2-4

「ただいま」


 明かりのついていない自宅の玄関で、誰もいないと分かっていながらも、アタルは呟いた。

 一戸建ての自宅には、まだ誰も帰宅していない。姉のカナエは、大学の研究が忙しくて帰りが遅くなると言っていた。父に関しては、ここから少し離れた仕事場兼、工房でまだ作業をしているのだろう。


 銃工職人ガンスミス。それが神代銃砲店のオーナも務めているアタルの父の職業だ。銃砲店といっても、ちゃんと警察の承認を得ているし、国内にある猟銃のメンテナンスが主な仕事だ。父が銃工職人という所以ゆえんもあり、神代家で銃は、包丁よりもなれ親しい存在と化していた。


 玄関で靴を脱ぎ終えたアタルは、シューズロッカーのような大きな戸棚を開けた。そして、身につけていた装備を取り払うと、そのまま戸棚にしまいこんだ。神代家では、玄関から先への銃の持ち込みは厳禁と決められている。

 それは、銃を扱う一家の絶対の掟。喧嘩が起こるたびに銃が火を噴いていては、すぐに家が穴だらけになってしまう。そんな事態を避けるためだった。


 腰から下がる重りが外れ、少々身軽になったアタルはリビングに向かう。そして、大きなダイニングテーブルに、持っていたビニール袋を置いた。くしゅんと寂しげな音が部屋に響く。


 AIのマナとの言い争いは結局、アタルが謝ることで一応の決着がついた。しかし、想像以上に精神を消耗したアタルに、料理を作る気力など残されていなかった。仕方ないので、帰りの途中に寄ったコンビニで、夕食は手済ますことにしたのだった。


 出来合いのものを嫌う姉への言い訳を考えながら、アタルは床の間へ向かう。畳の湿っぽいにおいがする床の間には、母の位牌が備えられた仏壇が安置されていた。そして、その中央には、今は亡き母の遺影が優しく微笑んでいる。線香をあげてから、目を閉じて手を合わせるアタルであったが、生前の母の姿はぼんやりとして覚えていない。


「毎回思うのだが、そのような行為に意味があると本当に思っているのか?」


 曖昧な記憶を探りながら、郷愁きょうしゅうの念に浸るアタルの背後で、突然声がした。家には誰もいないはずだが、はっきりと聞こえる声。しかし、アタルはため息をついただけで、何も驚く様子はなかった。


「……大切な人を忘れないためさ。人間には肉体が終わることと、記憶から消えることの二つの死があるんだ。記憶にある限り、まだその人は本当に死んでいない。でも、僕には母さんの記憶はほとんどないから、本当の意味で死を迎えているのかもしれないけどね」


 そう言ってアタルは立ち上がると、後ろへと振り返った。視線の先には、壁に背をもたれかかって、こちらを不思議そうに見ている存在がいた。


「出てきたのか、オフィーリア」


 一見すると、彼女は十歳前後の少女の姿をしていた。人間離れした美貌にはこちらを見上げる真紅の瞳。露わになっている手足は透き通る程の白色で、着ているフリルの入った赤と黒のワンピースが対照的に思える。そして濡烏ぬれがらすと形容されるほどの、黒く艶やかな黒髪は腰まで伸びていた。


「人間は変わっているな」


「まあ、数万年も生きているといわれている君たちには、あまり分からないだろうけどね」


 アタルとオフィーリアという名の少女は部屋を出ると、再びリビングへと戻る。アタルが着ていた制服のジャケットを脱ぐ中、オフィーリアと呼ばれた少女は退屈そうにソファーに座ると、テレビを視聴し始めた。


「外に出てくるなんて、しばらくぶりじゃないか?」


「たまにはいいだろう。お前の日常が退屈すぎるせいでもあるのだが」


「君が楽しんでいられるような日常を過ごすなんて、僕としては御免だけどね」


 互いに軽口を飛ばす中、視聴するテレビからは何やら重々しい口調で解説するニュースキャスターの姿が目に映る。


『本日の午後五時から六時にかけて、都内ので同時多発的に〝五等級クラスファイブ〟の幻災が発生しました。それについての幻災対策庁の会見がこのあと開かれます。それでは中継の……』


「十四か所同時に、幻災が発生だって!?」


 ニュースから流れる報道に、アタルは絶句する。帰宅途中にアタルも幻災に遭遇したが、それと同じ規模の幻災が同時に発生など、通常はありえないことである。思わず、アタルはテレビに釘づけになる。


