3-3

 凄まじい轟音ごうおんに、アタルの鼓膜は激しく震える。同時に、レイラの、最新式の装置が組み込まれたブーツに対する乱暴な扱いに、眉をひそめる。

 だが、彼女は気に留めてはいないようだった。そうして、片側が大きく空いたドアからレイラ、そしてアタルの順に部屋の中へ突入する。


 ……扉の先には、想像以上の大きな空間が広がっていた。地下であるため、天井はそれほど高くはないが、学校の体育館ほどの広さはあるだろう。太陽光を模した発光ダイオードの照明が、いくつも天井から吊り下げられ、薄暗さに慣れた目には眩しいくらいの明るさに満ちていた。


『何も……ない?』


 呆気にとられるようなレイラの声が、ヘッドセットから流れる。なぜなら、言葉通り、そこには、何もなかった。今朝、彼女が言っていた虹色の花弁をもった花も、無論、なかった。

 アタルは何も言わず、床へと視線を落とす。


 ……コンクリートの打ちっ放しの床には、黒土が散らばり、何かを栽培していた痕跡が見て取れる。だが、肝心の現物がなくてはどうしようもない。


「どうやら、君の言っていた物は、すでに別の場所に移されてしまったみたいだ。だけど、ここで何かを栽培していたのは間違いない。何か手掛かりがないか探してみよう」


 落胆するレイラの背中に、アタルは声をかける。何も言わずに頷く彼女は、悔し気な表情を浮かべていた。

 倉庫の地下に広がる大空間には、今のところ人の気配は感じられない。二人がさらに奥へと進むと、部屋の一角がパーティションで区切られていた。中を覗いてみれば、いくつかの机と椅子が並べられ、事務関係の作業がここで行われていたことを伺わせる。試しに、机の引き出しをいくつか開けてはみたが、中身は空っぽで何もなかった。


「ちょっと……、これを見て」


 レイラの指し示した場所、そこには黒い一斗缶があった。何かを燃やしたせいか、一斗缶は茶色と黒色に煤けていた。それを見たアタルは、諦めたように悟る。

 一斗缶のそばにいたレイラが、中に手を突っ込んで取り出したのは、真っ黒に燃えた紙の燃えかすだった。


 自分たちの痕跡を完全に消し去る隠蔽工作には、見事と言うほかなかった。恐らく、警察の鑑識を呼んだとしても、この部屋には指紋の一つも残されていないだろう。


「やられたよ、完璧な証拠隠滅だ。僕たちにできることは、ほとんどないだろう」


 どっと押し寄せる疲れから、アタルはため息を漏らす。いや、漏らさざるをえなかった。こうなってしまっては、もう自分たちにできることはない。とにかく、ここは一旦倉庫から出て、しかるべき行政機関に連絡をとろうと考えた。


 レイラは、唇を噛みながら、一斗缶にたまった燃えかすを見つめていた。一斗缶の中に視線を注ぐ、彼女の鳶色とびいろの瞳には口惜しさと、後悔の色が滲んでいた。


「まだ……まだ何か手掛かりが残っているはず。それが見つかるまで、あたしは帰らない」


 絞り出すような声を上げて、彼女は拳をぎゅっと握る。なぜここまで彼女がこだわるのか、アタルには分からなかった。だが、それは彼女の心の深い部分から来ている、信念と呼ぶべきものでもあった。


「……わかった。折角ここまで来たんだ、僕も少しだけ付き合うよ」


 彼女の見せる感情にほだされ、アタルもその場に留まることにした。

 それは、アタルにとっても、驚くくらいの珍しいことだった。学校では目立つことを嫌って、人とあまり深く付き合うようなことはしてこなかった。いつものアタルであれば、この場は間違いなく立ち去っていただろう。しかし、今は自らの意思で、この場に残ることを選択したのだった。


 どうしてこのようなことをしたのか、アタル自身にもぼんやりとしていて分からない。ただ、レイラに興味が湧いたのだ。こんな風に他人に興味を持ったのは、美幸以来のことだった。


(これもまた、一つの出会いというやつか)


 そう自分を納得させつつ、アタルが部屋を探索しようとしたときだった。


「なんだ!?」

「ちょっと、なにっ!?」


 突然、視界が漆黒の闇に染まる。

 それまで眩しいくらいに明るかった照明が、急に消えてしまった。咄嗟の事態に、アタルとレイラは冷静さを失う。だがすぐに、ふたりの端末の画面から放たれる小さな明かりが互いの顔を照らした。


「大丈夫かい?」


 僅かな明かりに照らされたレイラの顔を確認し、アタルは声を掛ける。


「ええ、何ともないわ。ちょっと待ってて、いまライトを取り出すから……」


 ――ガチャン!


「!!!!」


 真っ暗闇の中、重苦しい金属音が室内に響く。同時に、それまで室内にはなかった臭いが充満する。生臭く、不快なにおい――獣臭けものしゅうだ。


『警告! 付近に高濃度の幻想子ファンタジウム反応を確認なのです! 数は……』


 ――しまった!


