3-1:罠

 翌朝、学校は昨日の同時多発幻災と記者会見に現れた妖精、ミリーナの話題で持ちきりだった。


「俺、昨日の帰りに幻災に遭遇したぜ」

「マジで⁉」

「それよりも私、あんなにはっきりと妖精を見たの初めて」

「結構かわいい姿してたよなー」


 席で大人しく文庫本に目を通しつつ、アタルは教室に飛び交う会話を聞いていた。ほとんどが、とりとめのないもので、アタルが興味を持つような話題はなかった。かというアタルは、クラスメイト達の話題に入ることなく、ただ静かに時が過ぎるのを待っていた。


 アタルは、クラスの中では空気のような存在だった。際立って目立つ容姿でもなければ、成績も可もなく不可でもない平均レベル。親しい友人と呼べるのは、研究科の美幸だけ。他人と付き合うことはアタルにとって、面倒以外の何物でもなかった。単に人が嫌いなわけではない、必要があれば最低限の付き合いに留めている。ただ、相手に気を許すことはなく、常に一定の距離を保つようにしていた。


 それは本人の『目立ちたくない』という願望と相まって、クラスの中で大いに効果を発揮していた。クラスメイトの中には、アタルの名前を出すのに一定の時間を要する始末である。

 そんな孤立した教室内で、いつも通りのふわふわとした曖昧な存在を保っていたときだった。


「おい、聞いたかよ。どうやらA組に入った転入生、昨日の幻災で大型幻獣とかち合って倒しちまったらしいぞ!」


 勢いよく教室に入ってきた生徒が、得意げな表情で、仕入れた情報を披露する。


(噂っていうやつは、こうして広がっていくんだな)


 クラス中に衝撃が広がる中、表情一つ変えることなくアタルは思った。なぜなら、その現場には、自分も居合わせたのだから。誰よりもその当時の様子を知っているが、そんなことをひけらかすつもりはなかった。そんなことをすれば、たくさんのクラスメイト達が寄ってくるだろう。押し寄せる彼らの質問に対応するのは、面倒この上ない。


 だんまりを決め込むアタルに反比例するかのように、クラス内の熱は高まる。反対に、アタルはこれ以上話を聞く必要はないと判断して、本格的に本の内容に入り込んでいった。


 ……本に没頭していたせいだろうか、気が付けば教室内に響き渡る喧騒が耳に入らなくなる。だが、それは喜ばしいことだ。他人の会話に思いわずらうことなく、自分の世界に余すことなく集中できる。


 そんなことを考えていた時、アタルはふと気づく。先ほどまで教室内に蔓延はびこっていた騒々そうぞうしさは消え、いつの間にか教室が静まり返っていたのだ。もう授業が始まったのかと本を閉じると、正面から誰かの視線を察知する。ふと顔を上げれば――


「ッ――!?」


 アタルは驚きのあまり、席から勢いよく立ち上がる。


「失礼ね。そんなに驚かなくてもいいじゃない」


 目の前にいる人物は、呆れたように声を上げる。その瞬間、教室が静かになった理由を悟る。昨日の幻災で大型幻獣を倒して噂になっている転入生、レイラ・グローフリートがそこにいたからである。


 ――まずい。

 

 アタルは心の中で焦る。

 教室を見渡せば、全く接点のなさそうな二者にクラスメイト達が好奇の視線を送っていた。クラスの注目を受けて鳥肌が立つアタルとは対照的に、彼女は微塵も周りの様子を気にしていなかった。


「な……何の用かな?」


 引きつったような表情と声で、目の前のレイラに用件を伺う。


「昨日のことで話があるの。なんで――」


「こっ、ここじゃ話せない、別の場所に移動しよう」


 身に浴びる視線に、これ以上耐え切れなくなったアタルは、逃げ出すように教室を飛び出した。彼の行動がいまいち理解できず、怪訝けげんな表情を浮かべながらレイラは渋々あとを追いかける。


     ××


 湿度の高い、じっとりとした空気が漂う六月の空。生憎、今日は曇り空ではあるが、天気予報だと雨は降らないらしい。そんな灰色の大空の下、校舎の屋上には、ほとんど人がいなかった。

 ここなら都合がいい、屋上を一通り見渡してから、アタルは胸を撫で下ろした。遅れて、不満そうに眉をひそめるレイラが到着する。


「どういうつもり?」


「僕の個人的な理由からだよ」


 アタルの回答に満足してはいないようだが、それ以上、彼女は追及しなかった。


「で、用件っていうのは何のことだい? もしかして、下着を見られたことへの口止めかな。それだったら大丈夫だ。僕は昨日の出来事を誰にも言ってないし、他人の下着のことを話すような人間じゃない」