 テレビに都内の地図が映されると、そこには赤い箇所が点々と散在している。恐らく事件発生場所であろう。もちろんそこには、アタルの住んでいる地区も赤く塗られていた。

 レポーターは次々と被害状況を述べ、その場にいた解説者に意見を求めていた。解説者たちが次々と意見を述べていくが、どれもアタルの知っている範囲内のもので、何の情報にもならない。

 そして、やっと最後の一人まで巡ってきた時だった。解説者の中ではも高齢で、いくつかの肩書が書き連ねられた老人は、語気を強めて解説していた。


『あくまで私個人の意見ですが、これらの事件には何らかの意図を感じることができます。これらの事件には、かなり高度に幻想子を扱える者にしかできません。……私はこの事件に〝妖精〟の関与を疑ってしまいます』


 その意見にアタルは驚く。それはスタジオにいた全員が同じだったようで、しばらく誰もコメントを発することができなかった。それほどの禁忌タブーを先ほどの解説者は犯したのだ。

 思わずアタルはソファーに座り込む少女、オフィーリアの様子をちらりと伺う。だが、彼女は特に何も反応せず、つまらなそうな視線をテレビに送っていた。


 ――今から二十年前、世界を巻き込んだ大戦争があった。


 歴史上、戦争なんてものは何度も繰り返されてきた。今もこの世界のどこかでは思想や宗教の違いという理由で、人間同士が争っている。


 だが二十年前の戦争はそれらとは一線を画す。なぜなら、人類が戦った相手は同じからだ。


 ある日突然、異空間ワームホールから十六体の〝それ〟は現れた。


――人間に劣らない高い知性を有し、なおかつ一個体が人間とは比較できないほどの高い戦闘力を有す生命体。『有知性異次元生命体』と名付けられたが、その姿は〝妖精〟のように美しく、人間には及びえない力を持っていた。そして、今ではそれが通称になっている。


 世界の混乱に乗じて、異次元からやって来た妖精たちは、すぐに侵略を開始。だが、人類もただ指をくわえて滅びの時を待つことはなかった。すぐさま国連主導の異次元生命体への抵抗運動を開始。五年にも及ぶ戦争、『天幻戦争』の始まりだった。


 戦争が開始されてからの二年間、戦況は妖精が優勢であった。人間に用いる通常兵器は妖精の前には全く歯が立たず、人類は敗戦を重ね続けた。

 しかし、の存在が明らかになったことにより、戦況は大きく人類に傾き始めた。その物質こそ、現在において幻想子ファンタジウムと呼ばれているものなのである。発見当初は物質Xなどと呼ばれたが、それが妖精の持つ力の源だと判明したこともあり、昼夜を問わない研究が進められる。

 

 そして妖精の力の根源、幻想子の力を手に収めた人類の反撃が開始。拮抗した二年の月日を費やした戦況の末、人類は十六体存在する妖精のうち、五体の撃滅に成功した。


 ……歓喜に喜ぶ日々は長くは続かなかった。そのあとに続く一年間の泥沼の戦線は人類、そして妖精にも厭戦えんせんムードを蔓延させた。そしてついに、五年に渡った大戦争に疲弊した両陣営は互いにある決断を下す。


 マンハッタン条約。長きにわたる戦いを停止する人類と妖精間の停戦条約の締結だった。人類代表として国連事務総長と、妖精王ゼロウスとの間に結ばれた停戦協定。人類と妖精間の無期限停戦、そして互いに不干渉を貫くことへの同意。更に妖精には、空中に浮かぶ彼らの居城を海上にとどめ、人間の住む地上へ接近することへの禁止を求めるものであった。


 かくして戦争終結から十五年の月日が経ったが、今のところ妖精と人類との間に争い事は発生してはいない。

 だが、先ほどの解説者の発言は、停戦条約で結ばれた不干渉原則に反するものだった。いたずらに妖精たちへの敵愾心てきがいしんを煽ることは、人間の立場を悪くする可能性がある。そのため、スタジオ内の空気が凍りついたのだ。


「それよりアタル、今日は不運だったな」


 アタルの懸念を気にせず、テレビを見つめながらオフィーリアは話しかける。災難という言葉に頭に上がる候補がいくつかあったので、アタルは返事に少々戸惑う。


「あ、ああ……幻災のことか。なんだ見ていたのか」


「私としては、あの大きい奴と戦うところを見たかったんだが、獲物を譲るところはお前らしいよ」


「簡単に言うな。僕の力じゃ、あの幻獣の足をとめるので精いっぱいだ。君と一緒にしないでほしい」


 アタルの返事が面白かったのか分からないが、オフィーリアはくすくすと笑う。十代くらい少女の姿をした〝妖精〟の笑顔には、人を惹きつける魔力がある。しかし、アタルは動じない。


