3-2

『ご主人様、放課後なのです。デートのお約束があるのでは?』


 学校の授業がひと通り終わり、ちょうどアタルが校外に出たときだった。ポケットの中の端末からマナの声が発せられる。周囲には多くの生徒もいる中、デートという言葉に反応した人物もちらほら。アタルは慌てて端末を取り出す。


「こら、間違った表現を使うな。どうしていつも君は僕を困らせるんだ……、昨日も散々注意しただろう。いいかい? これは決してデートなんかじゃない、彼女の調べものを手伝うだけだ」


 うんざりとした口調でアタルはマナを諭す。AIを諭すというのもはなはだおかしいとは思うが、見た目の幼いマナに対して、アタルはいつもこのような対応になってしまう。


『申し訳ないのです……。これからはもっと気を付けるのです……』


 がっくりとうなだれるように、マナは落ち込む。そんな姿を見せつけられて、アタルはため息をついた。


「分かってくれればそれでいいんだ。それとマナ、僕はこれから一昨日の夜にいった倉庫に行く。その時何があっても、僕がそこにいたことを匂わせる発言は、絶対にしないように。それだけは約束してくれるかい?」


『了解したのです! このすーぱーAIのマナ、存在意義を賭けてでも、ご主人様の命令を全うするのです』


 なんだかなあ、と釈然としない表情を浮かべるアタル。マナの調子の良さには若干の心配があるが、これで懸念の一つは何とかなったと思うしかない。


「待たせたわね。えーっと、かみ……」


 少し遅れて、レイラがアタルと合流する。ただ、彼女のいで立ちは少し変わっていた。彼女は学校の鞄以外に、大きなライフルケースを背負っていた。おそらく、中にはあの両手剣が入っているはずだが、少し長さが足りない気もする。いったいどのようにして剣がしまわれているのか、気になるところである。


神代かみしろだ。でも、わざわざ名前で呼ばなくてもいい、あなたで十分だ。僕も君のことは君としか呼ばない」


 アタルの発言の真意が分からず、レイラは顔をしかめる。


「どういうこと?」


「名前で呼び合う仲にはならないということさ」


「変なの。あたしは別に構わないけど」


 アタルの奇妙な宣言を気にせず、レイラはアタルに背を向けて歩きだした。その背中から数歩離れるようにして、アタルはついて行く。


 ――そうして、レイラとアタルは、学校の最寄り駅から電車に乗る。そうして、いくつか電車を乗り換えると、二人の乗る電車の車窓からは、青緑色に染まる東京湾が見えるようになった。

 だが、アタルとレイラの間に、これといった会話はない。乗り換える電車や、道を示す時くらいしか、アタルは彼女と話さなかった。

 そんな気まずい空気がふたりの間に漂う中、アタルは段々と目的地に近づいていることを感じとる。おとといの夜に、彼女と同じ場所にいたのだから、知らないはずもないのだが。


 目的地に一番近い改札から外に出れば、目の前には無機質なオフィスビルと幹線道路が巡る殺風景が広がっていた。夜に来た時は分からなかったが、日が暮れていない時間帯でも、人通りがほとんどない。こんなところを高校生の男女が歩いていたら、嫌でも目立つ。アタルがあれやこれと考えている隣で、レイラは慎重に辺りを見回していた。


「ここからしばらく歩くわ。でも気をつけて、倉庫の関係者がうろついてるかもしれない。もし誰かに尾行されてると感じたら、すぐあたしに言って」


「そんな状況で、本当に目的地にたどり着けるのかい?」


「大丈夫。ある程度まで行けば、誰にも気づかれずに一気に倉庫街の中に入れるから」


 アタルには、レイラの言おうとしていることが分かった。十中八九、彼女はアタルが教えた地下通用口を使おうとしているのだろう。


「ここよ。暗いから足元に注意して」


 予想通り、レイラはアタルのよく知る地下通用口の入り口にやってきた。階段を下っていけば、オレンジ色の照明が点々とした細いトンネルが現れる。

 すると、彼女はカバンの中からフラッシュライトを取り出した。そして、トンネル内を照らしながら、堂々と進み始めた。トンネルの存在は、美幸が調べ上げたものであるが、そのことをレイラが知るはずもない。

