1-1:神代アタルの人助け

 空にはおぼろげに輝く半月と、不規則な形の雲が浮かんでいた。そんな夜空の下、ひとけのない倉庫街で周囲を気にしながら進む人影がひとつ、浮かび上がる。


『どう? 周りに誰かいたりしない? 一応こっちで監視モニタリングしている限りだと、誰もいないみたい』


「ざっと見た限りじゃあ、誰もいなさそうだ。それじゃあ、センサーの解除は頼むよ」


 神奈川県、川崎市の某所。倉庫が立ち並ぶ港内こうないに不法侵入した少年、神代かみしろアタルは暗闇でささやいた。彼の耳には、ヘッドセットが装着されており、そこから聞こえる声に対する返答だった。


『了解。監視カメラの映像や、センサーは管理会社に気付かれないよう上手く誤魔化しているから安心して。あとは、マナちゃんのナビゲートに従えば、目的の倉庫につくから、気をつけてね』


「いつもありがとう、服部。この計画が上手く行ったら、何か奢るからリクエストを考えておいてほしいな。ただし、僕の手の届く範囲内でお願いしたいところだけど」


 回線を通して話しているのは、数年前に知り合い、そしていまは同じ学校に通う友人、服部美幸はっとりみゆき。彼女にはこうしてアタルのに時折、協力してもらっている。


『ふふふっ、大丈夫。またいつものように神田の甘味処『柳条庵りゅうじょうあん』のフルーツあんみつで十分だから』


「本当にあそこが好きだね。まあ、僕としてもそれで済むなら大助かりだよ」


 そうやってアタルと美幸の間で他愛もない会話をしていた時だった。


『もう! ご主人さまはいつまで話しておられるのですか? 早くしないと誰か来てしまいますよ。そ・れ・と・も、このすーぱーAI『マナ』のナビゲーションが不要だというのですかっ!?』


 美幸との会話を遮るように、甲高い声がアタルの耳の中に響き渡った。


『……じ、じゃあ私は周囲を観察しているから。何かあったらすぐに連絡を入れるね』


 そう言ったところで、美幸との通信が一旦途切れた。

 美幸に返事をしたあと、やれやれと言わんばかりに、アタルは上着のポケットから携帯端末を取り出す。ぽっと明かりがついた端末の画面の中には、赤色の髪をツインテールにした年端のいかない女の子が映しだされていた。

 少女は頬を膨らませて、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべていた。画面に映し出される少女に向けて、アタルは面倒と言わんばかりに話かける。


「まあそう急かすなよ、少しくらい待ってくれたっていいじゃないか。今どきのAIなら、場の雰囲気くらいは察せるだろう」


『ご主人さまはいつも時間にルーズじゃないですか。マナは心配しているのです。いつかご主人様が、大事な約束に間に合わなくて、人生を棒に振るかもと懸念してるのです。だからマナは心を鬼にして、ご主人を急かすのです!』


「『日常サポートAI』に人生まで心配されるほど、僕は落ちぶれちゃあいない!」


 アタルが必死になって言い返す相手は、マナ。インストールした者の日常生活のスケジュール管理や、ナビゲーションを行う人工知能AIである。個人に合わせたコンシェルジュサービスと称すこのアプリケーションは、この社会ではなくてはならない存在になりつつある。

 

 AIの名前や容姿、性格は初期設定の段階で、いくつかの質問がなされ、その回答の結果によって決まる。そのため、マナの姿を見た周囲の人物たちは、アタルがロリコンではないかと噂した。


 はじめの頃、アタルは何度もアンインストールも検討していた。しかし幾何いくばくか経つと、マナの性格や容姿にも慣れたので、結局、今のいままで頼りにしている存在となっている。


『いえいえ、マナは日常をサポートするただのAIにとどまらず、ご主人様の人生設計すらもサポートして差し上げる『すーぱーAI』なのです!』


 画面に映し出されるマナは威張るように、胸を張りあげる。


「……うーん、どうやら演算システムに深刻なエラーが発生しているみたいだ。これは、一度アンインストールしてからの再インストールかな」


『そそそそそ、そんなどうか、アンインストールだけは勘弁してください。ちゃんと与えられたお仕事はこなしますから、どうかそれだけは……』


 先ほどの態度とはうって変わり、マナは画面の中で両手を握りながらアンインストールの中止を懇願する。もちろん、アタルにはそんな気は微塵もない。ただ、マナの反応が見てみたくて、少しばかりからかってみただけだった。


