10-3

 猛烈な雨が処分場に降り注ぐ。

 しかし、それは水滴ではなく、黒く染め上げられた弾丸の雨。反幻想子アンチ・ファンタジウムでできた雨粒は、ただ一点に向かって降りかかる。


 神代アタルの心血が注がれた弾丸は、幻想人ファンタジアンである新島幹孝にいじまみきたかへと、真っ直ぐ向かっていく。だが、新島も黙って弾丸の雨にさらされるはずもなかった。大気中に霧散する幻想子を自身の周囲に集め、凝結し、生成された鋭い結晶をアタルへと差し向ける。


(これでも、まだ押し切れないか……)


 反幻想子の弾丸と、幻想子の結晶。両者の間でそれらは激しくぶつかり、互い中和し、消滅していく。それらは、ちょうど二人の半分の距離でせめぎ合っていた。


 カストルとポルクスからは、一秒間に五十発以上の弾丸が発射され続けている。特殊なカスタムと、リミッターを外すことで引き出せる、いわば限界性能。だが、アタルはこの技を実戦で使ったことはなかった。なぜなら、普通の弾倉マガジンでは十秒も持たずに使いきってしまうし、その威力と衝撃で狙いをつけることすら困難であった。

 それでも、アタルはためらうことなくこの技に賭ける。新島をその場に釘付けにして、最高の一撃を叩き込む隙を作るには、これ以外に方法はない。だからこそ、自分の体内の幻想子のありったけを注ぎ込み、研ぎ澄まされた集中力で、銃を制御し続けた。


「まだ、これほどの力が残っていようとはな! だが、諦めろ。私の幻想子は大気中から無限に集められる。それに対して、お前はどうだ? いずれ、お前の体内の幻想子は底を尽きる。だったら、さっさと諦めてくたばれ!!!!」


 そう言うと、新島は下品に舌なめずりをする。だが、新島の言っていることは正しい。このせめぎ合いで、アタルの体内の幻想子は着実に減ってきている。

 それでも、アタルには意地がある。死力を尽くしても負けるのであれば、それも仕方なし。全身全霊を賭けた乾坤一擲けんこんいってきの大勝負に、悔いはない。

 そうして、新島とアタルのせめぎ合いは、両者一歩も譲らず続く。無限の発砲音と、結晶の砕け散る激しい撃ちあいは、いまだに拮抗したままだった。


(くっ、視界が霞んできた……。だけど、まだだ。まだ、諦めるわけには、いかないんだ!)


 少しづつ、アタルは弱っていく感覚を自覚していた。それでも、心の中に灯る炎は消えない。両手で暴れる二丁の拳銃の銃口を、必死で新島へと向け続ける。

 だがしかし、アタルの体ではない別のところで、限界が訪れようとしていた。


『警告! カストルとポルクスの機関温度上昇、このままだとオーバーヒートに達するのです!!』


「くそっ!!」


 アタルの心に、焦りが生じる。

 いくら弾丸が無限だったとしても、すでに何十、何百万発も弾を撃ち続けたカストルとポルクスは限界に近付きつつあった。このままでは、いづれ銃身バレルが焼き付きいて、故障する。そうなれば、新島の結晶は容赦なく、全身を貫き通すだろう。


(負けない、負けるわけには――)


 ここまでの道程みちのりが、アタルの心によぎる。


 ……すべての始まりは、レイラとの出会いだった。

 彼女と出会ったことで、アタルは様々な災難にあう。川崎の倉庫で幻獣たちに取り囲まれ、彼女にひっぱたかれもした。おまけに、幻想子を使って妖精と戦争しようとする頭のおかしな連中に拉致され、暴かれたくもない過去を晒された。そして最後に、気持ちの悪い幻獣と戦ったりと、忘れたくても忘れられない最悪の一週間。


 ここまで聞けば、まるでレイラが災厄を引き寄せる疫病神みたいだが、それ以上に、

 それは、〝明日のために生きること〟。

 過去を恐れるあまり、未来すら見えなくなっていた自分を、彼女は叱ってくれたのだ。

 両親を事故で亡くし、彼女自身も辛い生活を今まで送ってきただろう。それなのに、常に真っ直ぐに生きようとする彼女が、アタルには眩しかった。

 そんな彼女を罠に嵌め、それどころか、命の危機までおとしいれた連中を、絶対に許さない。


(今、戦っているのは僕だけじゃない。レイラだって、病院で幻想子と戦っている。それでも、彼女は僕に力を貸してくれている。自分だけじゃない、彼女のためにも、ここで負けるわけにはいかないんだ――)


