4-2

 妖精ミリーナ。

 つい先日、公の場に姿を現し、一世を風靡した妖精である。その彼女が、いま神代キザシと松本志帆の目の前に座っている。


 ミリーナと名乗る妖精は、濃紺の糸で縁取られた真っ白なドレスを着ていた。それは、先日のテレビ中継に姿を見せた時と同じものだ。そして、肝心のミリーナはテレビで見た時と変わらず、特徴的な青い瞳と、真っ白に輝く長い髪の持ち主だった。自然が生み出したものとは思えない、均整の取れた美しさがそこにはあった。

 キザシも志帆も、これほど間近で妖精を見たのは初めてだった。だが、そんなことを気にせず、目の前の美しい妖精は丁寧な所作で、何かを注ぎ始めた。


「どうぞ」


 ミリーナは、二つのティーカップをキザシたちの前に置く。想定外のもてなしに、キザシと志帆は視線を合わせた。キザシの隣に座る志帆しほの目は語る、〝本当に飲んでも大丈夫か〟と。

 だが、相手が誰であろうと、差し出されたものを無碍むげに拒否するわけにはいかない。それに、この場にいる以上、自分たちはいわば、人類の代表だ。儀礼を欠く行為は、人類の品位を損うことにもなる。

 そう思ったキザシは、おもむろにティーカップを持った。


「いただきます」


 中に注がれた液体を一口すすった。

 爽やかで、香り高い味わいが口の中に広がる。これは……アールグレイだ。


 やがて、キザシに特に問題ないことを確認した志帆も紅茶に口をつけた。その様子を、目の前のミリーナは満足そうに、微笑みながら見つめていた。


「ここで、私が淹れたお茶を飲んだのは、あなたたちが初めてです」


 そう言うと、最初のさわりとしては合格だとばかりに、ミリーナもカップに注いだ紅茶をひとくち飲んだ。


「それで、今回はどういったご用件で?」


 ミリーナが唐突に切り出す。

 無論、キザシたちもミリーナに挨拶をしに来たわけではない。仕事のために来たのだ。持っていたティーカップをセンターテーブルに置くと、キザシは今回の仕事について、話し始めた。


「我々がここに来た理由。単刀直入に言ってしまえば、貴女あなたを守るためです」


「それはまたどうして?」


「不快に思わないでいただきたい。ここ日本、ひいては世界中には〝妖精〟の存在を敵視する人間は一定数います。その中で、が近日、貴女に襲撃をかけるという情報を、我々はキャッチしました」


「敵同士なのだから、人間が私たちを快く思わないのは当然でしょう。それに、いままでそういう人たちが、私を狙う話なんていくらでもあったでしょう?」


 少女の姿をした妖精は、怯えひとつ見せず、毅然とした態度でキザシに問う。


「それもそうです。ですが、今回に限っては違います」


 一呼吸置いたキザシは両手を組み、視線を下に落としたまま眉間に皺を寄せる。ここから先のことを話していいのか、迷っているようだった。やがて、決心がついたように、顔を上げると、まっすぐミリーナを見据えた。


「今回、貴女を狙う組織は、幻想子ファンタジウムを用いたを使用してくる可能性が高いのです」


「新型の兵器?」


「詳細は我々にもわかりません。ただ万が一、不穏分子が貴女を傷つけるようなことがあっては……」


「あなたたち、人間側が、先にマンハッタン条約に違反したことになる」


「そうです。ともすれば、人間と妖精間にある停戦協定は白紙になり、また戦乱の日々が繰り返されるようになるでしょう」


「…………」


 真剣な眼差しをミリーナへと向けつつ、キザシは断言した。妖精、いわば人類の敵でもある彼女にこのようなことを話すことは、一種の賭けだった。それでも、今回の任務には、ミリーナの協力が必要だ。

 キザシとミリーナの間に漂う緊張した空気を、志帆は固唾かたずをのんで見守っていた。もし、彼の言うことにミリーナが逆上でもしたりすれば、この場であの〝天幻戦争〟の続きが始まることになる。そうなれば、日本は壊滅だ。

 しばしの沈黙ののち、ミリーナは結論を出した。


「……あなたたちの事情はわかりました。私もテレビ中継で皆様に宣言した以上、できるだけの協力はいたしましょう」


 ミリーナの協力的な回答に思わず、志帆は安堵した。だが、隣にキザシがいる手前、すぐに居直った。


「ご協力感謝いたします」


「それでは、このわたくしは何をすればよろしいのでしょうか?」


 にこりとした笑みをミリーナは浮かべる。幼い少女の姿をした妖精の笑みは、見た者を虜にするような魔力を秘めていた。例外なく、志帆もその魔力に魅せられてしまった。


(なんて、かわいらしい笑顔なの……)


 作り物の人形のように、この世のものとは思えない美しさと可憐さに、志帆は無意識のうちに惹き込まれていた。だが、ミリーナに心惹かれる志帆とは対照的に、キザシはいたって冷静だった。


「明日から、我々はあなたと行動を共にします。そして、もしものことがあれば、貴女の身柄の安全を最優先とし、迅速かつ速やかに対処いたします」


「ふふっ、なんて頼もしいのでしょう」


 両手を合わせ、無邪気に微笑むその姿は、天使のようだと志帆には思えた。それでも、キザシは表情ひとつ変えない。


「詳細は明日に打ち合わせますが、貴女にはふたつのことについて協力いただきたい。一つ目は我々の指示に従って行動してください。ですが、あなたの行動を不必要に制限したりすることはないのでご安心ください。ただし、緊急時においてはこの限りではないことだけはご承知を。そして二つ目は、仮に不穏分子による襲撃が発生してしまった場合、貴女は。その意味は、お分かりでしょうが」


 淡々とした口調でキザシは説明する。だが、その内容は控えめに言っても無茶な要求であった。それでも、キザシの言うことをミリーナは嫌な顔一つせず、いいでしょう、と快諾した。


「ありがとうございます。それでは、私たちはこれから本庁に戻り、今回の件について報告するので、今日のところはここまでといたしましょう。それでは、明日からよろしくお願いいたします」


「ええ、お待ちしてますわ」


 キザシは立ち上がると、部屋の出口へと一直線に向かっていった。一呼吸遅れた志帆は、手にしていたティーカップをそそくさとテーブルに置く。


「あの……紅茶、おいしかったです。ごちそうさまでした」


 そう言い残すと、志帆もキザシに遅れないよう急ぎ足で部屋を後にする。ふたりが出ていくと同時に、特殊合金製の重厚な扉は、ゆっくりと閉ざされた。


(……あの男、隠してはいたけど、心の奥底には燃えるような憎悪があった。そんな人物が、なぜわたくしのところに来たのでしょう?)


 閉ざされた部屋の中で、ミリーナはひとり思案する。


     ××


 幻災対策庁へと向かう車内。

 キザシは窓の外から景色を眺め、志帆はノートPCを膝の上に置き、報告書の作成に取り掛かっていた。


「……松本、ミリーナについてだが、見た目は幼くとも油断するな」


 景色から目を離さず、キザシは隣の志帆に忠告する。先ほどの面会で、心のうちを見抜かれていたことに、志帆は少し動揺した。


「申し訳ありません、主任」


「奴は大戦中、東太平洋海域でアメリカ海軍第三艦隊をほぼ壊滅させた。そして、アメリカ西海岸都市にも甚大な被害を与えた〝白狼はくろう〟ミリーナだということを忘れるな」


 重苦しい空気の中、キザシたちを乗せた車は、幻災対策庁に到着した。

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