 

 ちゅうちゅうと、トンネル内にはネズミの鳴き声があちこちから反響していた。不気味なトンネルをある程度進んだところで、ふたりの目の前に鍵のかかった扉が現れる。いたる所が錆びついた扉を見たアタルは、途端に苦い記憶がよみがえる。


 前回この場所を訪れたとき、アタルは何者かに追われるレイラを助けた。しかし助けた彼女に扉の鍵を掛けられてしまったことで、脱出するのに大変な苦労を要した。その彼女が目の前にいる手前、顔に出すことはできないが、何とも言えない複雑な気分だった。


 扉の鍵を開けて、その先の梯子はしごを上り、重い蓋のような扉を開ければ、そこはすでに倉庫の中だった。段ボール箱がいくつも積み重ねられ、整然と並ぶ倉庫内に人の気配はなかった。

 ドアが完全に閉まらないようにストッパーを仕込んでから、レイラは少しだけ顔をだして外の様子を確認する。しばらくして、彼女は指でアタルに問題ないというサインを送る。


 倉庫から外に出れば、日が傾きだしているせいか、辺りは暗くなりはじめていた。物寂しく、静まり返る倉庫街を闊歩する二人の高校生。青春と呼ぶには、いささか周囲に何もなさすぎる。


「待った」


 それまで静かに付いてきていたアタルが、先をいくレイラを呼び止める。何事かと懸念する表情を浮かべ、振り返る彼女に、アタルは黙ったまま一点を指さした。彼の示す先には、倉庫の壁に設置された監視カメラが無音でこちらを見降ろしていた。


「よく気が付いたわね、助かったわ。それじゃあ、別の道を進みましょう」


 倉庫街に仕掛けられている監視カメラの場所を、アタルは覚えていた。

 彼女に協力するのはいいが、できるかぎり、事は大きくしたくはない。監視カメラに姿が写ってしまうというのは、もってのほかだった。

 幾度いくどか監視カメラを指摘して、進路を変えること数回。ようやく二人は目的地の倉庫付近にたどり着いた。ほかとは違って、この倉庫だけは電子キーが設置されておらず、自由に出入りができる。


「聞くのを忘れてたけど、この中はどうなってるんだい?」


「暗かったから鮮明には覚えてないけど、入ってすぐは周りの倉庫とおんなじで梱包品が積まれてる。でも、それだけじゃなくて、この倉庫には地下へと続く階段があるのよ。その階段を降りていった先で、たくさんの幻想子ファンタジウムの花を秘密裏に育ててたわ」


「それじゃ、麻薬工場とまるっきり同じじゃないか……」


 今から踏み込もうとしている先には、幻想子ではなく、芥子けしの花ではないか? アタルは急に心配になる。刑事ドラマのような、ハードボイルドさなんて微塵もない。レイラは一人前かもしれないが、アタルはまだ見習い幻闘士ファンタジスタなのだ。


 入口を慎重に開き、音をたてないように慎重に庫内に滑り込む。目的の倉庫には、あっさりと侵入することができた。だが、明かりとなるものが採光用の窓しかないため、薄暗く視界が悪い。

 そして、ふたりは劣化した工業用の油と、埃の匂いが立ち込める倉庫内を進む。僅かな光源のなかで、唐突にレイラがしゃがみこんだ。


「……この床を見て、たくさんの足跡が残ってる。かなりの人間がここを出入りしていたみたいね」


 確かに、埃の厚く積もったコンクリートの床には、無数の足跡が残されている。形がはっきりと残されていることから、ごく最近に着けられたもので間違いないだろう。


「ねえ、早く来て」


 レイラに呼ばれ、急いでアタルが向うと、事前に彼女が言っていた通り、地下へと続く階段が姿を見せた。暗闇へと続く階段の先には、人の気配や音を全く感じない。不気味とも思えるその雰囲気に、アタルは少しばかり身がすくむようだった。