「まあそう怒るな。私はべつに無茶をしろと言ってるわけじゃない。お前に与えたものを粗末にされてしまっては、むしろ私が困る」


「それは……」


 予想外のオフィーリアの反応に戸惑うアタルであったが、しどろもどろしているうちに、再びテレビの中が騒がしくなる。どうやら、幻災対策庁の記者会見の生中継が始まったようだ。画面に映される舞台袖から姿を現した中年男性に、各報道陣から一斉にフラッシュが焚かれる。席に着いた男性は一通りの自己紹介を済ますと、会見の口火を切った。


『本日、同時多発的に発生しました〝五等級〟の幻災についての幻災対策庁の見解をお伝えします。その前にですが、まず確認できた現時点での被害状況を……』


 そう言って、中年男性は各地域でおきた幻災の被害状況を粛々しゅくしゅくと述べていく。幸いにも死者は出なかったことに、アタルは胸を撫で下ろした。だが、多数の負傷者と、幻惑状態に陥った市民はいたようだ。

 そうして幻災対策庁の役人は、事件の発生原因や今後については、調査中という曖昧な形で報道陣の追及を避けていた。目ぼしい情報がなく、アタルは放送に興味を失っていた時だった。


『……以上が幻災対策庁の見解となります。ですが、このまま会見は続けさせていただきます』


 そう言い終えると男性は席を立つ。その場にいた誰もが、男性の意図することが分からず首をかしげる。ざわめきだつ会場であったが、つぎに訪れたのは一瞬の静寂。

 退出した男性の入れ替わりとなって現れたのは、その場に似つかわしくない存在だった。ひと言で言い表すとすれば、『純白』。


 白く透き通った肌に、色素が全く含まれていないような長い白髪。身につけているのも純白のドレスということもあり、雪の精を彷彿させるようだった。ただ一つ、白くないのは真っ青に澄んだ大きな瞳。そして最も驚くべきことは、アタルのそばにいるオフィーリアと寸分たがわず、顔が瓜二つであるということであった。


「ミリーナ…………」


 テレビに映しだされるその姿を見たオフィーリアは、眉をひそめながら、双子のの名を呼ぶ。

 その場に現れた〝妖精〟の登場に一呼吸遅れて、事態を把握した会場が騒然とする。司会者が静粛を促す中、席に着いたミリーナは表情一つ変えずに待機していた。


『今日、私がこの場に現れた理由は一つです。それは今回の事件について、妖精である私たちの関与は、全くないということを表明しに来ました』


 異例中の異例だった。ミリーナは諸事情あって、この国にある大使館に居を構えている。だが、人間への不干渉の原則があるため、姿を現すことなどない。このようにマスコミの前に現れて意見を表明するなど、前例のない大事件である。


『もちろん、この国の皆様には、様々な考えや思いがあると私は存じております。ですが、幻想子が大きくかかわるこの事件によって、私の父とあなた方が結んだ停戦条約がほころぶことがあってはなりません。私はこの騒動の解決に、一体の妖精としてできることがあれば、尽くしたいと考えております』


 そう言ってミリーナは立ち上がると、カメラや報道陣に向けて深々と一礼。記者たちの質問やフラッシュが飛び交う中、堂々とした足取りで退場していった。


「……なかなか、いい会見だった。ここ最近の出来事では、一番面白かったな」


 にやついた表情を浮かべながら、オフィーリアは妹の会見を茶化す。反対に、アタルはたった今起きた出来事に、言葉が出なかった。


「大変なことになったな……」


「何が大変なんだ?」


 ソファーに寝っ転がりながら、呑気に尋ねるオフィーリアに、アタルは多少の苛立ちを覚える。そんなアタルの心中を察しても、彼女は不敵に微笑んでいた。そして、おもむろに彼女はソファーから立ち上がると、そのまま椅子に座るアタルのもとへ歩み寄る。すると、オフィーリアは、アタルをなだめるかのように、肩に優しく手を置いた。


「お前が心配することはない。なぜなら、私はもう


 囁くような小さな声。気が付けば、オフィーリアの存在はいつの間にか、部屋から消えていた。


「まったく……。本当に、君は困った妖精だよ」


 今度こそ誰もいなくなった部屋の中で、アタルはひとり呟いた。

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