第20話 琥雅 一
木々や蔦、緑の生い茂るジャングルの中。
鳥達のさえずりが聞こえ、木洩れ日が目に眩しく光る。
その光に颯月が目を覚ました。
「ここは…」
颯月は起き上がると、目の前の光景に目を疑った。
無理も無い。ここは人、一人いないジャングルの中だった。
颯月が状況を飲み込めないまま呆けていると、突然一人の男が現れた。
「起きたか」
「!妖術師!」
颯月は男の身なりを見て妖術師だと分かり、槍を構えた。
男は黙ったまま颯月を見つめた。男の手には水と食べ物があった。
「そう、早まるな。我に戦う意思はない」
男は目を伏せて言った。
「えっ…?」
颯月は戸惑い、男に向けた槍をどうすればいいか分からなくなった。
確かに殺気や戦闘意欲は感じられないが、颯月は警戒を解くことが出来なかった。
男は颯月に近付いてくる。そして何食わぬ顔で颯月の横を通り過ぎ、木に腰掛けた。
「戦う気は無いと言っただろう?早くその槍を下ろせ」
男はため息交じりに言った。
「あ、ああ」
颯月は思わず言う事を聞いてしまい、槍を下ろした。
「座れ」
棒立ちしている颯月に男が言った。
「………」
颯月は無言の抵抗をしながらも、睨み付けられる男の眼に負け、正座して座った。
「なんで正座なんだ?まぁいい。食え。腹、減ってるだろ?」
男は疑問をぶつけるも、答えを待たず話し続けた。
「あの、どうして…」
「どうしてこんな事するのか?って?」
男が颯月の言葉を奪って言った。
「ああ」
「それは我がそうしたいからだ。階級とか関係なしにな」
男は答えるが、颯月は今一歩信じ切れなかった。
「まだダメか?我は琥雅(こうが)。お前と同じ槍使いだ。お前は?」
琥雅と名乗る男は、鋭い眼光を向けた。
「我は獅瑪颯月。庶民、農業階級」
颯月は琥雅から目を逸らして答えた。
「そうか、お前庶民か。可哀想にな」
琥雅は赤い果実を食べながら、空を見上げて言った。
「何だと!」
颯月は片膝を付き、槍を持って立ち上がろうとした。
「そうカリカリするな」
琥雅は颯月の動きを途中で止めた。
「いい加減、警戒を解け。我に戦う意思はない」
琥雅は飽き飽きした様にため息を吐いた。
「何でだ?」
颯月は正座に座り直して、率直に聞いた。
「殺すのに疲れたから」
琥雅は低い声で端的に答えた。
「殺すのに疲れた?」
颯月は怪訝な顔をした。
「我は疲れた。殺す事にも、生きる事にも、人に関わる事にも。だからこうして人のいない場所にいる」
「なのに生きてるんだな」
「ああ、矛盾してるだろ?人助けまでして」
琥雅は自嘲気味に笑って言った。
「!そう言えば、我はどうしてここに…?」
颯月は人助けというワードから、思い出した様に突然言った。
「空から降って来たぞ」
琥雅は何事も無かったかの様に言った。
「空から?そうか…」
颯月は考え込んだ。
「何があった?」
その様子を見兼ねて、琥雅が尋ねる。
「いや、何でもない」
颯月は口を噤んだ。敵意が無くても妖術師。容易に信用は出来なかった。
「堅い男だな。もういい加減警戒を解け」
半分怒り混じりの声で琥雅は言った。顔は少し引きつっていた。
今は一切の情報がない。不本意ではあるが、琥雅の事を信じるしかなさそうだった。
「分かった。取り敢えず信じる。まず、ここがどこか教えてくれ」
「取り敢えずか、まぁいい」
琥雅は少し納得いかない様だったが、ため息を吐いて妥協した。
「ここはバルサール国。そのジャングル地帯だ。お前はどうしてここに?」
