。サボりを決め込んでいたものの、向こうから休みになってくれるのは願ったりかなったりだ。


『もう、学校をサボるのもほどほどにね。……そうだ、アタル君。気になることが一つだけあるんだけど』


「なんだい?」


『ニュースで見たと思うけど、いま、虎ノ門付近には雪のような白い物質が降ってるんだけど……』


「ああ。六月という時期を考えると、なかなか幻想的な景色だったね」


『それが、どうも雪じゃないみたい』


「そりゃあそうだ。こんな暖かい気温じゃ、雪なんか降るわけない」


『そうじゃなくて、空から降ってきているのは、なんかの植物の花弁みたい』


「え?」


 美幸の報告を聞いたアタルの頭の中に、とうに忘れかけていた二つのキーワードがつながる。

 それは、。数日前、死せる戦士たちエインヘリャルの楽園が管理していた川崎の倉庫にアタルは忍び込もうとしていた。結局中には入れなかったが、先に侵入していたレイラが言うには、幻想子でできた花が保管されていたらしい。これは、何かの偶然だろうか。


「もしかして、純度が高い幻想子の〝原料〟って……」


『私も、アタル君と同じことを考えてる』


 調べることがまた増えたなと、アタルは思った。まさか、あまり信じていなかったレイラの証言が、巡り巡って、最後に登場しようとは思いもしなかった。


「分かった。でも、行動するのは明日からだ。もう何かする余力は僕に残されないよ。服部、悪いけど、無人タクシーを呼んでくれないか?」


『いいけど、ケガはしてない?』


 アタルは自分の体を確かめる。本当は、生死にかかわる大けがを新島に負わされもしたが、元通りに治っているため、特に問題はなかった。むしろ、身体じゃない部分で問題が生じている。


「いや、まったく無傷なんだけど……着ている服が大惨事なんだ。このまま歩いて帰ったら、間違いなく不審者として警察に職質されそうだよ」


 アタルの着ている服はボロボロで、見るも無残な状態だった。着ていたシャツとジャケットには、大きな真ん丸の穴が空き、あちこちがビリビリに破けている。ファッションと呼ぶには、数百年先のセンスを先取りした先進的なデザインだ。多分、誰にも理解できない。


『ケガしてないならよかった。タクシーは今から手配するけど、交通が大混乱しているから、帰るのに時間がかかりそうだけど、それでも大丈夫?』


「問題ない。正直、もう死にそうなくらい疲れてるんだ。何時間かかろうが、車の中でずっと寝てるから大丈夫さ」


『了解、それじゃあ待ってて」


「ありがとう。それじゃあ、無事に家に着いたらまた連絡するよ」


『うん。今日のところは、本当にお疲れさまでした』


「じゃあ、またあとで」


 美幸との通話はそこで一旦途切れる。後はこの場所にタクシーが来るのを待つだけだった。アタルが、再び地面に倒れ込もうとした時だった。


 オレンジ色の閃光が処分場を照らしたかと思えば、遅れて爆発音が鳴り響く。


「今度はなんだっ!?」


 すぐに、何が起こったのか把握する。それは、幻想子の詰まった装置を投下した飛行船が、東京湾の直上で自爆したものによるものだった。派手な打ち上げ花火のように、何度も爆発音を轟かせながら、飛行船は細切れになって海へと落下していく。

 少しでも証拠を隠滅するためのものであることは、一目瞭然だった。


死せる戦士たちエインヘリャルの楽園。……恐ろしく徹底した連中だな」


 自分を襲い、仲間に加えようとしてきたテロ組織は計算高く、冷酷な無法者の集まりであった。アタルはそのことを、あらためて思い知らされた。


(次はいったい、何をしてくるんだ――?)


 天幻戦争から二十年が経過した今、世界は再び同じ人類同士の戦いに引き戻されようとしていた。


     ××


 無人タクシーの車内。

 渋滞する高速道路の中をゆっくりと走る車の中は、オレンジ色の照明で満たされていた。その後部座席で、神代アタルは、その日に起こった出来事の疲れから、泥のように眠っていた。自動運転の無人タクシー車内には、当然アタルしか乗っていない。だが、眠る彼の隣の座席には、いつの間にかもう一人、乗客が座っていた。


「……まったく、無邪気な顔をして眠っているな」


 アタルの寝顔を見ながら、長い黒髪を持った少女はつぶやいた。そう言いながらも、彼女がアタルに向ける視線は、柔らかく、優しさに満ちていた。


「あの日から、ずっとそばでみてきたが、今日ほどお前の成長ぶりに驚かされたことはなかった。よく……頑張ったな」


 妖精オフィーリアは、とても満足そうな表情をしていた。そして、右手を伸ばすと、眠ったままのアタルの頭をゆっくりと撫でる。だが、そうしたところで彼女は少し俯いた。


「私は……お前に嘘をついている」


 ぽつりと、オフィーリアはつぶやいた。


「……実はまだ、私は死んでいない。あの日、私は本当に死ぬ覚悟で、お前を救いにかかった。だが、意識が消えかるまで力を注ぎ込む中で、私はお前に拒絶された」


 そこまで言ったところで、彼女は大きく息をついた。そして、過去を懐かしむかのように車窓から遠くを見つめていた。


「覚えていないだろうが、お前は私に『君まで死ぬ必要はない』と言った。まさか、今にも逝ってしまいそうな奴に、気を遣われるなど思いもしなくて、私は笑ったよ。だが、そのおかげでこうして生きながらえている。かつての妖精としての力は失ったが、お前が強くなっていく姿を見守ることが、今の私の生きがいだ。……ありがとう」


 オフィーリアは、アタルの顔へと身を乗り出すと、彼の頬へ唇を押し当てる。だが、寝ているままのアタルは何も反応などしない。やがて、おかしいとばかりにオフィーリアは、うれしそうな表情で座席に座ると、再び車窓から外の景色を眺めた。少しづつ、彼らの乗る車は、光があふれる大都市に向かっている。


「まったく、英雄の凱旋にしては、何とも寂しいものだな。まあ、お前のことだ。多くの人間から賞賛など、受けたがらないだろう。だが、この場にいる者はみな、お前に賛辞を贈るはずだ。そうだろう……エルバザルド?」


 オフィーリアは、無人タクシーの助手席に立てかけられたライフルケースに視線を送る。中には、エルバザルドの生体情報が組み込まれた、爆刃剣ニーズヘッグが入っている。


「まさか、お前にとは、思いもしなかったぞ」


 一瞬だけ、車内の空気が震える。それが、オフィーリアの言葉に反応したものか、道路の継ぎ目を通り過ぎた振動によるものなのかは分からない。


 ……かくして、首都を狙った未曽有みぞうのテロは、ひっそりと現れた〝英雄ヒーロー〟によって失敗に終わった。だが、当のヒーロー本人にその自覚はない。なぜなら、彼は目立つことを嫌い、空気のように生きることを望んでいるのだから。

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