10-5

『飛行船?』


 アタルの言った意味が分からず、美幸は聞き返す。


「説明はあとだ! とにかく、空にいる飛行船を飛ばしている会社を調べるんだ!」


『わ、分かった。すぐに調べるね』


 アタルの必死さに押され、美幸はすぐに飛行船について調べ始める。

 すぐに、飛行船におかしな点をいくつか美幸は見つけた。まず、飛行船自体は国内にある会社が所有しているが、問題は、借りた会社の素性だった。

 香港ホンコンに本社がある日本の現地法人と登記がなされているが、本社の住所にはマンションが建っており、存在しない架空の会社だ。それに、飛行船を借りた金額が相場の倍以上。おまけに、飛行船をうごかしているのは、借りた側が用意した操縦士ということになっている。他にも怪しい点が次々と出てくるが、いちいち追っていてはキリがない。

 ただひとつ言えるのは、あの飛行船は〝クロ〟だ。


『すごい! アタル君の言う通り。あの飛行船は、存在しない架空の会社が操縦していることになってる。だとしたら、間違いない。あの中には、幻想子が詰まった装置が積み込まれてるはずだよ。……でも、どうして空から幻想子ファンタジウムを?』


「幻想子の性質さ。空気中に漂うといっても、質量はあるんだ。ゆっくりと時間をかけて、それらは地面に落ちていく。 服部、いま東京上空に吹いている風の向きは?」


『南東から北西に向けて、微風が吹いてる』


「やっぱりな。建物に仕掛けるよりも、風に乗せたほうが、より広い範囲に幻想子は拡散する。そしたら、被害は倍じゃ済まなくなる」


『そんな……』


 アタルの推理を聞いて、キーボードに置いていた美幸の手は震えていた。アタルも美幸が怖がっているのを察知した。だが、事態は急を要する。勇気づけている余裕などない。


「まだ終わったわけじゃない、しっかりするんだ! 今ならまだ間に合う。服部、このまま飛行船が進んだらどうなる?」


『推測だけど、飛行船の速度からして、装置は港区虎ノ門の上空あたりで落下させて起動させるのかもしれない』


「ちっ、狙いは幻災対策庁か……」


 それは、アタルにとって最悪の標的だった。虎ノ門の幻災対策庁には、アタルの兄、神代キザシが勤めている。しかも、それだけではない。そのすぐそばには、幻想子専門の病院が併設されている。そこには言わずもがな、昼間に幻獣と戦い、幻惑状態に陥ったレイラ・グローフリートが搬送されて治療を受けている。

 そんな場所に、幻想子をばらまかれたらどうなるかなど、考えたくもなかった。


「ハッキングだ! 今すぐ飛行船の進路を変えるんだ。なんなら、東京湾に墜落させてもいい。何としてでも、幻想子を上空に撒かれるのだけは阻止するんだ!!」


『いま、やってるよ!』


 飛行船の制御システムに、美幸はアクセスを試みていた。いくつものセキュリティを突破しながら、システムに抜け穴がないか探っていた。

 その間、アタルは美幸を信じて待っているしかなかった。そして、現在時刻を確認する。――午後六時五十二分。

 アタルたちに残された時間は、すでに十分を切っていた。


(頼む……間に合ってくれ…………)


