10-4
『幻想子反応の消失を確認! やりましたね、ご主人様!』
「ああ……」
何か言いかけたところで、アタルの膝がガクンと折れ曲がる。たまらず、アタルはその場にへたり込んだ。
張りつめていた緊張の糸が次々と緩み、ほどけていく。つられて、言い表せないほどの疲労感がどっと押し寄せる。
(ギリギリだったけど、なんとか勝てた。……だけど、まだ終わってない)
疲れで頭の中が白む中、アタルは思った。新島を倒したのはいいが、
「マナ、服部に電話をかけてくれないか」
『はいなのです』
数度のコール音が鳴り響いた後、服部美幸が電話に出る。
『もしもし、アタル君。どうやら、戦いは終わったみたいだね』
「何とか、新島幹孝を倒すことができたよ。にしても、なんだったんだ、あれは……」
『あれって?』
「爆刃剣ニーズヘッグのことだよ。僕はあれのせいで、危うく死にかけた」
『そんなに凄かったの?』
「君もここに来てみればいい。隕石が落っこちたようなクレーターが、出来上がってるから」
ヘッドセットを通して、くすくすと美幸の笑い声が聞こえる。だが、それは決して誇張ではない。アタルはただ、目の前に広がる光景を言ったに過ぎない。
「だけど今はそれよりも、例の男がどこに向かっているか分かるかい?」
例の男というのは、岩森流厳のことである。江戸川沿いにあった浄水場跡から立ち去った岩森を美幸は追跡していた。
『ごめんね、アタル君。途中まではうまく追跡できていたんだけど、途中で見失っちゃった……』
「やっぱり、一筋縄ではいかない相手だな」
『私もそう思う。見失うまで、タクシーを五回も乗り換えていた。警戒心が相当強い人物だと思うよ』
「それで、岩森はどの方向に向かっていったんだい?」
「しばらくは都内をぐるぐる回っていたけど、甲州街道を西へ進んでいるところで追跡をまかれた」
「西か……。だどしたら、もうだいぶ時間が経ってるから、もうすでに東京にはいないかもしれないな」
岩森がアタルを拉致する直前、奴はしばらく東京を離れると言っていた。それには何か、理由でもあるのだろうか。アタルは、少しだけ考えた。だが、精魂を使い果たした体は限界をとうに超えている。難しい考え事など、できるはずがなかった。
『ごめんね、アタル君……』
美幸は一度ならず、二度も岩森の追跡を失敗したことをアタルに謝る。だが、アタルは特に気にしてはいなかった。
「仕方ないさ。相手はプロだ、そう簡単に尻尾を掴ませてくれない。今回は引き分けってことさ」
『引き分け……?』
「新島のPCの情報さ。こいつを徹底的に調べ上げて、〝
『そうだったね。それじゃあ、少し待ってて。今から新島先生のPCのデータを全部コピーするから』
「頼むよ」
美幸との通信はそこでいったん途切れる。あとは、服部がうまくやってくれよう。そう思いながら、アタルは空を見上げた。
太陽はすでに地平線に沈みつつある。もうすぐで、日没だ。
(こりゃあ、明日も学校に行けそうもないや……)
不真面目な思考が、アタルの脳内を支配する。学校に行かなければならないと、思ってはいるものの、この疲労では到底授業を受けるどころではない。
(今日はここまでだ。早く家に帰りたいな……)
家に帰る方法を思案しようとした時だった。再び、美幸から通信が入る。もう新島のデータをコピーし終わったのかと驚きつつも、楽観した調子でアタルは電話に出た。
「もう新島のPCを――――」
『大変だよ、アタル君!!』
つい先ほどのテンションはうって変わり、慌てている美幸の声がアタルの耳に飛び込んできた。はじめ、アタルは新島のPCのコピーに失敗でもしたのだろうかと思った。だが、事態は深刻かつ、重大であった。
『今、幻災対策庁が緊急の警報を出したの。テロ組織が都内に、幻想子をばらまく装置を仕掛けたって』
「なんだって!?」