「冗談だ。それよりも、早く目的地に案内してくれないか? 早くしろって言ったのはマナのほうだろう」


 画面の中で、震えながら涙を浮かべていたマナの表情がぱっと一気に明るくなる。表情豊かなAIには、時折ときおり振り回されることもあるが、なかなか嫌いになれそうにはない。


『よかったーなのです! それじゃあ、ご主人様を目的地まで案内するのです! 映像ナビゲーションになさいますか? それとも、音声ガイドの方がいいですか?』


「音声ガイドで頼むよ。映像だと、端末からの光で気付かれる」


『了解なのです! それでは美幸様から転送された位置情報をもとに、案内を開

スタートします』


 マナがそう言ったところで、アタルは持っていた携帯端末を再びポケットにしまう。ここからは、ヘッドセットから流れてくるマナの音声で十分やっていける。


 そうして、夜の闇に紛れながら、アタルは倉庫街を慎重に歩み進めていく。この場所、しかも日が完全に沈んだ夜に、アタルがここに来たのには理由わけがある。


 アタルの目的、それはこの倉庫の中で違法に保管されているを少しだけ奪取しようというものである。言ってしまえば、窃盗せっとうだ。

 ただ、それは今回が初めてではない、今までに何度もやってきたことだった。そして今のところ、一度だけの失敗を除けば、事件として社会に表面化したこともない。

 どうしてそんなことをするのかについては、少々複雑な事情がアタルにはある。しかし、奪おうとしているものは、どうしても彼に必要な物でもあった。


『ここから二個先の倉庫を右に曲がってください。そして、そのまま真っ直ぐ進めば、目的の倉庫が見えてくるはずです』


 先ほどの陽気な声音こわねとは違い、機械的に淡々としたマナの声がアタルの耳に伝わる。ここから先、何が起こるか分からない。そう警戒しつつ、アタルは神経を尖らせながら、倉庫の壁面から顔をわずか覗かせる。倉庫の前に伸びている道には他と同様、人っ子ひとり見えず閑散としている。


 目指す倉庫はすぐに見つけることができた。だが形は同じであっても、事前に伝えられた情報ゆえか他の倉庫とは違う雰囲気を漂わせていた。保管場所とはいえ、今までの経験から言えば見張りの人間がいてもおかしくはないものである。あえて目立つことがないように最低限の防犯装置で済ましているというのであろうか。


 だが、こちらには美幸がいる。美幸は機械やネットワークに強く、そんじょそこらのハッカーなどとは一線を画すスキルの持ち主である。彼女のおかげで、アタルは運よく、今まで警察の世話にはなったことはない。


 ――人間の目がない以上、アタルの障害となるものは、何もない。


 しかしながら、万が一に備えて、防犯設備には引っかからないよう、細心の注意を払っている。美幸の腕を信頼していないというわけではないが、ただ彼女に余計な手間をかけたくないだけのことだ。


 一歩、また一歩と、周囲を警戒しつつ、アタルは倉庫に近づいていく。ついに、倉庫との距離まで、あと三十メートルくらいまで縮んだ時だった――


『〈幻想子ファンタジウム〉反応を確認!』


 ビンゴ。

 マナの警告に、アタルは心の中で呟く。やはり、あの倉庫の中には、自分が求めるものが隠されている。アタルは確信した。


「服部、聞こえたか?」


『うん、聞いたよ。やっぱり、私の掴んだ情報は間違ってなかったみたい』


 少しばかり、興奮した調子の美幸の声が聞こえる。つられてアタルの気分も浮き上がりそうになるが、見つけただけでは何の価値もなさない。奪い取るまで、気を抜くな。そう言い聞かせることで、アタルの心はまた、もとの落ち着きを取り戻した。


 幻想子ファンタジウム。それは今から約二十年前、〝ある存在〟と共に、この世界に出現した未知の物質だ。その正体は、現代科学をもってしても、完全に解明できていない。


 通常、幻想子は目には見えないほどの、細やかな粒子として大気中に漂っている。そして、それは無色透明かつ、無味無臭。そのため、人間の目で直接視認することはできない。


 しかし、一定の空間内で空気中に含まれる濃度が高まると、吸い込んだ人間の好む色や匂い、さらには味すら感じることができるという。

 詳しい原理はまだよく分かってはいないが、幻想子が大脳に何かしらの作用を及ぼしているというのが通説となっている。いまだ正体の掴めていない幻想子であるが、その存在は人類に、新たな可能性と、をもたらすことになった。