 その瞬間、アタルは室内に突入する前のことを思い出す。この部屋に入る前に、マナは幻想子の存在を示していた。アタルたちには、それが不正流通する幻想子、もしくはレイラの言っていた〝花〟のことだと思いこんでいた。だが、幻想子を含む存在は他にもある。

 例えば、昨日アタルたちが遭遇した、――


「早くライトで――」


 アタルが指示を出しかけたところで、今度は辺りが真っ白になる。どうやら、室内の照明が回復したようだ。照明の明暗に出足をくじかれたものの、アタルはすぐに拳銃を前に構える。


 ……それまで何もなかった空間には、いつの間にか、巨大で無骨な鉄製の檻がも出現していた。そして、どの檻の中にも、普通の大きさではない動物たちが目を閉じて眠っていた。


「……ほほう、ずいぶんとかわいい得物が餌に誘われたものだ」


 どこかで聞いたことのある声。だが、それがいつだったかは思い出せない。声のする方向を注視するが、あいにく巨大な檻が重なり、アタルの立つ場所からは姿を見ることはできない。


「誰っ!?」


「これは失礼、私はこの倉庫の管理者。……いやいや、ネズミが罠に掛かったと思えば、学生さんのようで私も驚いたよ」


 レイラが話す相手は、この状況をまったく動じない、落ち着き払った声で返答する。その落ち着きぶりに、アタルはどこかで会ったような感覚を思い出す。じれったくなったアタルは、レイラのそばまで駆け寄った。


「あ、あんたは……」


 アタルは驚きのあまり声を失う。

 綺麗に仕立てられたスリーピース・スーツと、形の整った中折れ帽。そして、優雅にたくわえられた口髭が特徴的な、初老の男がそこにはいた。


「君は昨日の……、そうかそうか。いやはや偶然、いや、これは必然の出会いというのかもしれない」


 昨日の夕方、アタルとぶつかった初老の男は、面白いとばかりに笑う。対して、アタルは何が何だか、さっぱり分からなかった。


「あなたの知り合い?」


「いや、昨日の夕方、道で偶然ぶつかった相手だ。名前は知らない」


「そう」


 それまでレイラは、警戒するような視線をアタルに送っていた。だが、男とアタルに面識がないことを知ると、再び、男の方へと向き直る。


「悪いけど、この倉庫の管理者って言ったわよね? だったら、ここに保管していた物の正体を教えなさい。言っておくけど、抵抗しようなんて考えないことね。もし抵抗するのなら、こちらも相応の対処をとらせてもらうわ」


 臨戦態勢。まさに今、レイラを包む空気は緊張で張り詰めていた。


「血気盛んであるのは結構、だが、人の話を聞かないのはよろしくない。まずは少し、世間話でもしようではないか」


「そんな悠長なことはしてはいられないわ」


 男の提案をピシャリと跳ね除けると、レイラは、折りたたまれていた両手剣を構える。すると、即座に刀身が展開し、あっという間に、彼女の身長に届くほどの長さまで伸びた。


「待つんだ、話も聞かずにそう早まるな」


 アタルは慌てて、レイラと男の間に割って入った。目の前の男が幻想子の不正流通に関わっているのは、限りなく黒に近いが、まだ決まったわけでもない。


「君は物分かりがいいようで、大変よろしい」


 初老の男は余裕を崩さず、微笑んでいた。アタルには、男が何を企んでいるのか全く分からない。


「まずはこの状況だ。どうしてこの部屋に檻に入った幻獣がいるんだ?」


「ふふ、それは簡単な話だよ。これらは私の個人的なだからだ」


「コレクションだって?」


「そうだ、こいつらは私の研究成果でね。君たちもよく見てみなさい」


 初老の男は、自信たっぷりに両手を広げると、檻の中で眠る幻獣たちを誇示する。


「今は安らかに眠っているが、どれも元々の動物たちより体が一回り大きく、角や爪、牙が段違いに発達している。それに何といっても、この体色。とても美しい純白だ……」


 えつに入ったように、男はまくしたてる。


「どうかね? この世のものとは思えないだろう。彼らは生物として一段階、したんだよ」


「おかしなことを言わないで! 幻想子を使って、無理やり体細胞を変異させただけでしょ! それが進化なんて、絶対に違う!!」


 男の主張に、いてもたってもいられず、レイラが声を張り上げる。アタルも、彼女の意見に賛成とばかりに、大きくうなずいた。


「彼女の言うとおりだ。地球上にもともと存在しない物質で、得られた力を進化とは呼ばない」


 やれやれ、とばかりに男は肩をすくめてため息をついた。自分の主張が受け入れられないことが気に入らないらしい。


「とにかくだ。あんたが幻想子を使った違法な実験で、幻獣を生み出していたことは決まりだ、もう逃げ場はない」


「逃げ場がない? それはいったいを言っているのかね」


 パチン、と男は不敵に笑いながら、指を鳴らした。それが、何かの合図だったのだろう。檻に入っていた幻獣たちが一斉に目を覚ます。そして、グルル、ガルルと唸り声をあげながら、幻獣たちは檻の中で暴れ始めた。


 アタル自身、こうなることはもちろん想定していた。男の揺るがぬ自信は、初めから幻獣をアタルたちに差し向ようとする優位からきている。


「それでは、私はここで失礼するよ。他にもやらなければならないことがあるのでね」


 男は振り返りざまに、帽子を軽く持ち上げる。最後まで紳士を装った仕草は、レイラの癪に障る。


「待ちなさい! あなたの目的は何なの?」


「……もうすぐ、〝フィンブルの冬〟がやってくる。我々はその準備をしているだけさ」


 意味深なセリフを残して、初老の男は、この部屋の唯一の出入り口である鉄扉から出ていった。

 ガチャリと、扉に鍵がかけられる音がしたかと思えば、反対に、幻獣の入っていた檻の鍵は外れたようだった。


 目の前の獲物を見据えた、十の赤いまなこは、アタルとレイラに向けられていた。


(……やれやれ、どうして僕がこんな面倒な目に合わなくちゃいけないんだろう)


 はあ、とため息一つ。


 それが、何かしらのシグナルになったのだろう。自由を与えられた獣たちは、一心不乱にアタルたちに飛び掛かっていった。

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