「分からない。イルサネ国で突然竜巻に襲われて、気が付いたらここにいた」
「そうか」
琥雅はそう言うと、赤い果実を颯月に放り投げる。
「食べろ。腹、減ってるだろ?」
「別に腹なんか…」
颯月が否定を口にした時、颯月のお腹が鳴った。
「ふっ、無理するな。毒など入っていない」
琥雅は軽く鼻で笑った。
「…い、いただきます」
颯月は、背に腹はかえられぬ感覚で果実に口を付けた。
「うまいだろ?イルサネにはないものだ」
琥雅は自慢気に言う。
「ああ、うまい」
シャリシャリと歯ごたえがあり、甘みのある果実。
颯月は少し笑顔になった。
「やっぱり人を笑顔にするのは、食べ物なんだな」
琥雅はそんな颯月の姿を見て、確信する様に呟いた。
「え?」
「いや、こっちの話だ」
颯月は聞き取れず、聞き返したが、はぐらかされてしまった。
それ以上深く聞く事は出来ず、その場は沈黙した。
暫くして、琥雅が口を開いた。
「少し手合せするか?」
「?」
颯月は突然の事に頭を傾げた。
「やり合いたかったんだろう?」
「だが、戦う意思はないって…」
颯月は戸惑った。
「手合せだ。殺さないでくれよ」
琥雅は立ち上がり、槍を持ちながら言った。
「ま、お前に我が殺せたらの話だが?」
琥雅はニヤリと笑い、槍を構える。
「!殺す」
颯月は素早く立ち上がり、槍を構えた。
「挑発に乗り易いなぁ」
琥雅は笑いながら言った。
二人は同時に動き出し、槍を交える。
素早い動きで槍をぶつけ合い、突きを繰り出す。両者一歩も譲らぬ攻防を見せる。
しかし、長く続くかと思われたその勝負は、すぐに決着がついた。
琥雅が颯月の一瞬の隙を付いて、後ろに回った。そして槍の刃先を颯月の背中に向けた。
「これで今、一突きすれば、我の勝ち。お前は死ぬ」
琥雅は、槍の刃先を颯月の背中に血の出ない程度にチクリと突き刺した。
「だな。なんでそれをやらない?」
颯月は背中にチクリとした痛痒さを感じながら言った。
「言っただろう。”殺すのに疲れた”と。それにこれは手合せだ。殺すつもりは最初からない」
琥雅はそう言うと槍を下ろし、先程座っていた場所に戻って行った。
颯月は素直に琥雅が強いと感じていた。そしてその場に立ち尽くした。
琥雅は水をゴクゴクと飲み、上手そうにぷはぁと息を吐く。
「上手い。だが残念だ」
水を飲み終えた琥雅は評価するかの様に言った。
「何がだ?」
颯月は少しイラッとして聞いた。
「それだけ槍の使い方が上手でも、呪符が使えないんじゃな」
琥雅は残念そうに言う。
「庶民なんだから仕方ないだろう」
颯月はイラつきを残しつつ、拗ねた様に言い返した。
「それ!」
琥雅は待ってましたと言わんばかりに、声を張り上げ颯月を指差した。
「!?」
その言動に驚き、少し身を引いた。
「その庶民だからって可笑しくないか?」
そして、颯月にゆっくりと近付きながら言い出した。
「どうして庶民に生まれたからって、呪符を使っちゃいけない?何故、他の職業を望んじゃいけない?もっと自由があっていいべきだと思わないか?不満だろ、あの国に」
琥雅は颯月にずいずいと近付いて行った。
「考えた事も無かった。我は庶民、農業階級で一番下なのが当たり前」
颯月は新しい思想にふれ、衝撃を受けていた。
「けど、一度は考えた事ないか?」
琥雅は颯月の耳元で囁く。
「一番下の階級のせいで、誰にでも敬語でいなくちゃいけない。常に下に見られる。もっと上の階級だったら、こんな思いしなくて済むのに。ってな」