 その時、心の奥底の〝黒鉄の意志〟は、より一層鈍く輝く。

 

 すると、膠着していた二人のせめぎ合いに突如、変化が訪れる。……新島の幻想子の結晶の勢いが、少しづつ押され始めた。


「ばっ、ばかな!? なぜだ、なぜ押し戻される?」


 突然起こった事象に、新島は衝撃を受ける。アタルの放つ弾丸の勢いは変わらないのに、どうして自分が押し負けるのか理解できない。


『カストルとポルクス、作動限界まで、あと三十秒!』


「このまま、押し込めえぇ!!!!」


 アタルは、銃を握る手にさらに力を込めた。そうして、連射によって跳ね上がろうとする銃口を抑え込み、無駄なく、一点のみに弾丸を放ち続ける。

 そうして、じりじりと、アタルは新島の攻撃を押し返していった。


『あと二十秒!』


 アタルの放つ弾丸が新島まで届くのに、あと三メートルをきっていた。間近に迫るアタルの弾丸の雨に、新島は怯える。突然強まったアタルの力の正体が分からず、思考は空回りしていた。


「そんな、うそだ……」


『残り十秒!! ご主人様、もう限界なのです!』


 マナが警告を発すると同時に、カストルとポルクスから白煙が立ち昇り始める。だが、アタルは引き金にかける指を外すことはなかった。


「いっ、――けええええええぇぇぇぇぇ!!!!」


 手のひらを伝って流れ込む反幻想子は、アタルの意志に呼応するかのように、さらにその純度を高める。そしていつしか、弾丸は黒鉄の如く、艶やかな黒を帯びていた。


 それは、の反幻想子。


 その前では、新島の放つ濁った幻想子の結晶など、硝子ガラスのようなものだった。簡単に砕け散り、反幻想子を中和することなく、この世界から消え去る。


「だが、私はその程度の攻撃じゃあ――――」


 そう言いかけたところで、一発の弾丸が、新島の頬をかすめる。ついに、アタルの弾丸は、新島の最後の防衛線を突破した。

 防衛線を削り取るように、弾丸は次々と結晶を侵食する。そして、防衛線に空いた穴からはとめどなく、弾丸の雨が流れ込む。そうして雨は新島の体にも、容赦なく降りかかる。

 それらは、今までにない威力を持っていた。弾は新島の体に、無数の穴を穿うがっていく。いくら新島が再生に専念しようとも、それ以上の損傷を次々と弾丸は与えていった。


「ぐあああああああ――……」


 降り注ぐ弾丸は新島の喉笛を食い千切り、断末魔の咆哮すらあげさせない。そして、文字通り、新島の体は穴だらけのハチの巣になった。


『カストルとポルクス、熱暴走により、深刻な障害が発生!!』


 シュウシュウと煙を吹き出したまま、カストルとポルクスは動作を停止した。何とか新島を打ち負かすまで、持ち堪えてくれたことに、アタルは心の中であらんばかりの感謝をする。

 だが、まだ戦いは終わっていない。すぐに新島の体は、再生し始めていた。


「まだだっ! まだ、私は終わってなど――」


「いいや。終わりだよ、新島幹孝」


 真っ赤な瞳を爛々と滾らせ、復活した新島の表情は一瞬にして凍りつく。なぜなら、すでに目の前には憎き宿敵、神代アタルがいた。そしてその手には、チャージが完了した爆刃剣ニーズヘッグが握りしられていた。


「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 怨嗟の咆哮を上げる新島の胸に、アタルは思い切り剣を突き立てる。


「マナ! ありったけの力で、こいつにとどめを刺すんだ!!」


『了解! 爆刃剣ニーズヘッグ、第一制御封印解放!』


(ん? って……)


 予期しないマナのセリフに、アタルは不安に駆られる。今まで聞いたことのない単語に嫌な予感が脳裏をよぎる。だが、そんなアタルの不安を気にもせず、マナは主人に命じられた仕事をこなすだけだった。


 突然、ニーズヘッグの根元の刀身が花開くように展開する。そして、今まで銀の刃に覆われていた、真っ赤に燃え上がるような緋色のコアが露わになる。

 そのとき、アタルは自分の失敗に気が付く。マナは今から、使用限界いっぱいの六十パーセントの出力で爆発を放とうとしていることに。


地獄の爆風ヘルズ・ブラスト、発動――』


  眩いばかりに輝く半透明の核の中に、アタルは〝何か〟が入っているのを見た気がした。だが、次の瞬間、アタルの視界は真っ白に染まる。


     ××


『……………………――きて!』


 騒々しい声が、心地よい眠りを妨げる。こんな時にいったい誰だ、眠りを邪魔するの存在にアタルは腹を立てた。


『ご主人様あっ!、死んじゃ嫌なのです!!』


 しゃくりあげるマナの声を聞き、アタルは目を覚ます。視界には、茜色に色づいた雲と、薄い赤紫に染まりつつある空が広がっていた。


(生きて……る?)