『で、どうするの? さすがに正面の扉を開けてそのまま入る、っていう訳にはいかないよね』


 物陰に隠れながら、倉庫を眺めるアタルに美幸が話しかける。


「とりあえず、周囲の様子を確認してから考えるよ。それで、倉庫の周辺には誰もいないのは間違いないかい?」


『安心して、今のところは誰も映ってはいないから。でも、倉庫の中はカメラがないから、潜入するときは用心してね』


「それじゃあ、やるだけやって、早いとこ帰るとするよ」


 そう言ってアタルは、目的の倉庫にアタックをかけようとしたときだった。


  バン! 倉庫の正面の扉が、乱暴に内側から開けられる。音がすると同時に、アタルはすぐに影に身を潜ませた。


(まさか、気づかれたのか?)


 全神経を集中させて、倉庫の様子を伺っていると、誰かが扉から勢いよく飛び出した。身長はそれほど高くはない、そして髪が長いことから、飛び出していったのが女であったのは間違いない。倉庫の所有者の関係者かと思いきや、あとから続々と体格のいい男たちが後を追うように続く。


「追え! 逃がすな」

「どっちへ行った?」

「手分けして探せ!」


 男たちが物騒な台詞を吐いているあたり、ただ事ではない。


「服部、なんかヤバいことが起きてるみたいだ」


 周囲の安全を確認した後、男たちが走った方向とは真逆の方向にアタルは走り出す。


『分かってる、こっちも見てたから知ってるよ。倉庫から出ていった人を追いかけているみたい。とにかく、計画は中止。早いとこ戻ってきた方がいいかも。でも……』


「なにか?」


『アタル君、できることなら、あの追われている人を助けてほしいの』


 突然の美幸の申し出に、アタルは戸惑う。自分はこの倉庫街に不法侵入しているため、誰かに見られなんてご法度はっとだ。それに、この状況下で自分の脱出だけではなく、他人の手助けをする余裕が果たしてあるのだろうか。


「どうしてそんな危険な真似を……。もしかして、いま逃げていった人と知り合いなのかい?」


 意図の読めない美幸の提案に、アタルは問い返す。少し間を置いて、歯切れのわるい返答が美幸から返ってきた。


『そんなことはないけど……。でももし、あの人の身に何かあって、明日事件になっていたら……』


 万が一、逃げた人物が殺されたでもしたら、図らずもアタルと美幸は事件の目撃者ということになる。しかし、不法侵入したという立場ゆえ、そう簡単に警察に名乗りを上げることはできない。見てみぬふりをするにしても、後味が悪すぎるし、気の小さい美幸はきっと耐えられないだろう。


「……分かった、だけどあくまで自分の身が優先だ。いま逃げた人物はどこに行ったんだい?」


『私の我儘わがままに付き合ってくれてありがとう。やっぱり、アタル君は私の〝ヒーロー〟だよ』


 美幸の安堵した声が、アタルの耳に伝わる、だが、アタルは美幸の言った言葉が引っかかる。


「ヒーローなんて言わないでくれ。僕はそんなになりたくて、こんなことをやっているわけじゃないんだ」


『知ってる。気にしなくていいよ、私が勝手に思っているイメージだし』


「もし僕がヒーローだったら……」


『待って、いま監視カメラの一つに逃げている人の姿が映った。よかった、いまのところは捕まらずに逃げているみたい。でも、追っ手が十数人もいるから、このままじゃいつか追い詰められるかも。逃げてる人の位置は、アタル君の端末にリアルタイムで転送するから確認して』


 面倒なことになったと、アタルは内心舌打ちする。一介の高校生にできることは限られている。それも追う者、追われる者、どちらにも正体を悟られれないようにするのは至難の業だ。しかし、夜の闇を疾駆するアタルの頭の中に一つの妙案が思い浮かぶ。


「服部、これから僕が話す計画プランは可能かい?」


『どんなこと?』


 頭の中で思い描いた作戦を、美幸に話す。


『……うん。不確定要素はあるけど、正体を悟られないようにするにはそれが一番いいんじゃないかな。でも、気をつけてね。アタル君の持っているは普通の人には使えないから』


 美幸の同意を得たアタルは、深く深呼吸する。六月の湿った夜の空気が肺の中に流れ込み、心は深い水底に沈んだように静まった。


(さあ、ひと仕事といくか)


 アタルの姿は、再び夜の闇の中に消えていった。

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