 空に浮かぶ飛行船から目を外すことなく、アタルは美幸からの朗報を待っていた。


『アタル君』


「システムに侵入できたかい!?」


『……ダメ、みたい…………………………』


 悔しさをにじませながら、今にも崩れ落ちそうな美幸の声が聞こえた。


「え――――――――――」


 頭の中が、真っ白になる。


『ごめんね……。飛行船の……システムに入ろうとしたんだけど……ネットワークからの干渉を受けないようになってて、もう誰にも……止めらない……』


 そこまで言ったところで、たまらず美幸は泣きだす。自分に何もできない無力さと、これから起こる大災害への恐怖に、耐えることができなかった。


「今すぐそこから逃げるんだ!!」


『もう、無理だよ……』


 気が付けば、がっくりとアタルは地面に膝をついていた。もう、残された手立てはない。何かをしようとする気力は、すでに尽きていた。


『ねえ、アタル君』


「服部?」


『もし……生きて、また会えたら…………また――――』


 ブツリ。美幸との通信が突然途切れた。


『現在、関東周辺で大規模な通信障害が発生しているのです』


 時刻は午後六時五十五分。それは、非常な宣告にも聞こえた。


「くそおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」


 アタルは、地面に拳を振り下ろしていた。そして、何度も、何度も地面を叩く。なぜか、痛みは感じなかった。たが、そんなことをしても、何も変わらないことはわかっていた。


「また、僕は失うのかっ!! みたいに、目の前で友達を、大事なものを……どうしてっ!!」


 嗚咽おえつを漏らしながら、アタルは叫んでいた。

 刺すような痛みが胸に広がる。それは、五年前、あの病室で味わった、もう二度と経験したくない痛みと同じもの。

 目の前で起ころうとしていることを知りながらも、何もできない自分を、ただただ呪うしかなかった。


 非力なアタルに残された選択肢は、二つ。

 すべてを捨てて、諦める。もしくは、誰かがなんとかしてくれるのを祈るだけ。そこに、自分で何かをするという選択は残されていない。


(こんな時こそ誰かが、そう……ヒーローがやってくるに違いない。きっと、そうだ)


 二番目の選択肢に、アタルはすがる。それは、他力本願の弱者の選択肢。

 誰かが何とかしてくれよう、たとえダメだったとしても、自分は悪くない。何もしなかった周りが悪いのだ。責任転嫁の思考に支配された、逃げの一手。


「何もできない。こんな、こんなに……僕は弱いのか……」


 自分の選択した弱さに、情けなさがこみ上げてくる。誰も救えず、ただ黙って見ていることしかできない悔しさに、胸は押しつぶされそうだった。

 ひざまずくようにして、うずくまるアタルは、地面を拳で叩き続けていた。拳の皮が裂けて、出血していても気にかけない。

 恐怖と絶望に、アタルの心が閉ざされようとしていた時だった。


『やれやれ……お前の魂は、もう錆びついたのか』


 どこかから、声が聞こえたような気がした。アタルは顔を上げて、あたりを見回す。だが、どれだけ探しても、声の主を見つけることはできない。


「オフィーリア……?」


 アタルは、我が身を救った妖精の名を呼ぶ。だが、返事はかえってこなった。追い込まれすぎて幻聴を聞いたのだろう、アタルは肩を落とし、瞼を閉じる。


『またそうやって、諦めるのか?』


 いや、幻聴じゃない。そうと分かったアタルは、立ち上がり、瓦礫の処分場の中に、オフィーリアの姿がないか探し始めた。


「どこだ、どこにいるんだ、オフィーリア!! 頼む、君の力が必要なんだ。みんなを救えるのは、君しかいなんだ!!」


 彼女の名前を呼びつつ、一心不乱にその姿を追い求めた。妖精の彼女なら、この状況を何とかできるかもしれない。そんな淡い希望に、アタルはしがみ付くしかなかった。


『無駄だ、私はどこにもいない。とうに死んでいるのだから』


 アタルの期待を、オフィーリアはぴしゃりと跳ねのける。


「じゃあどうして、君の声が聞こえるんだ!」


『……本当は、お前も分かっているはずだ。私という存在はどこにもいない。そして、今話しかけているのは、だということも』


 アタルは立ち止まる。

 オフィーリア、いや、自分の言う通りだ。

 心のどこかでわかっていた。あの日、死の瀬戸際にいたアタルを救おうとした彼女の瞳を、覚悟をみたとき、そこに明日はなかった。そこで、彼女の歩みは止まってしまったのだ。

 その代わり、と言っても、果たしてつり合うのかは分からないが、彼女のおかげで、アタルはこうして毎日生きている。

 だが、時たまアタルの前に現れ、時には叱り、ときには褒めてくれたオフィーリアは、すべて自分が作り出した幻想に過ぎなかった。それは、彼女を忘れまいとするアタルの心そのものだ。


