第11話 師範 ニ
翌日の朝、繻樂は目を開けた。
少し、目だけで周りを見渡した。
起きたばかりで、まだ頭が少しぼうっとしていた。
「起きましたか?まだ体、辛いですか?」
綜縺が繻樂を覗き込み、聞いた。
「いや、特には」
繻樂は答えながら、起き上がった。意外と体は身軽に感じた。
部屋の中心には鍋があり、皆がそれを囲んでいた。
「繻樂様も食べてくださいね」
綜縺はお椀にそれをよそい、繻樂に渡した。
どうやら朝食のようだ。
汁の中には焼き魚をほぐしたものが、具として入っていた。
繻樂はそれを受け取り、一口汁を口に含み、喉を潤した。
「お前さん、あのバカ弥八の弟子なんだとな」
弦郎が食事をしながら、繻樂に話を切り出した。
「…ああ」
繻樂は少し驚いた顔をして答えた。
「悪い、主。主が寝ている間に色々話した」
嵐は少し申し訳なさそうに言った。
「よい。そう言えば雪城様」
繻樂は思い出した様に、綜縺を呼んだ。
「はい、なんでしょう」
「これ、直せないか?」
繻樂はボロボロになった扇を見せて言った。
「これは…扇…ですか…」
綜縺はそっと、その扇を手に取った。
そして扇を開いて見た。
「随分とボロボロですね」
綜縺はここまでボロボロの物も珍しいと言った顔で見ていた。
「直せないか?」
繻樂は心配そうに聞いた。
「いや…我は弓専門ですからね。まあ、やって見ますが、直せても戦闘には使えぬと思います。それでも良いですか?」
綜縺は考え込みながら言った。
「良い。使えなくても直りさえすれば」
「そうですか。新しい扇を専門に貰った方が良いと思いますが」
「時期にそうする。だがそれは、失くしたくないんだ。師匠からもらった大切な形見だからな」
繻樂は綜縺の方を見て、切なげに言った。
「そうですか。分かりました。直してきます。草津さん、家の裏、貸して頂きますね」
綜縺は立ち上がり、弦郎に言った。
「ああ、好きにせい」
綜縺は一礼し、出て行った。
「さて、繻樂。お前は強くなりたいか?」
弦郎は唐突に聞いた。
「…なりたいです」
繻樂は低い、覚悟のある声で言った。
「そうか。なら教えてやっても良い。お前が、弥八から教わった技は、我が草津家が代々受け継ぎし技だ。あのバカめ、自分の子供に教えずお前さんに教えおった」
弦郎は落胆するように言った。
「妻がいたと思ったが?」
嵐が聞いた。
十四年前のあの時、妻は殺されてはいなかった。
「そうじゃ、おった。だが弥八の死の精神的ダメージをひどく受けて、身籠った子は流産じゃ。もう子はいない。これで草津も終わる。だがな、草津が終わっても、この扇の技だけは、終わらせてはならぬのだ。この扇は人の使い方次第で、人を生かしもすれば、殺しもする。人を助ける事の出来る唯一の武術だ。どうか、この技を継いで、後世に伝えていって欲しいのだ。お前さんに、草津家のことまで背負わせてしまうのは心苦しいが、お願いできぬか?我はな、この扇が、後のこの世界を救うと思っている。この扇は救いの扇だ」
弦郎は真剣に、繻樂の目を見つめて訴えた。
「………」
繻樂の中に一つの過去が映し出された。
それは扇を習い始めた頃の事。
繻樂が四歳の頃。
何度見ても心奪われ、惹かれていく師匠の舞に惚れ惚れし、憧れを抱いていた。
「繻樂、あなたも舞いなさい。まずは見様見真似。楽しくです」
弥八は手招きをして、繻樂を誘った。
繻樂は言われるがまま、見様見真似に舞を始めた。
しかし、貴族が嗜む舞と扇の舞では、ステップが違い、上手く踏むことが出来なかった。
「まずは完璧にこなすより、心楽しく、気持ちを込めて舞うのです」
