5-1:落日へのカウントダウン

 川崎の倉庫での幻災から一夜明け、アタルはいつも通り学校に登校する。だが、学校に来てみれば、上級生を含めた全生徒が、レイラのことで盛り上がっていた。


 無論、アタルのいるクラスも例に漏れず、クラスの中のグループのあちこちから彼女の名前が飛び交っていた。そんな中、どのグループにも属していないぼっちのアタルは、ただひとり、机の上に突っ伏して寝ていた。

 いな、本当に寝ているわけではない。冷静に、クラスメイトたちの話題をひとつひとつ聞き分けていた。それらの中に、自分の名前が出ることがないか聞き耳を立てていた。あまり褒められることではないが、どうやら、それは徒労だったらしい。


(誰も、僕の名前を出すことはない。……どうやら、彼女は僕のことを報告しなかったみたいだ)


 緊張の糸が緩み、安心したアタルは、全身に張っていた力を徐々に抜いていった。そして、誘われるように、心地の良い眠りへと落ちていった時だった。


「おーい、神代はいるか?」


 ガラガラとドアが開けられ、目つきの悪い女教師が、教室内を覗き込む。突然の教師の訪問に、不意打ちを食らった教室は一斉に静まり返る。

 それでも、女は生徒たちのことを気にすることなく、アタルを探し始めた。そしてすぐに、自席で寝ているアタルを見つけると、その場へすたすたと歩み寄る。

 だが、当のアタルはすでに夢の中。周りの状況など、知るよしもない。彼のまわりの生徒たちは、これから彼に起こる固唾かたずをのんで見守るしかなかった。


 女教師はアタルの目の前でピタリと止まると、持っていた出席簿をゆっくりと振り上げてから、――勢いよく振り下ろした。


     ××


「いてて…………」


 じんじん痛む後頭部を撫でながら、アタルは自分を呼び出した教師、和水唯花なごみゆいかの後ろを歩いていた。


「あたしの目の前で寝るとはいい度胸だな、神代」


「まだ授業は始まってないんだから、いいじゃないですか」


「うっさい」


 唯花は、アタルの意見をバッサリと切り捨てる。それ以上、何も言えなくなったアタルは、黙って後をついていくことしかできなかった。


 和水唯花なごみゆいかは、アタルのいるクラスの担任である。担当教科は国語だが、この桜鳳学院の戦闘科の教師ということもあり、闘幻士ファンタジスタのライセンスも持っている。年齢は二十七歳で、よく合コンに参加しているらしい。だが、どうやらその戦績は、あまりよろしいものではないというのがもっぱらの噂だった。

 そして、アタルはこの和水唯花が苦手だ。彼女の粗暴で適当な性格は、不真面目を装っているアタルと全く合わない。だから、こうして朝から呼び出されたのは、彼にとっては最悪と呼ぶしかなかった。


「あれ? 先生、職員室はそっちじゃないですよ」


 職員室とは別の通路に進んでいく唯花を、アタルは呼び止めた。


「ん、そっちには行かない。いいからついてこい」


 ますます嫌な予感がするアタルは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 唯花に連れてこられたのは、教室がある校舎から少し離れた別棟の階段の踊り場だった。授業前ということもあり、ひとけは全くなかった。

 こんな場所につれてきた唯花の真意を測りかねたアタルの心の中は、不安でいっぱいだった。まさか教師が生徒にカツアゲなどするわけないとは思うが、唯花ならばあり得ない話でもないと、アタルは身の上を案じる。


「神代、昨日の放課後、お前川崎で何してた?」


 いきなりの核心をついた質問に、思わずアタルは狼狽うろたえる。


「え……なにっていわれましても……」


 はぐらかそうとするアタルを追いつめるかのように、唯花は勢いよく壁に手をついた。いわゆる、壁ドンという格好になった形だ。もし、立場が逆であるなら、いけない青春の一ページとも呼べる風景になるのだが、この場合は完全に恫喝どうかつの現場である。

 目を泳がせ、動揺するアタルの様子を見た唯花は、得意げな表情へと変わっていった。


「隠したって無駄だ。昨日、あたしがあの辺の店で飲んでいたら、お前とグローフリートが一緒になって歩いていたのを見たんだ」


 想定外だ。唯花は昨日、休みを取っていたが、まさか川崎で飲んでいたなどと誰が思うだろうか。しかも、よりによってこのたちの悪い女教師にレイラと一緒にいるところを目撃されていたとは、非常事態である。


「……あの時間から酒を飲んでたんですか?」


「うるさい、あたしが休みに何しようが、あたしの勝手だろ! いやあ、それにしても、まさかお前みたいな性欲のなさそうな男が、転校してきた美少女に速攻で手を出すとは恐れ入った。で、……どこまでいったんだ?」


「なに言ってるんですか! なんもないですよ」


「とぼけんなよ。人畜無害そうな奴ほど、心の中はカラカラに飢えてるもんだ。慣れない環境に戸惑う子羊のような女に甘い言葉をかけ、うまく誘いだしたところで、……ガブリだ」