 視界が真っ白になったとき、さすがのアタルも死を覚悟した。まさか、あんなことになるなんて、夢にも思っていなかった。

 だが、アタルが生の実感を噛みしめる前に、やらなければならないことがあった。先ほどから、ヘッドセットを通して、わんわん泣くマナを鎮めなければ、鼓膜が破壊されそうだ。


「マナ……、僕は大丈夫だ。だから、頼む、ちょっと静かにしてくれないか」


『はっ! 今、ご主人様の声が……。でもそんなはずは、もしかして……幻聴?』


「AIが幻聴を聞くわけないだろ!」


『ご主人様、本当にご主人様なのですか? よかった、本当に良かったのです……。うわああぁぁーーーーーーん!!!!』


「やれやれ、これじゃ何も変わらないじゃないか……」


 結局泣くマナに苦笑しつつ、アタルはゆっくりと体を起こす。多少、体の節々が痛むが、手足はちゃんとついている。どうやら、大きな怪我は負わずに済んだらしい。

 次にアタルは周囲を見回す。アタルがいたのは、住宅の断熱材や、ベットのマットレスなど、柔らかいものが積まれた、瓦礫山の中腹だった。どうやら、ニーズヘッグの爆風で吹っ飛ばされても、クッションとなってその衝撃を吸収してくれたのだろう。まさに、奇跡的な運の良さだった。


「どれくらい、僕は飛ばされたんだ?」


 あたりの景色を見渡しても、どれも戦闘中に見覚えのない瓦礫の山ばかりだった。自分の想像以上の距離まで飛ばされたのかと、アタルは身震いした。

 ゆっくりと、アタルは瓦礫の山を下りていく。そうして、地面に降り立ったところで、あたりの景色を眺めた。新島との戦いの勝敗を確かめるために。

 心の中では、勝利を確信している。だが、今まで何度も状況をひっくり返された疑心が残っている限り、戦いは終わっていない。


「マナ、周囲の幻想子反応はどうなってる?」


『現在、周囲の磁場に歪みが生じているため、センサーが正常に機能しないのです……』


「仕方ない、自分の目で確かめろってことか」


 そう言って、アタルは歩き出した。少し離れたところから、黒煙が空に向かって伸びている。おそらく、爆心地はそこなのだろう。果たして、あの剣の爆発を食らっても新島は生きているのだろうか。アタルの頭の中では、不安を拭い去ることが出来なかった。


 一つ目の瓦礫の山を越えた時だった。代り映えのない景色が突然、見覚えのあるもの変わる。そこには、大きく崩れ、焦げた瓦礫の残骸が残されていた。その光景を見た途端、そこで起こったことがアタルの脳裏をよぎる。


(あまり、思い出したくない場所だな)


 そこは、新島が幻想人としての力を目覚めさせた場所だった。アタルが瓦礫の山をガス爆発で崩し、あともう一歩のところまで新島を追いつめた。だが、力及ばずアタルが一度敗北した場所でもあった。無論、そのあとに起こったことも鮮明に覚えている。少しだけうすら寒さを感じたが、アタルは自分が大事なものを置き忘れていることに気が付いた。

 きょろきょろと、何かを探すようにアタルは首を左右に振る。すぐに、目当てのものは見つかった。それは、日没まであとわずかになった夕日を、反射させていた。


 探していたもの、それは回転式拳銃リボルバー、ピアッシング・スコルピオだった。

 新島の力によって、幻想子の結晶の中に左手ごと閉じ込められていた拳銃が、瓦礫に混じっていた。気づけば、あたりには新島が戦闘で放った幻想子の結晶はどこにもなかった。それが新島の死によるものか、単純に時間によって分解されたものなのかは判断できない。

 アタルはスコルピオを拾い上げると、弾倉をスイングさせて、残弾数がいくつあるのか確認する。そして、空になった薬莢を弾倉から振り落とすと、何事もなかったように、脇に吊り下げているホルスターにしまった。