そう弥八から助言を受けたが、少女繻樂には、その意味が良く分からなかった。
「くすっ、そんなに力んではいけません」
繻樂のぎこちない舞を見て、弥八は笑った。
「心楽しく、気持ちを込めてが分かりません」
繻樂は少しムスッとした顔で弥八に言った。
出来ない自分に、惜しさとイラつきを感じていた。
「いいですか。この扇は決して人を殺すだけの技ではありません。この扇はその方のお心遣い一つで、人を生かすことが出来ます。人を生かしもし、殺しもする。それが草津家の扇です。“救いの舞”今は存在しませんが、我はいつか、その“救いの舞”を完成させるのが夢なのです。そんな“人を救いたい”と言う思いを持って、まずは舞うのです。人を傷付けたいと思って舞うことなど、誰にだってすぐに出来ます。ですが、“人を救いたい”という思いを持って舞うことは、中々出来ないものです。いいですか、繻樂。思いやりの心を持って、舞うのですよ」
弥八は優しく繻樂に語り掛けた。
「どうした?気分でも悪いか?」
体に揺れを感じ、はっとなると、弦郎が心配そうに見ていた。
「あ、いえ。大丈夫です。(忘れてた…思いやりの心…人を、救いたいと思う気持ち…どうして忘れてたのだろう…)」
「そうか。それなら良い。で、どうじゃ?」
弦郎は繻樂の意思を尋ねた。
「はい、我に扇を教えてください。我に“救いの舞”を」
繻樂は強い眼差しで弦郎を見つめた。
「お前…その言葉…」
弦郎はその言葉に驚き、目を見開いた。
「はい、生前、口癖のように師匠が申していました。“救いの舞を完成させたい”と」
繻樂は師匠の言葉を伝えた。
「そうか…あいつが、そんなことを…」
弦郎の目は潤んでいた。
「はい、夢だと」
「夢か…あんなバカがな。あいつはいつもバカでな。扇も下手で、何やってもバカばっかりだったのだ」
弦郎は貶しながらも、嬉しそうに呟いた。
「よしっ!やるか」
弦郎は声を上げて、気持ちを切り替えた。
「はい」
繻樂は力強く答えた。
「まずはお前の評価だ。先の戦いを見せてもらったが、まだまだだな。貧弱」
弦郎は単刀直入に言った。
「でもそれは力を奪われ失くしたからで…」
嵐が弁解する様に言った。
「それにしても貧弱だ。今までよく生きとった。生きとるのが不思議なくらいだ」
弦郎がやれやれと言った感じで言った。
「何がそんなに駄目ですか?」
繻樂は聞いた。
「お前は力の使い方、扇の舞方、動き方、全てに無駄が有る」
「無駄が…」
繻樂は弦郎の言葉を反復した。そして、自分の技を振り返り、瑕疵を考えた。
「そうだ。体力を十と仮定して、ある一つの技を出すのに一使うとする。お前はそれに二使っているのだ。それは動きに無駄があるから、人より倍に力を使わなければならぬと言う事だ。全く、あのバカは何を教えとったんだ。お前さん、扇はどこまで習得したんだ?」
弦郎は説明し、繻樂に聞いた。
扇には、術式一から六十までの技がある。そしてそれ以外にも扇を使った技が無分咲から満開まである。
弦郎は繻樂の実力から見て、せいぜい十か二十手前までだろうと思っていた。
「全てです」
繻樂はさらっと答えた。
「!?お前さん、大見得は切らんでいい。本当のことを言え」
弦郎はその言葉を信用しなかった。
その実力で全てを習得したなど有り得ないと考えていた。
「本当です。術式一から六十、扇の舞を満開まで習得しました」
「なんと…それを何年で?」
弦郎は疑いながらも聞いた。
「四歳の頃からなので…六年です」
繻樂は記憶を辿りながら答えた。
「六年!?そんな短期間で全てを習得したと言うのか!?」