アタルはすぐさま携帯端末を取り出し、ニュースサイトを画面に表示する。画面には、真っ赤に彩られた文字で、緊急警報と銘打たれた情報が表示されていた。
「どういうことなんだ、これは!!」
『今、街は大混乱で情報が錯綜しているけど、確かなことはただ一つ。装置を仕掛けたのは、
「服部は今どこにいる?」
『家にいるけど……』
美幸は、港区南青山のタワーマンションに住んでいる。当然ながら、その身に危険が迫っていることは言うまでもない。
「装置の起動時間は?」
アタルの問いかけに、美幸は最悪の回答をする。
『幻災対策庁の発表だと、起動時間は……午後七時』
急いでアタルは時刻を確認する。現在時刻は――午後六時四十二分。
「もう二十分も残されてないぞ!!」
いてもたってもいられず、アタルは走り出す。アタルの行く先は、この処分場の西端、海を挟んで向こう岸の東京の様子を見るためだった。
ここからじゃ、何もできないことはわかっている。それでも、背中を向けて逃げ出すことなどできなかった。
「新島のPCの中に、手掛かりは?」
『今、それを探してる!!』
『……あった! 大きな噴出装置の設計図と、製造過程の記録も残されてる。記録によると、造られた装置の数は一つだけみたい。だけど、どこに仕掛けたかは記載されていない』
「いや、数が分かっただけでも十分。今すぐデータを、匿名で幻災対策庁に送り付けるんだ」
『了解!』
アタルは大きく息を吸いこむと、目を閉じる。
もし、装置が遠隔起動で作動するタイプなら、場所さえ分かれば、美幸にも止められる可能性がある。タイマー式だったら……お手上げだ。
それよりも、装置が仕掛けられた場所はどこだろうか。幻想子をばらまくのに適した場所があるとすれば、人が多く集まる場所だろう。だが、東京は世界で最も人口密度が高い都市。どこで起動するにしろ、甚大な被害は免れない。
最大の被害を与えるのに適した場所で思い浮かべるのは、交通の要所であり表玄関でもある、東京駅だ。だが、人間の密集する場所でいえば、新宿、渋谷、池袋だって負けてない。ほかにも、政治に打撃を与えるならば、永田町や霞ヶ関もその対象になりえる。
(……くそっ! 候補があまりにも多すぎる。)
正直言って、警察に悟られずに装置を仕掛けられた時点で、ほぼ負けといってもいい。どこの国も、テロ対策に力を入れる理由がわかったような気がする。
だが、少しだけアタルには腑に落ちないことがあった。それは、装置の数だ。大きな装置を一つだけ作った理由が、読めない。小型の装置を大量に作ってあちこちに仕掛けるという方法もなくはないはずだ。単に、時間とコストの問題で作れなかったなんて理由であることを願うばかりである。もしそこに意味があるのなら……最悪の結果になるはずだ。
(何か……岩森は、何かヒントになることを言っていなかったか……。思い出せ、奴との会話の一部始終を)
アタルは、今日、岩森流厳と交わした言葉のすべてを思い出す。午前中のバスの中での会話、そして、浄水場跡で拘束されながらも、レイラとともに交した激しい応酬。そのすべての一言一句を吟味し、手掛かりになるようなキーワードを探し続けた。
(だめだ。どれも、ヒントになるようなものはない……)
いよいよアタルは、進退窮まる。岩森の抜け目のなさには、白旗を上げるしかなかった。アタルは、再度時刻を確認する。――午後六時四十七分。五分程度しか時間が経っていないのは驚きだが、刻限には着実に迫っている。
手詰まりに陥ったアタルは、何をするにも重い息苦しさを感じていた。おまけに、全身で感じとれるほどに、心臓がバクバクと脈動している。
状況に何か変化はないかニュースサイトを見ても、先ほど見た警告文に何も変化はなかった。
「くそっ! なんでだ、なんでこんなことをする必要があるんだ!!」
テロ組織の行いに対して憤ることしか、今のアタルにできることはなかった。どうしてここまで、残忍なことが出来るのか、到底理解などできない。
