11-1:嘘と偽りの幻想曲
国際テロ組織、
事件の翌日、
そして、テロリストたちはその存在を世界にアピールするために、世界の重要な都市に対して、同日にテロ攻撃を実施。中でも東京は、高純度の幻想子散布という類を見ない攻撃にさらされた。だが、思わぬ助っ人により、すんでのところでその被害は最小限に食い止められることにもなった。
だが、辛うじて難を逃れたとはいえ、標的となった日本国内は、大混乱に陥った。混乱を収束させるために、日本政府は緊急声明を出し、事態の鎮静化を図るも、多くの人の心に刻まれた恐怖はそう簡単にはぬぐえなかった。
それでもまだ、人びとは絶望はしなかった。
その光とは、妖精ミリーナのことだった。彼女は、幻想子をばらまく装置から人びとを身を挺して守った、救世主。彼女の行動は瞬く間に世界中に広がり、賞賛され、人びとの結束をより強めることにもなった。そして、妖精殲滅を謳うテロ組織との戦いのシンボルにすらなり始めていた。
妖精とテロ組織、世界を巻き込んだ混沌の時代の幕が開けつつあった。
××
東京都港区虎ノ門。幻災対策庁、三十四階フロアにて。
「体の具合はもういいのか?」
「ええ、まだ左腕は動かすなと言われていますが、事務作業くらいなら問題ないです」
「そうか、だが無理はするな」
「はい」
神代キザシと松本志帆は、会話をしながら目的地へと向かっていた。キザシはいつも通りだったが、相棒の志帆は先日の事件により左腕を負傷。そのため、彼女はサポーターで腕を吊り下げていた。痛々しい姿にもかかわらず、志帆の表情はこれと言って変わった様子はなかった。むしろ、少し緊張した面持ちでもあった。
それもそのはず、二人の後ろには五人の男たちが後に控えていた。彼らもまた、キザシたちと同じ場所に向かっている。
やがて、キザシと志帆は目的の部屋の前へと到着した。ドアのプレートには『次長室』と書かれている。部屋の中にいる人物に、七人は用事があった。
そして、ためらいなくキザシはドアをノックすると、部屋へと踏み入った。
「失礼します。舟橋次長、お時間よろしいですか?」
そうキザシが言うと、部屋の奥に置かれたデスクに座っていた
「アポもなしに、いきなり訪ねてくるとは、いささか無礼じゃないか」
「すみません。ですが、緊急の要件がありまして」
すると、キザシの背後から四人の男が、ぞろぞろと部屋の中へと押し入る。突然の来客となじみのない顔ぶれに、舟橋は仰天した。
「誰だ、君たちは」
「警察庁の者です」
男の一人が言い放つ。それを聞いた舟橋の顔つきが、一瞬だけ強張ったのをキザシは見逃さなかった。
「公安が私になんの用かね」
「国際テロ組織、
「何をふざけたことを。証拠がある上で言っているんだろうな」
威厳を保ってはいるが、舟橋は明らかに動揺していた。すると、公安の別の男が、
「これは、外事情報部宛てに匿名で送られてきた情報の一部です。送り主については現在も調査中ですが、ここには、あなたが誰かに向けて妖精ミリーナの情報を教示している内容も含まれていました」
「警察というのは、ネットと同じような真偽不明の匿名情報を信じるのか。やれやれ、この国の冤罪がなくならない理由が分かった気がするな」
「無論、我々もこのような落書きに等しい情報を鵜呑みにするわけがありません。ですが、あなたを調べるきっかけにはなりました。そうして、我々があなたのことを調べたところ、いくつか不審な物証が見つかりました。とりあえず、話を聞くために、ご同行願います」
「馬鹿も休み休みに言え! この前のテロの時だって、私はここにいたぞ。もし、テロリストと繋がっているのなら、当日どこかに移動しているはずだ」
公安の男たちと舟橋の間で、押し問答が繰り広げられる。その間、キザシと志帆は黙って聞いていたが、なかなか認めようとしない舟橋の態度に次第に腹が立ってきた。ビリビリとした一触即発の空気が立ち込める中、キザシが口を開きかけた時だった。
「舟橋君、ここで言い争ったってなにも解決しない。ここは彼らのところに行って、正々堂々自らの潔白を主張してきてはどうだ」
キザシと志帆、そして公安の男たちとは別の男が、舟橋の態度に見かねて前に出る。男は呆れた表情で、白髪で真っ白になった頭をやれやれとばかりに掻いていた。そして、男はこの部屋の中にいる人物の中で、誰よりも高齢だった。
「宮下長官……」
出てきたのは幻災対策庁長官、
「ここに来る前に特殊対策課に行って、いろいろ話を聞いてきたが、どうも話を聞いた限りだと君を疑わざるをえない。私は、君の野心家なところを評価していたが、今回の件は大変残念だ」
「待ってください、長官」
「舟橋君。君も男なら、ここは黙って彼らについていくべきだ」
それ以上、宮下は何も言わなかった。取り付く島もなくなった舟橋は、がっくりとうなだれる。
普段から温厚で人当たりのよい宮下の姿を見ていたキザシと志帆は、その時見せた宮下の表情に身がすくむようだった。そして、幻災対策庁内での長官と次長の確執を初めて見たような気がした。
「ご同行、いただけますよね?」
念を押すように、公安の男が話しかける。長官直々に叱責された舟橋は、ただ黙って頷いた。
「分かった。だが、少し待ってくれ……」
舟橋がデスクの引き出しを開けようとした時だった。
ビシッ、という異音がしたかと思えば、舟橋はわき腹を抑えながらその場に倒れ込む。
その場にいた全員、何が起こったのか分からなかった。だが、すぐに事態を把握したキザシは叫ぶ。
「狙撃だ! 窓から離れろ!!」
一瞬にして、全員が身をかがめて物陰に隠れる。どこから狙撃されたか知るために、キザシは窓に視線を向けた。だが、窓にはブラインドが下ろされており、外の様子を見ることはできない。
(そんな、ブラインド越しに次長を撃ったというのか?)