弦郎は驚き、声を上げた。
「短期…」
繻樂はその言葉に疑問を抱いた。繻樂自身、習得に時間が掛かった方だと考えていた。
「当たり前だ!扇の舞は難しく、全習得するにはおよそ三十年近く掛かる代物だぞ!」
弦郎が信じられないという顔をして、ポカンとしている繻樂に言った。
「三十年近く…」
繻樂はその長さに驚いた。
「そうだ。だから習得する前に死ぬ奴もおって、継承しにくい武術なのだ。それを六年でなど…どうりで舞が荒いと思ったわ」
弦郎はあーあと頭を抱え、ため息を吐いた。
「舞が荒い…」
言われた事の無い言葉に、繻樂は考え込んだ。
「ああ、扇独特のステップも、我から言わせれば、一つも踏めていない。動きに無駄な動作が有り過ぎる。舞は鮮やかに美しく、スマートに。それでは何にもなっとらん。よく六十まで習得出来たものじゃ。大方、弥八が急かしたのだろう。あいつも自分の死を感じておったのかもしれぬ」
「師匠が死を…」
繻樂は驚いた。
いつも笑っていて、あの日も『ああなるとは思っていなかった』というような顔をしていた、師匠弥八が、自分の死を感じていたのかと。
「そうだ。力有るもの、自然と自分の命の終わりぐらい感じるものだ」
弦郎は少し遠い目をしながら言った。
「………」
繻樂は黙って弦郎を見つめた。
「さ、辛気臭い話は終わりだ。始めようか」
弦郎が場の空気を一変させ、立ち上がった。
「はい」
繻樂も立ち上がり、二人は場所を移した。
「この扇を使え」
移動した部屋で、弦郎は扇を渡した。
「はい」
繻樂はそれを素直に受け取った。
「それは初心者向けの、どこにでも売っておる有り触れたものだ。まずはそれでやれ」
「はい」
「ではまず、基本の動きからだ。無分咲から徐々に開き、一回回る」
弦郎は早速、扇の基本を教え始めた。実際に言葉で説明しながら、再現する。
そして、それを繻樂が真似た。
基本などクリアしている。このぐらい簡単だと思った。
「駄目だ、駄目だ!何にもなっとらん!全く、奴は何を教えたのだ。そんなのはただの舞だ。扇の舞ではない!」
弦郎からすかさず注意を受けた。弦郎は再び舞を見せた。
そして繻樂も同じようにやり直す。
しかし、再度注意された。
その同じ部分だけを、何度も何度も注意され、やり直した。
「全く…基本動作だけでこれでは先が思いやられるな」
弦郎はひどく頭を抱え、やれやれと言った感じだった。
「今は休め。続きはまただ」
取り敢えず、今日のところは終わりだった。
繻樂の体力が持たない。
「はい…」
繻樂はこんなにも出来ていないとは思っていなかった。今、これだけの基礎で、ここまでの注意を受けた事が悔しかった。
自身を過信していた愚かさを痛感していた。
二人は最初の部屋へと戻った。
そこには綜縺が戻ってきていた。
「繻樂様、余りご無理はなさらぬ様に。まだ本調子ではないのですから」
綜縺は繻樂の顔色の悪さに、心配した。
「ああ、分かっている」
繻樂は布団に横になった。
もう体を起こしているのですら、辛かった。
「それと、こちら。なんとか直りましたよ」
綜縺は繻樂の扇を手渡した。
受け取った繻樂は扇をそっと開いて見た。
傷なんて一つもない程、綺麗に直っていた。
「でも、使えば…」
綜縺は一つ、忠告を言いかけた。
「消滅だろうな」
分かり切っている様に、綜縺の言葉を繻樂が引き継いだ。
「ええ」
綜縺はそれに頷いた。
「ありがとう。これで十分だ」
繻樂は礼を言い、大事そうに胸元にしまった。
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