4-1:白狼

 同日、午後五時三十分

 東京都千代田区紀尾井町、厳重に警備された白塗りの建物の前に一台の黒塗りの車が停車する。その後部座席から二名、黒いスーツに身を固めた一組の男女が、降り立った。

 ひとりは、オールバックの髪形に、精悍せいかんな顔つきをした男。特徴といえば、鷹のように鋭い目つきで、見るものを圧倒させるような威圧感を持っていた。もうひとりは、男ほどではないが、近寄りがたい雰囲気をもった女だった。襟足を伸ばしたウルフカットと三白眼の組み合わせは、まさに狼がその場にいるような気さえするほどだった。

 男は立ち止まり、目の前の建物を見上げる。築年数はそれほど立っていない、まだ新しい建物だ。一見して、他国の在外公館のようにも見受けられるが、建物に国旗は掲揚されていない。だが、この中にいるのは世界中から注目を浴びる〝要人VIP〟だ。


「行くぞ」


「はい、主任」


 男の発声とともに二人は、建物の中へと向かっていった。


     ××


 東京都港区虎ノ門。三十五階建ビルの三十四階フロアの一室。

 重苦しい品雰囲気が立ち込める部屋に、スーツ姿の二人の年配の男が向かい合って座っていた。男たちは、話もせずにガラステーブルの上に置かれた書類の束に視線を向けていた。そして、ふたりの男のスーツの襟元には、〝FDCA〟と刻印の入ったバッジをついていた。


 FDCA(Fantasium Disaster Countermeasures Agency )は幻災対策庁の略称であり、男たちがいるのは、その幻災対策庁の次長室だった。


「……次長、今回の人事の件は本当によろしいのですか?」


 眼鏡をかけた薄い頭の男が、言い出しづらそうに口を開く。だが、そう言った男は、何やら不満を抱いている様子であった。


「君が言いたいことはわかる。だが、長官きっての指名だ。特別な理由でもない限り、私も否定はできんよ」


「ですが、この件を任すのには、流石に若すぎやしませんかね?」


「もちろん、私も長官の前で同じことを言ったよ。それでも長官は譲らなかった。まあ、確かに以外で適任はいないだろうがね」


 そう言って、恰幅かっぷくのよい禿頭とくとうの男は、テーブルの上にさらに別の書類を放ってよこす。もう一方の、眼鏡をかけた男は、書類を拾い上げると、内容を読み上げ始めた。


神代かみしろキザシ、二五歳。……当時の国内において、初めて高校在学時に幻闘士ファンタジスタのライセンスを取得した、元最年少記録保持者。その後、東京大学工学部応用幻想子工学科に入学し、主席で卒業する。卒業後は警察庁に入庁するが、幻災対策庁警備局に出向。そして現在、国内のに君臨する〝超〟一流幻闘士」


「経歴、能力ともに、申し分ないだろう」


「確かにそうですが……」


「それでも異論があるのなら、君が彼以上の実力を持った人材を推薦するといい。まあ、そんな人材がこの幻災対策庁にいればの話だが」


 次長と呼ばれる禿頭の男は立ち上がると、ガラス張りの窓へと近寄った。流石に三十四階にいることもあり、景色は壮大だ。北西に位置するこの部屋からは、総理官邸をはじめ、永田町の景色がよく見える。だが、次長は階下に広がる景色を退屈そうに見降ろしていた。


「………………」


「はっはっは、いや、すまんすまん。幻災局特殊対策課、課長の君が異を唱えるのはもっともだ。こんな重大な案件を、何の話もなしに長官の独断専行で決められたら、いい顔なんてできるわけがない」


 幻災局特殊対策課の課長が答えに窮すると、次長は笑いながら自席へと戻っていく。その姿を、課長は恨めし気に見つめていた。


「まあ、そう気落ちするな。もしこの件が失敗に終わったら、長官は責任を取らなければならない。当然、辞任だろう。そしたら、その次は、だ。そしたら、私はこの組織を変えてみせるよ」


 幻災対策庁次長は将来の自身の姿を思い描くと、不敵に微笑んだ。


     ××


 公館の中は至る所に監視カメラが設置され、巡回する警備員の数も相当なものだった。そんな物々しい雰囲気を漂わす厳戒態勢の館内には、豪奢ごうしゃ赤絨毯レッドカーペットが敷かれていた。その上を、神代キザシとその相棒、松本志帆まつもとしほは進んでいた。


(噂通り、かなり厳重な警備だ)


 カメラなどの設備はもちろんのこと、警戒にあたっている警備員の装備まで厳重だった。自衛隊以外で見かけることのない、アサルトライフルを警備員たちが全員所持していることがその証拠だった。


「こちらで少々お待ちください」


 キザシたちを案内していた先導役が声を掛ける。

 彼らの目の前には、特殊合金でできた厳重な扉が待ち構えていた。高さ三メートルもあるその巨大な扉は、いくつものかんぬきで閉ざされ、何者の侵入を拒絶するようだった。

 そして、先導役は扉の一端に駆け寄ると、煩雑な扉の解除手続きを行い始めた。まず、持っているIDカードをスラッシュ、そして指紋、静脈、網膜、声紋など様々な認証をクリアしていく。ようやく、すべての認証が完了したところで、いくつもの鍵が開錠され、ゆっくりと扉が開き始める。〝開けゴマオープンセサミ〟と言えば開く扉とは、大違いだ。


「気を付けてください。この先にある部屋は、。この中で何があろうとも、私たちは手出しができません」


 表情ひとつ崩さず、先導役は警告する。無論、キザシたちもそのことを重々承知している。何も言わずに、ただ頷いた。

 徐々に開いていく扉を見つめながら、キザシは呼吸を整えた。


「松本、準備はいいか」


「いつでもオーケイですよ、主任」


 隣に立つ志帆は、即答する。だが、彼女の声音の中に、緊張が混じっていることを、キザシは逃さなかった。


「入るぞ!」


 迷いのない足取りで、キザシたちは扉の先に続く部屋の中へと踏み入った。


 ……最初に二人を迎え入れたのは、華美な模様のペルシャ絨毯と、天井からいくつも吊り下げられた絢爛豪華けんらんごうかなシャンデリアだった。至る所に高級木材でできた調度品が置かれ、部屋の主がいかに丁重に扱われているか、一目でわかる。部屋の片隅には天蓋付きのベッドが置かれ、貴族が住まうような部屋だという印象を、キザシは抱いた。


 そして、部屋の中央には客を迎えるための、応接用の革張りのソファーが配置されている。その片方に、この〝部屋の主〟が座していた。


「失礼します。私は、幻災対策庁、警備局危機管理室所属の神代キザシ」


「同じく、松本志帆です」


 とりあえずの自己紹介をすましたところで、相手の出方を伺う。だが、相手の反応は思ったよりも柔和だった。


「あら、いらっしゃい。どうぞこちらへ」


 相手に促されるまま、キザシと志帆は部屋の中央のソファーへ向かい、腰かける。対して、彼らを招き入れた相手は少しの間席を外す。だが、すぐに部屋の主は、戻ってくる。

 主の両手には、客人をもてなすためのティーセットが乗った盆を持っていた。それをテーブルに置いたところで、主はキザシたちの向かい側のソファーへ座る。


「はじめまして。私は妖精同盟、統率役代理のミリーナです」


 目の前の白い少女はそう言うと、立ち上がってキザシたちに頭を下げた。

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