「そうじゃなくて! どうして昨日、あなたは中型幻獣を倒したことを報告しなかったの。まさか、報告義務を忘れたわけじゃないでしょうね? あの場はあたしが倒したことにしたけど、学校が終わったら幻災対策庁に行って、訂正してきなさい」


「ああ、そんなことか。いいよ、あの幻獣は君が倒したことにしても。僕はあまりその手の名誉や、報酬には興味ないんだ」


 語気を強めて憤慨するレイラに対して、アタルは興味なさげな表情を受かべる。

 この国には幻災に対応するために設立された〝幻災対策庁〟が幻闘士ファンタジスタを管理している。幻災対策庁の管理下にある幻闘士は、対応した幻災の規模や、倒した幻獣の手ごわさに応じてポイントが付与される。そのポイントは現金に換金することができ、それを生活の糧にしている幻闘士もいるほどだ。

 昨日、彼女が倒した大型の幻獣であれば、高校生の一ヶ月のアルバイト代は余裕で賄える。そして、アタルが仕留めた幻獣にしても、決して少なくない額はもらえただろう。だが、アタルには報酬を貰うことよりも優先させるべきことがあった。


「ふざけないで! あたしは誰かに手柄を譲ってもらうのは嫌いなの、特にお金が絡むこと対しては。あなたにはどうでもいいことであっても、あたしにとっては大事なことなの」


 強い憤りをにじませながらレイラは怒鳴る。鳶色とびいろの瞳には、アタルへの強い非難の色が浮かんでいた。彼女の激しさにアタルは少々気後れする。


「君が嫌がるのは理解できる。だけど、僕には理由があって言っていることなんだ」


「理由って、いったいなに?」


「それは……」


 目立ちたくない、その一言に尽きる。だが、果たして彼女はその理由に納得してくれるだろうか。上手く彼女を納得させることができる言い訳が思いつかず、もどかしさを感じる。

 目を泳がせながら、答えることに躊躇ちゅうちょするアタル。彼の様子に辟易へきえきしたレイラはアタルを問いただすことをやめた。


「まあいいわ、あなたの理由を聞いたってしょうがないし。あたしもこれ以上追及はしない。でも、今後は気をつけなさい。……そうだ、こういうのはどう? あたしが、あなたの要求をのむ代わりに、今度は、あたながあたしの要求を聞くの」


「要求?」


 アタルは安心できなかった。追及をやめる代わりにと、迫る彼女の要求とはいったい何なのだろうか。


「今日の放課後に用事はある?」


「ないけど……」


「そう。じゃあ、放課後に私の調べものに協力してほしいの。これはあなたの腕を見

込んだ上でのお願いよ」


「僕の実力を買いかぶりすぎだ。それに、要求にしたって、何をするのか聞いてからじゃないと判断できない。内容を知らないのは不公平だろう?」


 そうアタルが言うと、レイラは急に神妙な面持ちに変わる。


「これはおとといの夜の話――」


 そう切り出すレイラに、アタルはすぐさま反応する。同時に、警戒の色を目に浮かべた。おとといの夜といえば、不正流通する幻想子ファンタジウムを追って、倉庫街に侵入した日であった。


「……東京に戻ってきたあたしは、買い物ついでに、お台場の海浜公園を散歩していたの。でも、たまたま通りかかった二人組の男とすれ違った時、気になることを彼らは言っていた」


「気になること?」


「そう。『俺たちの計画はもうすぐ実行に移される。そのためには、もっと幻想子が必要だ』とか言ってたの。で、幻想子が必要と言った意味が気になった私は彼らのあとをけていったの」


 これで一つ合点がいった。なぜあの日、あの場所に彼女がいた理由だ。それにしても、そんな会話を気にして、見ず知らずの人間を尾行する彼女の豪胆ごうたんさにはあきれる。


「よくもまあ、そんなことをする気になったね。僕なら、真に受けずに聞き流すけど」


「政府の管理のなされていない幻想子は麻薬と一緒よ。反社会勢力の温床になっているってことくらい、幻闘士ファンタジスタ見習いでも知ってるでしょ」


 確かに、幻想子が不正に流通する理由はそこにある。幻想子の吸入による幻覚症状、しかも、幸福な記憶を呼び覚ますという作用は、心の弱った人間には垂涎すいえんの品だ。そんな人間を食い物にする反社会団体が存在する事実もある。