(どうやら、爆心地までもう少しみたいだ)


 アタルの目指す目的地は、すぐそこにあった。

 爆発の衝撃で、崩れ落ちた瓦礫が地面を覆いつくし、足場の悪い中をせっせとアタルは進んでいた。そして、小高い丘になったガラクタの山を登ろうとした時だった。アタルは、ちょうどその頂上に、レイラの武器、爆刃剣ニーズヘッグが突き刺さっているのを見つけた。


(よかった。爆発の衝撃で行方不明になったら、どうしようかと思ってたところだった……)


 アタルすら吹き飛ばす爆風で、レイラの剣も明後日の方向に飛ばされていたらどうしようかとちょうど心配していたところだった。本人の知らないところで勝手に限界いっぱいまで力を解放し、挙句の果てに失くしたとあっては、彼女に顔向けできない。

 幸運にも、すぐに見つけることが出来たアタルは嬉々としながら、丘を駆け上る。そして、銀色に輝く剣の柄を掴んで、瓦礫から引き抜いた時だった。


「なんだよ……、これ……」


 アタルは絶句する。それは、目の前に広がる光景にだった。


「何も……ないじゃないか」


 言葉通りだった。

 ここは、いくつもの不要になったゴミが放置されたままの処分場。だが目の前には、数えきれないほどあった瓦礫が、きれいさっぱりなくなっている。そのかわり、隆起した地面は真っ黒に焼けこげ、同心円状に沈下したクレーターが残されていた。


 眼前に広がる景色に、アタルは冷え汗が噴き出す。あの爆心地にいたというのに、どうして生きていられるのか不思議で仕方なかった。実はもう本当は死んでいて、幽霊になっているんじゃないか、そう疑いたくなるほどの景色だった。

 おそるおそる、アタルは手に持つ剣を眺める。やはり、剣には傷ひとつついてない。一体どうやってあれ程の威力の爆風を制御しているのか気になるが、考えたところで答えなど出ないことは、明白だ。

 それよりも、爆発の直前に見たものを、アタルは忘れることが出来なかった。あれは、もしや――。


『二時の方向に、幻想子反応を検知!』


 とっさにアタルは身構える。だが、構えたところで、ろくな武器が残されていないアタルに、成すすべはない。レイラの剣も、チャージしてあったすべての反幻想子を使い果たし、ただの鉄塊と化していた。


 アタルは、マナが指し示した方向におそるおそる視線を流す。

 ……だが、すぐに肩の力を抜いて、いつもの姿勢に戻る。そして、瓦礫の山をゆっくりと下りながら、幻想子反応がする場所へと向かっていった。


「はあっ…………はあっ……はあ……………………」


 そこには、虫の息となった新島がいた。彼は、瓦礫に寄り掛かるようにして、天をただ仰いでいた。そんな新島の姿を見て、アタルは今度こそ、待ち焦がれていた勝利を確信した。

 新島の体は、ニーズヘッグの爆発によってほとんど消失していた。辛うじて、頭と右腕のついた上半身は残されていた。だが、その肉体を構成する幻想子は、形象崩壊を起こしつつあった。新島の痛々しい姿を見たアタルは、いつかの自分の様子と重ねる。だが、憐れに思えても、同情はしない。


「さすがに……笑うしかないな。あの爆風で死んだかと期待していたが……、無傷とはな」


 近寄るアタルを見た新島は、残念そうにあざける。まったくもって、その通りだと、アタルも思った。


「新島先生……」


「ふっ、それでも君は、まだ私を先生と呼ぶのか。先ほどまで、生死を賭けて戦った敵だったんだぞ」


 憐れまれるのを拒絶するかのように、新島は言い放つ。


「……だけど、この戦いは僕の勝ちだ」


 突き付けるように、アタルも言い切る。アタルの勝利宣言を聞かされた新島は、ただ空を見上げる。その表情には、悔しさや怒りの感情はなく、さもありなんといいたげだった。


 二人の間の会話は、そこで途切れる。長い沈黙が続くかと思われたが、先に行動を起こしたのはアタルだった。


 おもむろに、アタルは懐から拳銃スコルピオを取り出す。そして、ためらいなく撃鉄ハンマーを親指で引き起こすと、その銃口を新島へと向けたのだった。

 引き金に乗せられた人さし指に、少しずづ力がこめられ、やがて――。


 カチン! 銃口から、弾丸は出ない。引き戻された撃鉄は、空っぽになった弾倉を叩くだけで、弾薬の雷管を叩くことはなかった。


「運がいいですね、新島先生。だけど、それは二度も続かないと思ったほうがいい。……まだ、この世にとどまる時間は残されている。あなたの今までの人生を振り返るか、あるいは僕に憎悪をむけるか、どう使うかは新島先生次第だ」