キザシは驚く。いったいどんなトリックを使ったのか気にはなるが、今は撃たれた舟橋の状態が気になる。
「舟橋次長、大丈夫ですかっ!?」
「ぐっ、ううっ……」
うめき声を上げながら、苦悶の表情を浮かべる舟橋の顔から生気が失われていく。どうやら弾の当たりどころが悪いらしい。このまま手をこまねいていると、取り返しのつかないことになる。だが、迂闊に物陰から飛び出せば、自分も狙撃されかねない。身動きが取れない状況に、キザシは舌打ちする。
「なぜだ……なぜこの私を…………」
驚きに満ちた表情で、舟橋は叫ぶ。
その場にいた誰もが、舟橋が撃たれた理由を察していた。舟橋は確かにテロリストと繋がっていた。だが、その口封じのために狙われた。そうでなければ、長官ではなく、次長から先に撃つ理由などない。
「このままじゃ埒が……」
時間はない、そう思ったキザシは舟橋のもとに駆け寄ろうとした時だった。
「がッ、あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああぁぁぁぁっ!!!!」
舟橋はおぞましい声を上げながら苦しみ始めた。その場にいた全員が総毛立つ。何が起こったのか分からず、宮下と公安の男たちは唖然としていた。だが、キザシと志帆には、身に覚えがあった。
それは、一週間前にミリーナとともにテロリストたちに襲撃されたときだった。追いつめられ、投降するように見せかけた犯人たちが自決を図って自らに注射した後に見せた様子と酷似していた。
(まさか、奴らはこんなことまで、できるのか――!?)
やがて、舟橋の叫び声はピタリと止む。のたうち苦しむうちに、舟橋はデスクに隠れてしまい、その姿を確認することができない。
突如やってきた沈黙は、恐ろしい前兆の前触れである。この後に何が起こるのか知っているのは、キザシと志帆だけだった。
キザシと志帆の持つ端末のアラームが次長室に響き渡る。予想はしていたが、どうやら、最悪な結末を迎えたことをキザシは悟った。
「松本、長官と彼らを連れてここから逃げろ! あと、このフロアにいる人間も避難させるんだ!!」
「分かりました! 長官、こちらへ」
「あ、ああ……」
宮下は信じられないとばかりに面食らっていた。目の前で起こっていることが現実なのか、見分けがつかなかった。そんな幻災対策庁の長官を引っ張るようにして、志帆は次長室から脱出する。
そして次長室は、キザシと舟橋の二人だけが残された。
静かに、キザシは背中のホルスターから拳銃を抜き、その
しばらくしたのち、舟橋のデスクに手が乗せられる。だが、その肌の色は、血色の抜けた死人のように真っ白だ。
「舟橋次長……。こんな形で、あなたと別れることが残念で仕方ありません。ですが、あなたの
幻災対策庁、次長室に現れた一体の幻人に、神代キザシは拳銃の引き金を二度引いた。
××
同時刻、港区赤坂付近。
「♪~Deine Zauber binden wieder ふんふふふんふんふんふんふん~♪」
機嫌よく、鼻歌交じりにベートーヴェンの交響曲第九番を歌いながら、男は道を歩いていた。男は二十代後半くらいで、グレーの作業着を腕まくりしていた。まくられた左腕からは、奇怪な模様のタトゥーが顔をのぞかせている。
陽気に歌を歌う男の横を、真っ赤なサイレンを鳴らしながらパトカーが数台横切る。何事とばかり、男はその後姿を見つめていたが、また歌の続きへと戻っていった。そのまま、しばらく男は歌っていたが、ようやく歌い終わったようだ。
そして、公園のベンチにだらしなくもたれかかりながら、男は不満げな表情を浮かべていた。
「……まったく、大佐も無理難題を押し付けるよな。二キロ先の建物、しかもブラインドを下した部屋の中の人間を狙撃しろとか。そんなことが出来る人間なんか、この世界にいやしない……とか言いたいけど、いるんだよな~ここに」
ニヤニヤしながら興奮した様子で、男は引き金を引いた時の感触を思い返していた。気温、気圧、風向き、そして標的の動きがすべて計算通りになった一瞬の隙を撃ち抜く快感は、何物にも代えがたかった。
「くう~っ、たまんないぜ!」
持っていた缶コーヒーがびちゃびちゃこぼれるのも気にせず、男は腕を振り回していた。さすがに平日の午前中ということもあり、公園には誰もいなかった。いたら間違いなく不審者として通報されていただろう。
「さてと……、今回の報酬は弾むぜ。今夜は、ぱ~っと楽しむか!」
そう言いながら、男は立ち上がって伸びをする。一仕事を終えて、晴れ晴れとした男の表情には、罪悪感や、苦悩などはなかった。単純に今を楽しむことに徹するように、終わったことは深く考えないタイプであった。たとえそれが、人を殺した後であっても。
「ふーんふんふんふーふふんふーふんふふふーん~♪」
再び男は鼻歌を歌いだす。今度は、ドヴォルザークの交響曲第九番『新世界より』だった。
そして、陽気な鼻歌とともに、男は街の喧騒の中へと消え失せていった。
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