「だとしてもだ、わざわざ敵のアジトに突っ込んでいくかい?」


「人の心の弱さに付け込んで利用する人間なんか滅びてしまえばいいのよ。あたしはその手伝いをしただけ」


 吐き捨てるように言うと、レイラは転落防止用の金網を強く握りしめる。彼女が見せた凄みには、何やら深い事情がうかがえる。


「で、君が尾行した先に幻想子はあったのかい?」


 答えは知っているが、素知らぬふりをしてアタルは尋ねた。美幸の情報にマナの検知信号、そして、あの場で彼女を尋問したのは自分自身である。だが、今はそのことを隠しておかなければならない。


「あったにはあったんだけど……」


 確信したようには言わず、彼女は口ごもる。はっきりと肯定すると思っていただけに、アタルはその様子が気になった。そういえば、尋問したときも彼女は一瞬だけ答えに詰まらせていたことを思い出す。


「はっきりと見ていないのかい?」


「違う、そうじゃない。でも……」


 何かを言いだそうとするレイラの様子は、明らかに不審だった。自分でもよくわからない、本当にそうだったのかという迷いを浮かべていた。が、すぐに意を決したように顔を上げる。


「あたしが入った倉庫の中には、たくさんの『花』が咲いていた……」


「はな、だって? 花って言うとあの植物の?」


 唐突に幻想子とは関係のない言葉にアタルは拍子抜けする。彼女の意図は不明だが、もしかしたら幻覚を見るほどの濃密な幻想子が倉庫内に満たされていたとでもいうのか。マナの検知した通り、あの場所には間違いなく幻想子が保管されていたし、そのカモフラージュの可能性も捨てきれない。


「そう、その花よ。だけどあんなにきれいな花は見たことなかった。ガーベラに似た、たくさんの花びらが折り重なる八重咲きの花だったわ」


「君、大丈夫かい? もしよければ医療機関での診察を勧めるよ」


「話を最後まで聞いてからにして。私が驚いたのはその花の花びらが虹色、つまり幻想子ファンタジウムが含まれていたのよ」


「花びらに幻想子が含まれていただって? そんなの信じられるわけないじゃないか。『幻獣』の名前が示すように、幻想子は動物に影響を与えるものだ。幻想子が植物に影響を与えた事例なんて聞いたことがない」


 今度こそアタルは本気で驚き、突拍子もないレイラの話を疑う。だが、疑惑を持たれたことに対して、彼女は大真面目に反論する。


「私もそう思ったけど、確かにこの目で見たし、幻想子反応も確認した。だけど、証拠として花を持ち帰ろうとしたところで、奴らに見つかった」


 レイラは己の失態を悔やむようにまた金網にかけていた手に力を込めた。ギシギシと音をたてるその力強さから、彼女が本気で悔しがっていることが伝わる。


「……まあ、話の真偽は別として、よく無事で戻ってくることができたね」


 アタルは何も知らないふりを装い、白々しらじらしく驚いてみせる。そして自分の発言に対して、彼女がどのような反応を示すのか慎重に伺った。カマをかけた、と言ってもいいだろう。


「その時は……いろいろなアクシデントが偶然重なって、何とか逃げることができたけど……」


 アタルの体を張った行動を、アクシデントと例えられのは少々遺憾であるが、それを指摘することはできない。しかし今は、彼女が見たという幻想子の花弁を持った花に興味が移る。


「君が見た花、本当にそれは幻想子に間違いないのか?」


「そうよ。少なくとも、光の反射だけでそう見えたというのだけは絶対に否定できる。調べてみたけど、虹色の花弁を持つ花なんて未だ発見されてない。だからこそ、あなたに協力してもらいたいの」


 彼女が言おうとしていることをアタルは察した。


「つまり、君の要求はこういうわけか。今日の放課後、君が見た幻想子の花の正体をもう一度確かめに行くから、それについて来いっていうのかい?」


「察しがいいわね。その通りよ」


「それだったら、別に僕じゃなくてもいいだろう。自慢にもならないが、僕はこの前の試験で実技・座学の総合順位は平均よりちょい上くらいなんだ。お供にするには頼りなさすぎる」


 アタルはもっともらしい疑問をレイラにぶつける。昨日の様子から、彼女はクラスの中で人気者だろう。そんな彼女に頼まれれば、誰でも喜んで協力するはずだ。


「……あなたは、あたしを何だと思う?」


「?」


 唐突に始まる哲学的な質問に面食らうアタルに、レイラは真面目な表情で迫る。真っ直ぐにこちらを見据える彼女の面持ちは、真剣そのものだった。


「ただの高校生だ。ちょっと無茶が過ぎるけどね」


「そう、あたしはただの高校生、レイラ・グローフリート。でも周りはあたしを〝月宮家〟の当主の孫としてしかみない。あたしはそれが昔から嫌いだった。だから、オーストラリアに留学していたときは楽しかった。誰もあたしをそう言う目で見ることなく、対等の個人として接してくれた。でも……昨日の学校での様子を見たでしょ?」