 そう言ってから、アタルはスコルピオを懐に戻す。そして、その場から去ろうと、新島に背中を見せた時だった。


「待て……最後に、ひとつだけ教えてくれないか。なぜ私が〝死せる戦士たちエインヘリャルの楽園〟のメンバーだと分かったんだ? 」


 その場から去ろうとする、アタルの足がピタリと止まる。


「確かに、私の行動をひとつづつ当てはめれば、疑惑を持つのは当然だろう。だが、私としてはそのきっかけを持たせるほどのをした覚えはない。いったいどこで、私が怪しいと思ったんだ?」


 新島は、自身の敗因を知りたかった。今まで、うまく尻尾を掴ませないように行動していた。だが、それはたかが高校生に感づかれた。死ぬ前にせめて、自分が見落としていたミスを知らずにはいられなかった。


「ヒントをくれたのは……、レイラだ。彼女がいなかったら、僕はあんたまで辿り着くことはできなかっただろう」


 そう言ったアタルの頭の中に、レイラが死力を尽くして残したメッセージが蘇る。


「ヒント……?」


「〝匂い〟だ」


 それは、新島の予想外の答え。だが、それはアタルも同じだった。


「レイラが幻惑状態になって意識を失う直前、彼女は言っていた。あんたの白衣と岩森流厳から匂った香りが同じだったと」


「それが、一体何だっていうんだ」


「僕も、はじめはそう思った。たまたま、あんたと岩森が使っていた香水かなんかが、一緒だったんだろうと。だけど、ある一つの可能性によって、それは疑惑に変わった。そして、そのある一つの可能性というのは……幻想子だ」


(もしや……)


 アタルの言いたいことが、新島にも分かった気がした。


「幻想子っていうのは無色透明、無味無臭。だけど、そんな物質を研究、もしくは

利用しているとなれば、危険この上ない性質だ。なぜなら、知らずのうちに大量の幻想子を吸い込んでしまったら、たちどころに幻惑状態に陥ってしまう。だから、幻想子にはあらかじめ匂いが付けられている。そう、都市ガスのように、使用者が漏出を感知できるようにね」


 法律上、幻想子には付臭剤による着臭が義務付けられている。それは、アタルが言った幻想子の特性による危険性によるものだ。


「幻想子を悪だくみに使う組織のことだ。実験に幻想子に使うには、当然その危険性も認識しているはずだ。だけど、普通に幻想子に使われる付臭剤を使ってしまっては、万が一疑われたときに都合が悪い。それを見込んで、あんたたちが使っている幻想子には、香水のようなが付けられていた。……僕はその可能性を、彼女のメッセージから推測した。そうして、同じ匂いがしたあんたを徹底的に調べてみたんだ」


「……なるほど、見事な推理だ」


 新島は感嘆するように漏らす。自分には嗅ぎなれてしまった匂いが、このようなほころびを生むとは思ってもみなかった。だが、いまさら後悔しても、無駄というのは百も承知。

 そこまで言って、アタルは再び歩き出した。その背中は、もうこれ以上語ることはないという雰囲気を醸し出していた。

 新島も黙って、その背中を見送っていた。だが――。


(これで、終われるわけがなかろう。貴様は、私をここまでこき下ろしたのだ。せめて、道連れに……)


 そう思いながら、新島は残された右腕を持ちあげる。すると、その腕は鋭い幻想子の結晶に覆われる。最後の悪あがきであることは、言うまでもない。


「甘いな、神代アタル! この私がそう簡単に諦めると思ったか!!!!」


 新島は、幻想子に覆われた右腕を射出する。その向かう先は、アタルの脳天。最後まで、新島幹孝の殺意は牙を剥く。

 無防備な背中を晒すアタルに向けて、その濁り濁った幻想子が到達しようする時。


 一発の銃声が、その場に轟く。


 神代アタルは振り返っていた。その手には、を発射した、ピアッシング・スコルピオが、銃口から白煙を立ち昇らせていた。


「な……弾は……なかった、はず…………」


「言ったはずだ――、、と」


 アタルの放った弾丸は、幻想子に覆われた新島の腕を砕き、額を撃ち抜いた。そして、わずかに残された新島の体は、跡形もなく大気へと消え去った。

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