「この階段を降りた扉の先に、例のモノがある。いい? あたしたちはそれが幻想子だって確認したら、すぐここを出るわよ。こんなところに長居したって、いいことなんて、何もないんだから」


 緊張した面持ちで、レイラはアタルに説明する。


「それと、……万が一に備えて、武器の準備もしておきなさい」


 そう言うと、彼女は背中のライフルケースを開き、中から銀色の構造物を取り出した。それはもちろん、昨日彼女が使っていた両手剣の柄だった。だが、驚くべきことに、柄と刀身の半分は折りたたまれていた。これなら、ライフルケースの中に入れて持ち運ぶことができる。そして、いざというときに展開すれば、反幻想子アンチ・ファンタジウムの刃が現れるといった仕組みなのだろう。


「すごいなそれ。昨日見たときは何も思わなかったけど、そんなふうに折りたたんで携帯できるのか」


「これも、海の向こうで作られた試作品。でも、いろいろと欠陥を抱えているから、使用に関しては制限リミッターがかけられてるんだけどね」


 レイラの装備は、この国の幻闘士ファンタジスタが持っていない物ばかりで固められていた。これほど頼りになる存在はそうはいない。それまで扉の中に踏み込むことを躊躇ちゅうちょしていたアタルも、いつも通りの落ち着きを取り戻す。


 彼女の準備を見届けたところで、今度はアタルが背中に差してあるホルスターから自身の得物を取り出す。黒と金のブレイジング・カストル、そして銀と黒のフリージング・ポルクスの遊底スライドが薄明かりの中で鈍く光る。


「あなた、拳銃を二丁も持ち歩いてるの? いまどき二丁拳銃なんて、何の役にも立たないわよ。なんだか、あなたの実力を疑いたくなってきたわ……」


「君の思うとやらがどれほどかは知らないけど、この銃はそれぞれ役割があって使い分けてるんだ。二丁拳銃なんて、映画の中だけで、実戦では使い物にならないくらい分かってるよ」


 アタルは二丁の拳銃に、それぞれ弾倉マガジンを込める。


『連射拳銃ブレイジング・カストル及び、精密射撃拳銃フリージング・ポルクスへの反幻想子アンチ・ファンタジウムの注入を確認』


 マナの小さな音声ガイダンスが端末から流れる。物音を立ててしまったことで、アタルは慌ててヘッドセットを取り出して自身の耳に装着した。


「それぐらいの音声なら大丈夫。誰も気が付かないわよ。それと……、この際だから紹介するわ。これが私のサポートAI、〝ヴィラル〟よ」


 そう言うと、レイラは自身の持つ端末をアタルに見せる。この前の戦闘中に呼んでいたのを聞いていたため、名前は知っていた。だが、彼女のAIの姿を直接見たことはなかった。


 レイラの向ける端末を覗き込むと、画面の中には、いかにも執事といった燕尾服を着用した青年が映り込んでいた。真っ黒な髪に鋭い目つき、もしこのような人物が実在していたら、相当の目力である。


『お嬢様から紹介を預かりました、サポートAIの〝ヴィラル〟でございます。なにとぞお見知りおきを』


 そう名乗ると、ヴィラルは画面の中で深くアタルに向けて一礼する。


「こちらこそ……」


 あまりの礼儀正しさに、アタルも思わず礼を返す。アタルのマナと比べると、レイラのヴィラルこそが、サポートAI本来の姿であると思わざるをえない。


「なにあなたも礼を返してるの。とにかく、ここから先は口頭じゃなくて、ヘッドセットを使って会話するわよ。私の端末と、積極的同期アクティブリンクしてちょうだい」


「それは、ちょっと勘弁してくれないかな……」


 積極的同期とは幻闘士の戦闘時において、特定の端末の間でデータ送信を優先的に行うことである。そうすれば、二台の端末のサポートAI間でデータを並列高速処理をする可能になる。それにより、互いの連携を飛躍的に向上させることができる。


