3-5

 錆びついた鉄扉は押せど引けども、びくともしなかった。


「……まいったね、こりゃ外から完全にロックされてるよ」


「そんな悠長なこと言ってないで、少しは何とかする方法を考えなさいよ!!」


 呑気のんきに肩をすくめるアタルに、レイラは声を荒げる。手元の端末を見てみると、地下なのだから当然のごとく、通信状態は〝圏外〟と表示されていた。


「これじゃ、助けも呼べないじゃない!」


『お嬢様、少し落ち着かれてはいかがでしょうか?』


 いらだちを募らせるレイラと、彼女をなだめるヴィラル。彼女らとは対照的に、アタルとマナは楽観していた。


『ご主人様、本日はスーパーの卵が半額ですが、このままだと間に合わないのです……』


「はぁ、半額は我が家の家計の大きな助けになってるけど、この状況じゃ仕方ないね」


 自宅近くのスーパーの半額セールに、間に合わないことに悲嘆に暮れていた。


「あなたたち、いい加減にしなさい!!!!」


『うぅっ……、ごめんなさいなのです……』


 レイラの怒声に、画面の中のマナは怯える。


「まあまあ、落ち着きなって」


「落ち着けでっすって!? もしこのまま出られなかったら、あたしたちがどうなるかわかってるんでしょうね!」


「ま、そしたら誰かがここで、ミイラ化したふたつの死体を発見することになるだろうね。それがいつになるかは、わからないけど」


 ジャキン!

 レイラは、短く収めていた両手剣を再び展開。獲物を狙う目つきで、無言のままアタルを睨んでいた。


「待て、待て、待て! 冷静になるんだ! 僕が余裕でいられるのには、ちゃんと理由がある!」


 流石にからかい過ぎたと思い、慌てて弁明しようとした時だった。


 ガチャリ、鉄扉の外側から誰かが鍵を開錠したらしい。そのまま、錆びついた鉄が擦れる不快な音とともに、扉が少しずつ開いていく。

 突然の出来事に、レイラは剣を構える。その間、アタルは彼女の攻撃対象から外れたことに安堵した。

 やがて、部屋の外から鉄扉を解放する人物が、姿を現した。


「よいしょ……っと、みんな大丈夫?」


 ボブカットで、青縁のメガネをかけた少女が、扉の端からひょっこりと顔を出す。


「今のところは、大丈夫だよ。服部」


 扉の鍵を開けたのは、アタルの協力者を自負する少女、服部美幸はっとりみゆきだった。美幸の登場に、アタルは驚くことなく、いつも通りの調子でいた。だが、美幸と面識のないレイラは、困惑した表情で構えていた剣をおろした。


「紹介するよ、彼女は服部美幸。僕たちと同じで、桜鳳学院高等部の研究科の生徒だ。そして彼女には、ここに来る前に、僕の身になにか起こったら様子を見に来てほしいと、連絡していたんだ」


 アタルの余裕は、美幸がここに来ることが分かっていたからだった。それでも、レイラは事態をまだ飲み込めていなかった。そんな彼女の様子にもかかわらず、美幸は目をきらきら輝かせながら、ぱたぱたとレイラのもとへ駆け寄る。そして、剣を握っていないほうの彼女の手を取った。


「はじめまして、レイラさん! 桜鳳おうほう学院高等部、研究科1-Fの服部美幸って言います! 私、レイラさんとこうしてお話することができて、光栄です!!!!」


「え、ええ……」


 会って早々、異様にテンションが高い美幸の自己紹介に、レイラは圧倒されていた。


「レイラさん、オーストラリアで幻闘士ファンタジスタのライセンスを取得してるって本当ですかっ!?」


「そうだけど……」


「か、かっこいいいいいいいい!!!!!!」


 幼い子供のように目をキラキラさせながら、美幸はそのでぴょんぴょん飛び跳ねた。理解しがたい美幸の異常行動に、レイラは若干ひいていた。そんな様子を見かねたアタルは、軽く咳払いする。


「ところで服部、ここに来る前に、この倉庫からスーツ姿の男が出ていくのを見なかったかい?」


「スーツを着た男の人? 私が来た時には誰もいなかったよ」


「そうかい……」


 そう言いつつ、アタルは美幸に目配せする。


(あとで、ここら一帯の防犯カメラの記録を洗ってくれないか)