 アタルは、彼女を初めてみた廊下の風景を思い出す。あの時、周りにいた誰もが、珍しい動物でもみるような目で彼女を見て、一目置かれようと平身低頭していた。今思えば、何とも虚しい光景だ。

 彼女の言いたいことに気が付いたアタルはただ頷く。すると、レイラは顔をほころばせた。


「だけどあなたは昨日の戦いの最中、あたしをそういう風に見ることはしなかった。ひとりの幻闘士としてみてくれたわ」


 なるほどそういうことか、とアタルは心の中で納得した。家柄や身分なんてものにまるで興味を示さないアタルは、ただの個人として彼女と接していた。それは彼女にとって、心地のいいものだったのだろう。


「確かに僕はその手のことには興味がない。月宮家の存在を初めて知ったのも、昨日だったからね」


 アタルの発言に、レイラはぷっと吹きだす。そして、目を細めながら笑う彼女の笑顔に、アタルの心も弾みがつく。


「あはは、なにそれ? あたしが言うのもなんだけど、月宮家の存在はほぼ常識みたいなものよ。むしろ、少し世間を知らなすぎじゃない?」


「全く同じことを別の人にも言われたよ」


 少しだけ苦い表情を浮かべながら、自身の非常識ぶりを実感するアタル。そんな彼を目の前にして、笑いから落ち着いたレイラは、またいつもの凛とした表情に戻った。


「だから、あなたは周りと違って信用できる。それが理由よ」


 彼女のはっきりとした宣告に、アタルは戸惑う。人に頼られるのは悪いことではない、だが彼には、なにものにも代えることのできない行動指針がある。もし、彼女と行動を共にすれば、目立つことになってしまうのではないか。もしくは、人びとの注目を浴びてしまうのではないか。そんな恐れを抱くが、どうせ放課後の出来事だ。自分以外に誰もいないというのであれば、多少のことは問題にならないだろう。そういって、自分を納得させた。


「君の言いたいことは分かった。特に危険なことをしないと約束してくれるなら、今日だけ君の要求をのむことにするよ」


「ありがとう、助かったわ。じゃあ放課後に」


 そう言ったレイラは、アタルに向けて右手をおもむろに差し出す。何をしたいのか、アタルにだってわかる。彼女と同じように、アタルが右手を持ち上げた時だった。


「君たち、もうすぐ授業が始まるんだから、そろそろ教室に戻ったほうがいい」


 それまで屋上には誰もいないと思っていたが、アタルとレイラは驚いて振り向く。そして振り向いた先、そこには皺だらけになった白衣を身に纏った長身の男がいつの間にか立っていた。手入れが全くなされていない、ぼさぼさの頭髪に無精ひげ。そして、縁なし眼鏡の中の疲れ気味な半眼がこちらの様子を伺っていた。そのがさつな風貌から、男がまだ二十代後半であることを思わせるのには無理があった。


「私としても、生徒が青春を謳歌しているところに水を差すのは申し訳ない。だが、教師という立場もあるんでね」


 無愛想にそう言うと、男はアタルたちとは別の方向へ向けて歩み始める。話を聞かれていたのではないかと焦ったが、男はそれ以上何も言わなかった。ほっと一息ついたアタルは、レイラと共に校舎の中へ戻ることにした。


「今のは先生なの?」


「研究科の新島幹孝にいじまみきたか先生だ。僕はあの人の授業を受けたことはないけど、たしか、幻想子ファンタジウムが体に影響を及ぼすメカニズムを研究してるんじゃなかったっけな。変わった先生たちが集まる研究科だけど、その中で最も一般人に近い先生だよ」


「話は聞いていたけど、あれで最も一般人に近いって、研究科はどれだけヤバいの……」


 レイラが呆れ気味に呟く。奇人変人の集まりとも揶揄やゆされる研究科の教師陣ではあるが、幻想子の研究にかけては、大学の研究所に次いで実績はピカイチだ。そういった意味でも、この学校は特殊である。


「それじゃあ、放課後にまた」


 一年生の教室が集う階にまで戻ってきたアタルは、そこで一旦レイラと別れる。何事もなかったように教室に戻ってみたが、しばらくアタルには、好奇の視線が注がれ続けた。クラスの注目を浴びながら、アタルはその日、居心地の悪い一日を学校で過ごさなければならなかった。

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