第10話 師範 一

その頃、一人の男がその村を訪ねていた。

薄汚れた着物を着ていた。

そして弓と矢を持っていた。そう身分の高い者には見えなかった。

彼はとある仕事でこの村に出向いていた。

ここにはよく訪れる、慣れた村だ。

少し奥に行くと、まだ朝にも関わらず、村の真ん中に人だかりが出来ていた。

人ごみを掻き分け、その中心に行くと、そこには沢山の妖怪の死骸があった。

「これは…」

彼は驚きの声を上げた。

「あっ、綜(そう)様」

一人の村の女が、彼に気付き声をかけた。

「ああ、ご婦人。これは一体?」

彼は優しく微笑んだ。

「さあ?分からないわ。早朝から急に知らない人達が戦いを始めて…」

女は怖かったのか顔を暗くした。

「でも一人はあの役人の呪いの女、繻樂じゃなかったかのう?」

年配の男性が話しに入って来た。

「ああ、ああ。確かそうじゃった、そうじゃった」

「我は見たぞ。呪いの女を。この目でのう」

「我も見た。家の隙間からだがな。そっとな」

次々に村人達が言い出した。

(呪いの女…繻樂様が此処に…一体誰と此処で?それに何故こんなにも多くの妖怪が?)

彼は繻樂を知っている様だ。

そして様々な疑問が頭の中を埋めていた。

「そうそう、誰か分からないけど、怪我人が出たみたいよ?綜様、一度見てあげて下さい」

「怪我人?」

「ええ、あの蔦の家です」

女が一軒の蔦で覆われた家を指し示した。

確かに、家全体が蔦に覆われた一軒の家があった。

辺りには瓦礫が散乱していた。

ここでの戦いに巻き込まれて、崩れたのだろうことは、容易に想像が付いた。

「分かりました。行ってみます」

「お願いしますね」

女はこの村の人かもしれないと、心配していた。

彼はその家に向かって行った。


嵐達が家に入ると、そこには布団が引かれ、繻樂を寝かせる準備が整っていた。

「遅かったな。何をもたもたしていたのだ?」

老人は、看病の準備をしながら嵐達に聞いた。

「こいつ等が御老公を怪しんでな」

嵐は園蛇に嫌みを言う様に言った。

嵐の言葉を聞いて、老人は高く笑い出した。

「御老公とは恐れ多い。この老いぼれにそこまでの敬意を払うか。ユニコーンよ」

それ程可笑しかったのか、笑いながら聞いた。

「ああ、そなた様はそれに値するお方だと、我は判断した」

嵐は、冷静に老人を見て言った。

(まただ。一体どうゆう繋がりが?この老人は嵐の事を知らないし…)

園蛇は晴れぬ謎に顔をしかめた。だが、そうゆうのは嫌じゃなかった。むしろ楽しかった。

「そうか。ま、取り合えず彼女を横に」

一通り笑い終え、老人が繻樂を布団に寝かせる様促した。

颯月は繻樂を布団に寝かした。

丁度その時、家の前で男性の声が「すみませーん」と聞こえた。

その男はさっきの彼だ。

「誰だ?」

老人は返事をし、彼の前まで行った。

「この村の方に、怪我人がいるので見てあげて欲しいと頼まれまして」

彼はにこやかに笑いかけて言った。

「お前さんか」

老人は彼を知っているようだった。

「入るといい」

老人は家に招き入れた。

「しかし、ここの村人が嫌われ者の役人、呪いの女、繻樂の身を案ずると?それは変じゃな。ここの村人は酷く呪いの女を嫌っているが?」

老人は疑問を口にした。

「誰か分からないと言っていました」

「そうか、分からないねぇ」

老人は、呪いの女でなければ助ける、呪いの女であれば助けない。そんな線引きをされる繻樂を哀れに思った。

「ああ、やはりそちらの方は風間繻樂様と仕えの嵐ですよね?村人は、もし村の誰かだったらと、心配していましたよ。誰も、繻樂様が怪我をなさったとは気付いておりません」

男は奥で寝かせられている繻樂と隣に寄り添う嵐を見た後、老人に笑みを向けた。

「ふっ、警戒するに越した事はないよ」

老人は村人達の動きを警戒していた。

これを機に暴動でも起こされては、繻樂達の命が危ない。それだけは回避したかった。

「あー!!!」

ふと、嵐が何かを思い出した様に大声を上げた。

皆は何事かと思い、嵐を振り返った。

「お前は雪なんとか!」

嵐は片足を前に出して、彼を指す様にして叫んだ。

どうやら知っているらしいが、名前が“雪”しか思い出せないらしい。

「知っているのか?」

老人が尋ねた。

「はい、以前、道で主を助けてくれた人です」

「ほう、そんな事をしておったのか」

(また敬語)