「それは…」
颯月は言葉に詰まった。
「無いとは言い切れないだろう?」
琥雅はニヤリと口角を釣り上げた。
(我は…そんなこと思った事無い筈。けど、なんだ?この言い表せない違和感)
颯月は嫌な汗をかいた。
「そこでだ」
颯月の思考を遮る様に、琥雅が言い出した。
「お前に呪符の使い方を教えてやろう」
「でも呪符は…」
「そう。庶民は呪符の使用を禁じられている」
琥雅が颯月の言葉を奪った。
「そんなの不公平じゃないか?何故、庶民だけ使っちゃいけない?」
「それは…」
颯月は琥雅の問い詰めに答えられなかった。
答えが分からなかったのだ。
今まで考えた事の無い考え方に、面喰っていたのだ。
「それに今、ここはイルサネじゃない。自由だ」
琥雅は手を広げて言った。
「自由…」
颯月はその言葉を繰り返す。
「颯月、お前がもっと強くなりたいと願うなら、呪符を覚えなきゃ、これ以上は強くなれない」
琥雅は至極当たり前かの様に言い切った。
「強く…」
颯月は自然と拳をキュッと握っていた。
「そうだ。強くなりたいだろ?何か守りたいものは無いのか?人ってやつは何だかんだ一つくらい、守りたいものを持ってるもんなんだよ。ま、我はもうそれを失くしてしまったがな」
最後の言葉に、琥雅は顔に陰りを見せた。
しかし、颯月は気付いていなかった。
「守りたいもの…雅…」
ふと、名前が零れた。
「雅?女か。いいな、それ。女を守りたい。その為に強くなる。その為に呪符を覚える。どうだ?」
琥雅が矢継ぎ早に話を進める。
「待ってくれ。話が急過ぎて付いて行けない」
颯月は慌てて頭を左右に振る。
「はぁ。颯月は頭が固いな」
琥雅は落胆する様に言った。
「いいか、今、ここには階級なんて存在しないんだ。自由なんだよ。何やっても罰せられることも無い!」
琥雅は颯月に言い聞かせる様に言う。
「でも、戻ったら…」
颯月は俯き呟く。戸惑いの眼をしていた。
「戻らなきゃいい」
琥雅は平然と言う。まるで、ここに残って欲しい様だ。
「!それはダメだ」
颯月はハッとしたようにすぐ否定する。
「何故?雅とかいう女の為か?」
「ああ」
この頷きだけは、しっかりとした眼差しを持っていた。
「じゃあ、尚更呪符を覚えないとな」
琥雅はその眼差しを受け取った様だった。
「でも、戻ったら使えないだろ」
颯月は吐き捨てる様に言った。少し苛立ちが見えた。
「使えばいい。いくらでも禁忌を侵せ。あの国に、お前が"自由"をもたらすんだよ」
琥雅は身振り手振りを大きくして言った。
「"自由"を…?」
琥雅は少し驚いた様に、言葉を繰り返す。
「あの国は堅すぎる。この先、柔軟にならなければ、あの国は潰れるぞ。お前の女も守れなくなるな。守るには"自由"をあの国に広めろ。それがお前の使命だろう」
「我の使命?」
言葉を繰り返し、思わず喉が鳴った。
「ま、そんな重く考えるな」
「そう言われても…」
颯月は戸惑いの色を隠せなかった。
「簡単に、女を守る為に強い力を手に入れる。そう考えればいい。でも、覚えたものを使うか使わないかは、お前次第だ」
琥雅は、颯月に人差し指を向けて告げた。
「我次第、か…分かった。教えてくれ」
颯月は意を決して答えた。これから禁忌へ踏み出す決意だった。
「おう。そう来なくっちゃ」
琥雅はそんな気も知らず、二カッと笑って応えた。
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