「だったら、君が、僕自身というのなら……、なぜ、いま僕に話しかけるんだ?」


 アタルは、問う。このタイミングで、普段は現れない自分が出てきた真意を。


『なら、逆に問おう。お前がいま、一番欲しているのはなんだ? それが、答えだ』


「僕が欲しているもの……」


 心のおもむくまま、アタルは自分の望みを口にする。


「それは、〝力〟だ。僕から何も奪わせない、最上無二の力が、僕は欲しい」


『よく言った。やはり、素直が一番だ』


 自分が自分を褒めることに、ある種の気持ち悪さを覚えるが、ここは大目に見よう。


『……五年前、死にかけだったお前を救うため、〝狂精〟オフィーリアはその力のすべてを注ぎ込んだ。そのおかげで、今もお前はちゃんと生きている』


「ああ。彼女にはどれだけ感謝しても、足りないくらいだよ」


『ほんとにそうか? ……まあいい。そして、今となっては、彼女の力はお前の体の一部となった。だが、考えてみろ。主を失くし、制御不能となった力は必ず暴走するものだ。それなのに、そんなことは一度もなかった。なぜだと思う?』


 五年前の事件により、体の一部を失ったアタルは、オフィーリアの力によって生かされている。だが、天幻戦争で猛威を振るった彼女の力からすれば、幻想子で手足を補うことくらい造作もない。

 妖精の力は、人間の想像をはるかに超えている。実際、新島との戦いでアタル自身、その片鱗を見せていた。そんな危険な力を持っているはずなのに、いままで扱いに苦労したことはない。アタルは、その理由に気がついた。


「彼女の力を……、僕は正統に受け継いだからか」


『そこまで言えば、もうわかるだろう』


 己が求めるものを、すでにアタルは持っていた。そのことに気が付けなかったのは、それが必要になったことがなかったから。可能性は、はじめから手の中にあったのだ。


「やっと、すべてがわかった気がする。だったら教えてくれ、今この状況を打開するにふさわしい力を」


『ふん、お前も言うようになったな。だが、いいだろう。ならば、かつて、狂精オフィーリアが持っていた神速の槍〝グラン・ゲミュール〟を、お前に授けよう』


「グラン・ゲミュール?」


 突然出てきたワードに、アタルの頭が追い付かない。果たして、その武器がどう役に立つのか想像ができなかった。


『説明している暇なんてないぞ。お前も急いでいるんだろう』


 そうだ、とばかりにアタルは携帯端末で時刻を確認する。装置が起動する刻限まで、残りすでに三分を切っていた。

 都内二十三区だけで、およそ一千万人近い人間が住んでいるが、その命は危機にさらされている。もはや、迷いやためらう時間など残されていない。


「もう時間がない。君の言うことは分かった。後は、その槍をどう呼び出せばいい?」


『何度も言ったはずだ。何かをすると望むなら、。そうすれば、力はお前の意志に従うまでだ』


 アタルは、目を閉じて深呼吸する。自らに秘められた力を呼び覚ますために。そして、左手を前に掲げると、心に蔓延はびこる雑念を振り払った。


(……頼む、オフィーリア。君の力を、僕に貸してくれ)


「来いっ! グラン・ゲミュール!!」


 ズシリと、左手の中に重さを感じる。ゆっくりと目を開いてみれば、アタル驚きで息を呑んだ。

 何もなかったはずの左手に、いつの間にか、ひと振りの槍が握られていた。

 それは、真っ黒に塗りこめられた長い柄に、天を衝かんばかりに鋭く、深紅に染まった穂先を持った槍だった。そして、穂先の左右には、三日月のような形をした横刃が備わっていた。槍というよりは方天画戟、もしくはハルバードに近い武器であった。