 しかし、レイラの提案にアタルは難色を示した。

 積極的同期アクティブリンクによって、個人情報などプライベートな事柄は同期した相手に知られることはない。

 だが、そのシステムの目的は、情報共有による優れた戦闘指揮である。戦闘を目的にしたシステムである以上、本人の戦闘スタイルやデータを、相手に開示せざるを得ない。結果として、同期すれば否が応でも相手の数値化された力量を知ることができる。


 加えて、この行為は、互いの力量を知る信頼関係が築かれた幻闘士ファンタジスタのペアが行うものだ。初対面の幻闘士間で行われることはまずない。昨日初めて会った(本当は二日前だが)ばかりで、何も知らない相手との積極的同期を、そう簡単には了承できない。


 ……ここまでは、建前上の話である。アタルの本音としては、信頼関係云々うんぬんよりも、重大な〝秘密〟をレイラに隠さなければいけなかった。


「なんで積極的同期アクティブリンクできないのよ? 確かに、出会ったばかりで抵抗があるのは分かるけど、状況が状況よ。意思疎通の齟齬そごでしくじったりしたら、元も子もないわよ!」


「君の言いたいことは理解できる。だけど、こっちにも事情があるんだ。もし、意思疎通のことを気にするんだったら、消極的同期パッシブリンクでも問題ないだろう」


「ちっ、……そこまで言うんだったら仕方ないわね。ヴィラル、消極的同期パッシブリンクの準備をお願い」


『承知しました、お嬢様』


 アタルの意見に、レイラは不審な表情を浮かべつつも、端末の中のヴィラルに命じる。


『【ID:Layla Grofleet】から消極的同期パッシブリンクの認証要求なのです!』


 間髪入れずに、マナが同期の認証を求める。そしてアタルは、画面に表示される〝認証〟の文字に指をわす。


『聞こえる?』


 ヘッドセットを通じて、レイラの囁き声がアタルの耳に響く。指で軽くオーケーのサインを送ると、レイラも黙って頷いた。


 一歩づつ階段を降りた暗闇の先、そこには所どころが錆びついた巨大な鉄扉てっぴが、ふたりをを待ち構えていた。その鉄扉の両端にふたりが取りついた時だった――


幻想子ファンタジウム反応を確認!』


 マナのセンサーが、幻想子の存在を告げる。一昨日おとといの夜には、倉庫の地上部でも反応を確認した。だが、レイラの侵入によって、幻想子はすべて地下に移されたのだろう。なんにしろ、不正流通する幻想子を確保さえすれば、不法侵入の件は不問とされる。ここからが、正念場だ。


「どうやらこの先に、幻想子があるみたいだね。僕のAIのセンサーに反応があったよ」


『あたしもよ、準備して』


「?? ……ちょっと待つんだ。この先に幻想子があるなら、まず先に、中和剤の摂取が先だろう?」


 勢いづくレイラをなだめ、アタルは制服の胸ポケットから、中和剤の入ったピルケースを取り出す。迂闊うかつに幻想子を吸い込んで、意識を失っては元も子もない。


使大丈夫、これが終わったら何とかするから』


「?」


 レイラの発言の真意が分からず、アタルは混乱する。しかし、彼女は一人前の幻闘士。見習いがプロに意見するのも野暮だと思い、それ以上、彼女の発言に深入りはしなかった。そうして、アタルは自分のピルケースから中和剤シート取り出すと、そのまま口に放り込んだ。口腔内に広がるメンソールの刺激が、余計に緊張感をかきたてる。


『いろいろ言いたいことがあるけど、とにかくこの中に突入するわ。スリーカウントで行くわよ……スリー、ツー、ワンッ――!』


 ――鉄扉を蹴破る音が、地下空間に盛大に響き渡る。

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