 美幸もアタルの言いたいことを理解したようで、軽くうなずいた。


「ところで、ここで何かあったの?」


 思い出したように、美幸はアタルたちの背後に広がる空間を覗き込んだ。

 ……言葉には出さなかったが、美幸は驚愕していた。大気へと霧散していく幻獣たちの亡骸はまだ残っていたが、壮絶な戦いがあったことが容易にわかる。同時に、眼鏡越しの美幸の瞳がキラリと光る。アタルのほうへ振り返ると、何か言いたげな視線を送った。アタルは何も言わなかったが、美幸の言いたいことは何となくわかる。


「はやくここから出て、応援を呼びましょ」


 美幸のことを知ったレイラは、手にしていた両手剣を再びしまい、外に出ようとした時だった。


「待った。ひとつだけいいかな?」


 唐突に、アタルはレイラの前に立ちふさがった。


「なに?」


「幻災対策庁に報告するのはいいけど、ここで起こったことはことにしてくれないかな」


「あなた、何を言ってるの?」


「ここに僕はいなかった、そういうことにしてほしい」


「またそんなことを……、この後の処理を全部あたしに押し付けるってわけ? ふざけないでよ!」


 不躾ぶしつけな依頼に憤慨するレイラは、アタルに突っかかる。それでも、アタルとしては、自身の行動理念を曲げる訳にはいかない。一方で、美幸は何もできず、ふたりのやりとりを黙って見ているしかなかった。三人の間に流れる空気は、不穏なものへと変わる。


「もちろん、面倒ごとをタダで君に押し付けることはしない。僕が倒した幻獣二体分の討伐実績と、報酬を君に差し出すよ」

 

「いらない!! 幻獣討伐の報告や報酬をもらうことを放棄するなんて、幻闘士としての義務を放棄していることと同じよ。それがわからないの?」


「君の言うことはもっともだよ」


「だったら……」


「それでも、僕にはがあるんだ」


 甲高い音が、地下の大空間を駆け抜ける。

 レイラの放った鋭い平手打ちが、アタルの右頬を打った音だった。


「最低よ、あなたは」


 吐き捨てたようにレイラは言うと、アタルを視界に納めないように背を向ける。アタルも黙ったまま、地下室から出ていった。


「ごめんね、レイラさん。あとのことはよろしく……」


 困惑したままの美幸はそう残すと、先に地下室を後にしたアタルを追いかけていった。


     ××


「あれで本当に良かったの?」


 すでに時刻は午後七時を過ぎていた。

 一発張られ、じんじん痛む右頬を抑えるアタルに、美幸は問いかける。


「仕方ないよ、僕にだって譲れないものはある。このくらいで済んだだけで、まだよかったのかもしれない」


 遠くを見つめたまま、アタルは答えた。別れ際の、レイラの失望に満ちた表情が、いまだに脳裏から離れない。


「そう……。ところで話は変わるけど、あの倉庫で何があったか教えてくれない?」


 アタルは倉庫の地下室で起こった出来事を、美幸に説明していった。突如現れた正体不明の男と、五体の幻獣。そして、男が去り際に残した謎のセリフ。そのひとつひとつを、詳細に語った。


「なるほど、そして幻獣との闘いになったってわけね。それにしても、あの戦いの跡は全部レイラさんがやったの?」


「そうだろうね。僕は自分の戦いに集中していたから、彼女の戦いを直接見てない。もしかしたら、彼女の持ってる武器に、なにか秘密があるのかもしれない」


「へえ……あの剣にね……」


 不敵に美幸は笑む。どうやら、美幸の知的好奇心を刺激してしまったようだ。一度こうなってしまうと、彼女はどこまでも徹底的に調べ上げる。それも、外交上の密約だろうが、国家機密であろうがお構いなしに。アタルも余計なことを知りすぎないよう、必要なこと以外は美幸に聞かないよう心掛けている。知らなくていいことも、世の中にはあるのだ。


「ところで今回の一件、服部はどう思う?」


「レイラさんが言っていた幻想子の花や謎の紳士の目的も気になるとこだけど、一番印象に残るのは、やっぱり〝フィンブルの冬〟かな」


「それが意味するのは、いったい何なんだろう?」


「フィンブルの冬……北欧神話の世界の終わりラグナロクの前兆となる出来事のことだって」


 手元の端末に表示された内容を、美幸は読み上げた。


「世界の終わりの前兆だって? それは、随分と物騒なキーワードじゃないか」


 全く想像していなかった意味に、アタルは憂慮する。すると、隣で歩いていた美幸は急に足を止めた。後ろを振り向くアタルに対して、美幸は真剣な眼差しを向けていた。


「アタル君。この事件、思っている以上に、大事件になるかもしれないよ」

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