「これが、オフィーリアの持っていた武器……」


 槍が発する鋭い雰囲気に、アタルは若干圧倒される。だが、黒と深紅の槍は、オフィーリアが着ていた衣服と重なるようで、少しばかり親しみも感じる。


『その槍は、振るうものの意志によって、自在に動かすことができる。そして、その穂先は、触れたものすべてを……』


「ちょっと待て。急いでいるんだ、単刀直入に聞くぞ。槍が出てきたとことで、僕には槍術なんて使えない。それに、あんなに離れた飛行船にどうやって槍を当てるんだ? まさか、槍投げの要領で投げろっていうんじゃないだろうな?」


『馬鹿か、お前は。誰が投げろと言った?』


「だって……」


『力に定まった形などない。確かに、お前の持つそれは槍の形をしている。だが、それは前の持ち主オフィーリアが定めたイメージだ。わざわざそのまま使う必要など、どこにもない。それに、今はお前の力だ、自分に合う形に変えてみろ』


(自分に合う形……)


 アタルは左手にぐっと力を込める。すると、持っていた槍は深紅の光を放ち、ぐにゃりと、その輪郭が揺らぎ始めた。やがて、光は小さくなったかと思えば、アタルの手の中にすっぽりと収まった。

 握りしめられた左手の中に、ほんのりと温かみを感じる。そっと結んでいた手をほどくと、そこには〝一発の弾丸〟があった。

 深紅に染まった弾頭に、黒光りする薬莢は、さっきまで持っていた槍そのものだ。それをどうするかなど、アタルにとっては食事をすることと同じくらい、当たり前のことだった。


「僕に、できるのか……」


『おいおい、何をいまさら怖気づく? 安心しろ、その力は〝破壊と創造の双子〟と呼ばれた妖精の片割れのものだぞ。これ以上に、頼りになるものはない』


「そうだったな……」


 心の中から聞こえる声に、アタルは頬を緩ませる。さっきまで、絶望の底に沈んでいた自分が嘘みたいだった。

 おもむろに、アタルはゆっくりと目を閉じる。そして、握りしめた左手を額にあてると、ありったけの思いを弾丸に注ぎ込む。


(みんなを、救うための力を――)


 アタルは黒光りする回転式拳銃、ピアッシング・スコルピオを懐から取り出す。そして、銃本体から弾倉シリンダーを振り出すと、中に残っていた一発の空薬莢を捨てた。それから、今しがた手に入れた〝力〟を、空っぽになった弾倉にゆっくりと装填する。


 ――現在時刻、午後六時五十九分五十秒――


 神代アタルは、銃を西の空に向けて構える。狙う先は、東京の上空を浮遊す一機の飛行船。

 今いる場所から東京までの距離、およそ三十キロメートル。拳銃弾は当然ながら、ライフル弾すら届くはずのない距離だ。

 それでも、アタルは信じている。この身に宿る妖精オフィーリアの力を。彼女の力らなら、きっと何とかできよう。


(これは、だ。何も考えず、ただ銃の引き金を引いただけでは、何も起こらない。心の引き金トリガーを引くんだ)


 アタルの頭の中に、次々と人の顔が現れる。

 まず初めに、長年一緒に暮らしてきた自分の家族が脳裏をよぎる。そして次に、あの飛行船の下できっと怯えているであろう服部美幸と、幻想子に病院で治療を受けているレイラ・グローフリートが思い浮かぶ。

 他にも、クラスメイト達と口の悪い女教師、和水唯花なごみゆいかの顔が浮かんでは消えていく。仲の良し悪しは別として、彼らもまたアタルの周りで生きている大事な人たちだ。


(彼らを幻人なんかにさせはしない。大事なものを失う痛みは、もうたくさんだ。必ず、救ってみせる。この、僕の力で――)


 身体と心の引き金に、込められる力は増していく。そして、覚悟でできた撃鉄は、深紅の弾丸に火を付ける。


「『撃ち抜け。黒赤の侵徹弾、グラン・ゲミュール!!』」


 黄昏色の西空に向かって、赤熱の光が彗星の如く、尾を引きながら流れていく。

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