『アタル君、幻災対策庁には身元が特定されないようにデータを送信したよ。それで……私、これからどうしたらいいの……?』
不安でたまらないというような、美幸の声が聞こえる。だが、アタルにはどうすることもできない。せめてできることは、励ますことだけ。それが、単なる気休めにしかならないのは、痛いくらいにわかっていた。そんな無力な自分に、腹正しさすら覚える。
「服部、とにかく外は危険だ。迂闊に外出するんじゃない」
『うん……分かった。アタル君は大丈夫なの?』
「僕は、……大丈夫だ」
こんな時でも、自分のことを心配してくれる美幸の心の優しさに、アタルは苦しささえ感じた。意図していないにしろ、自分は遠く離れた安全地帯で眺めているだけだ。嫌味のひとつやふたつ言われて、なじられるほうが、どれだけ心救われるだろうか。
そんなこんなしていても、時計の針は止まることなく、無情にまわり続ける。
(僕には、ただ見ているだけしかできないのか? こんな風に、この国が終わるさまを見物することしかできないのか)
「ん――?」
アタルの心に、何かが引っかかる。見物、それに近い言葉をどこかで聞いたことがあるような――
『この後に、ショーが控えているんでね』
アタルは、思い出した。そのセリフは、つい先ほどまで戦っていた男のもの。新島幹孝が、幻想人になる前にアタルに言い放った言葉だ。
すぐに、アタルは新島との会話の一部始終を脳内で再生する。新島のセリフもそうだが、そもそもなぜ新島はこの場所に来たのだろうか。
ショーというのは、
だとしたら、ここから見える景色に、何か意味があるのか?
アタルはもう一度、対岸の都市に目を凝らす。
日没がすぐそこまで迫ってきている。そして、沈みかけているのは太陽だけではない、この国も同じだ。宵闇が広がる空の下、大小立ち並ぶビル群には明かりが灯りだしていた。
(ダメだ……遠すぎて、何もかも小さく見える)
視力のいいアタルでも、東京湾を挟んで向こう側の様子など見えるわけがなかった。だがそれは、メガネをかけていた新島にも同じことが言える。アタルは顔を下に向けて、冷静に考えるために目をつむる。
(新島が言っていたショーとは、ただのたとえで、その言葉自体に意味はないのか)
焦りが、心に不安を呼び起こす。ざわつく胸を必死に押し込めながら、アタルは諦めずに考える。だが、もはやこれまでといった諦めが、足元からじわりじわりと這い上がってくるような気がした。
背中から、嫌な汗が噴き出す。それは
(諦めるな、諦めるな……。下を向くんじゃない、顔を上げて考えるんだ)
もう一度、アタルは食い入るように、向こう岸を一心に見つめる。そこから読み取れる情報のすべてに疑ってかかる。
(陸地は遠すぎて全然あてにならない。だとしたら海か? 船を使って何かするとか……いや、それじゃあまり意味がない。なら、空?)
アタルは、空を見上げる。西の空は、燃えるような茜色だが、それを押し返そうとする紫色の夜の
二つの色が混ざり合う、
(なんだ、あれ……?)
ビルが立ち並ぶ真上の空に、奇妙な物体が浮かんでいることに気が付く。日が沈みかけの暗がりの空では目立たず、危うくアタルは見落としかけた。そして、楕円形の形をしたそれは、灰色で雲に紛れるように浮かんでいた。無論、それは宇宙人のUFOではないが、それの正体が分かった途端、アタルは無意識に叫んでいた。
「分かったぞ!!」
頭の中でバラバラだった、すべてのピースが
『何か分かったの!?』
通信回線ごしに、美幸が驚いたような声を出す。
「空だ!! 装置は空にある。あの飛行船の中にあるんだ!!」
美幸には見えないと分かっていても、アタルは東京上空に漂う、銀色の飛行船を指さしていた。
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