 ニタニタと悪い笑みを浮かべる唯花に、アタルは鳥肌が立った。生徒の性事情を詮索し、それを酒の肴にするという噂はどうやら本当だった。そして、彼女の矛先がアタルに向けられてしまったのは、何よりの悲劇だ。


「もしかして、欲求不満なんですか?」


「殺すぞ」


「…………………………………………」


 混じりけのない殺意のこもった眼差しと、ドスの聞いた低い声にアタルはそれ以上何も言えなくなる。 


「まあいい、あたしは聖職者だからな。生徒がどんな付き合いをしていようとも、陰で優しく見守るだけだ。だけど、トラブルだけは勘弁しろよ。例えば、妊娠、責任、退学、非行……」


「誤解ですから! 彼女とは何もありません」


 アタルが誤解を解こうと躍起になった途端、唯花はつまらなそうな表情に変わる。気分屋な唯花に振り回され、朝の眠気などどこかに吹っ飛んでしまった。


「けっ、つまんねーな。それじゃ、そろそろ授業が始まるから、早く教室に戻れ」


 ようやく解放され、心の中で安堵しながら、アタルは唯花に背を向ける。そしてそのまま、教室へ戻ろうとした時だった。


「そうだ、神代。最後にひとつ。お前はグローフリートが幻獣と戦っていた時、何をしていた? まさか、ただ黙って見ていた、なんて情けないことはないよな?」


「……そもそも、僕はその場にはいませんでした。その前に別れていたんで」


 振り向かず、アタルは答えた。唯花が何か言ってくるかと思えば、背後からは何も聞こえなかった。彼女がどういう表情をしているのか分からないが、アタルはとりあえず教室に戻ることにした。


     ××


「服部、昨日頼んだことはどうだった?」


 時刻は正午過ぎ。桜鳳おうほう学院の食堂はいつも通り、昼食をとるための生徒たちの活気であふれていた。そんな中でアタルはこれまたいつも通り、美幸と一緒に昼食をとりつつ、昨日の出来事について話し合っていた。

 ほかの生徒の耳に入る懸念も当然あるが、アタルたちのすぐそばでは、学校内でもイケイケの大所帯が毎日飽きずにバカ騒ぎしている。そんな彼らの笑い声は、アタルと美幸の会話をうまく隠してくれていた。


「ごめんね、特に目ぼしい収穫はなし。アタル君の言う怪しい男は、防犯カメラの死角を熟知していたみたいで、足取りは結局つかめなかった」


「ほんとうに一台もカメラに映ってなかったのかい?」


「そう。川崎市とその周辺に設置してある数千台のカメラの記録映像を洗ってみたけど、全然ダメ」


 そう美幸は言うと、眠たそうに大きなあくびをした。数千台のカメラの記録映像を確認していくのは、相当骨の折れる作業だっただろう。多少はプログラムで補助はしているのだろうが、美幸には無理をさせた。そう思ったアタルは、少し罪悪感を感じる。


「悪いね、無理をさせてるみたいで」


「気にしないで。昨日は課題のレポートやってたせいで、遅くまで起きてただけだから……ふぁーあ……」


 再び、美幸は大きなあくびをする。アタルは、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「研究科の課題はそんなに大変なのかい?」


「課題自体は大したことないんだけど、今後はレポート提出が多くなりそう」


「へえ、何か方針でも変わったの?」


「なんか、国が研究目的で利用している幻想子ファンタジウムに、制限をかけようとしてるみたい。いままで、幻想子さえ確保できれば実験し放題だったんだけど、それを幻災対策庁や、文部科学省が問題視しちゃって。もし規制がかけられたら、決められた量の幻想子で、実験を行わないといけなくなるの。で、学校としては、実験より座学を多めにせざるを得なくなったから、レポート中心に進めていくわけ」


 昨今、研究施設から幻想子の漏出ろうしゅつ事故が相次いでいた。それに対する市民の不安を取り除くための政策なのだろうと、アタルは思った。


「そんなことになっていたなんて、全然知らなかった」


「そもそも、研究所が適切に幻想子を管理していれば、こんなことにならなかったんだけど。まあ、相次ぐ不祥事のため、やむなしといったところかな。でも、この規制には、多くの研究者が反発しているみたい」


「そりゃそうだ。にしても、今後は服部も忙しくなりそうだから、調べ物は僕が中心になってやるよ」


「心配しなくてもいいよ、やることはきっちりやらせてもらうから。レポートの作成に時間をかけるなんて、もったいないし。それより、謎の男の追跡だけど、こうなったら、某国の監視衛星の画像も洗ってみることにするよ。こっちはセキュリティが段違いに厳しくなるけど、三、四時間もあればアクセスできるし」


「あまり、危ない橋を渡ることのないように頼むよ……」


 危険な領域に足を踏み入れようとする美幸を、アタルは苦笑しながらなだめる。難しいことに挑戦しようとすると、周りが見えなくなるタイプの美幸をうまくコントロールするのはアタルの役目だ。


「わかってる。私がへまをすれば、アタル君の迷惑になっちゃうしね。そこんところは、わきまえてるつもりだよ」


「よろしく頼むよ」


 ほかにいくつか美幸とやりとりをしていたら、昼休みはあっという間に終わってしまった。

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