園蛇は面白くなって肩でクスリと笑った。

「はい、我は雪城綜縺(ゆきしろそうれん)。職人、弓士(きゅうし)階級。二十五代目次期当主です。医師商人希望。独学で学びました。知識はあります。勿論実践経験も」

雪城綜縺と名乗る男は、そうすらすらと自己紹介をした。

そして、ずかずかと家へ入って行き、繻樂の診察を始めた。

「全く、仕えで有っても、主を止めるのも立派な仕えの仕事ですよ?」

綜縺は診察しながら、嵐に忠告した。

「だったらお前が止めて見ろ。このじゃじゃ馬。止めても聞かぬぞ」

老人が嵐の代わりに答えた。

「そうですか。こんなに無茶して…」

綜縺は繻樂の傷だらけの姿を見て、酷く心を痛めていた。

まるで大切な人を見る様な眼だった。

園蛇はそれを見て、ただの役人である繻樂を敬ってか、恋の対象者として見ているのか、判断しかねた。

綜縺はテキパキと治療を進めた。

暫くすると治療が終わり、嵐達に絶対安静を告げた。

「ありがとうございました。(そしてあなたは誰でしょう?繻樂様の何?何故医師商人を?また、謎が増えましたね)」

園蛇は丁寧にお礼を言ったが、心の中は疑(うたぐ)りで一杯だった。

「いえ、あなた方の薬が無ければ治せませんから。こちらこそですよ。(何でしょう?この方の妙な空気は…)」

綜縺は園蛇のそれを感じ取ったのか、身体がぞくりとした。

様々な医薬的薬は学者、博士階級の人にしか調合出来ないのだ。

その調合された薬を使って医師商人達は治療するだけだった。

園蛇は薬を調合出来ても、実際にそれらを使って、人に治療を施す事は出来なかった。

学者、博士階級の人は誰でもそうである。

「我が学者だと?」

園蛇はまだ何も自分の事を言ってはいない。それなのに何故身分が知られているのか不思議に思った。

「おや、違いましたか。失礼致しました」

綜縺は頭を深々と下げた。

「(なんとも引っかかるわざとらしい話し方だ。)いえ、あっていますよ。ただ、何故分かったのかと」

園蛇はその態度に嫌悪を抱いた。

綜縺はにこっと笑って見せた。

その意図が園蛇には理解出来なかった。

「三重家は学者界では有名ですから。医師商人なら誰でも知っていますよ。ま、我は職人ですが、独学で医療を学んだとしても、医療の世界にいれば、三重家の事は嫌でも知りますよ」

「そうですか」

園蛇は敢えて先を聞かなかった。

ただ、綜縺に不気味な笑みを残した。

二人の間には、ただならぬ不穏の空気が有った。

「おい、綜縺。でもあの時は調合したじゃねぇーか」

嵐がその空気を知ってか知らずか、ぶち壊して聞いた。

この空気に、なんとなく違和感があると感じていた皐と颯月は、度胸あるなと呆れながらも感心していた。

老人は嵐の行為の意味を見抜いていた。

意志を持ったぶち壊しだ。

嵐は、その人を探り合う空気感がうっとうしかったのだ。

「ああ、あれは適当ですよ。薬草の種類は見分けられても、実際調合出来るのは博士だけですから。調合率は代々博士にしか教えられてませんからね」

綜縺は医療道具を片付けながら言った。まだそのままだったのだ。

「じゃあ、主に雑草を飲ませたのか!?」

嵐は園蛇との話しを聞いて、薄々は感じてはいたが、いざとなると、どきっとした。

「雑草じゃなくて、薬草です。ちゃんと薬草を入れましたよ。ああでもしないと、きっと食欲ないだの文句を言って食べなかったでしょう」

綜縺は繻樂のそんな性格を半ば呆れながら言った。

「はぁ?」

嵐は理解しがたい急な発言に首を傾げた。

(何故そこまで彼女の事を?どうゆう関係を持った男性なのでしょう)

園蛇は体中がぞくぞくした。

彼の一つ一つの発言が謎を呼び、園蛇の身体を謎で埋めた。

快感だった。今までにないものを感じた。

これ程までに一気に謎に囚われた事は無い。

体中からぞくぞくし、笑いが込み上げて来る程、楽しかった。

園蛇は冷静な顔で、必死に笑いを堪えていた。

あまりこのとち狂った姿は見せられない。園蛇は自重していた。

「彼女はそうゆう意地を張って、人に頼らない傾向があると聞いていましたので」と、また綜縺は謎を残す言い方をする。

それが園蛇には堪らなく快感だった。より快感を求めたくなった。もはや中毒だ。

「誰に?」

嵐はすかさず尋ねる。

あまり謎は好きじゃない。分からない事は直ぐ知りたい。楽をしたい。考えるのが嫌いだった。

「さあ?嵐がとてもよく知っている方だとは思いますが?」

「あ、あのっ、」

皐が意を決した意気込みで話しに入って来た。

「ん?何でしょう」

綜縺は優しく応えた。

「えっと、あの、しゅ、繻樂様…本当に、…大丈夫かなって…」

皐は繻樂の事を心配していたが、この不気味な空気に怯えていた。

眼も合わせられず、言葉も詰まっていた。

(ああ、こんな小動物の様に可愛いお嬢さんを怖がらせてしまうとは…)

綜縺は、この場でこの空気を広げた事を反省していた。

「大丈夫ですよ。心配しなくても。ほっとけば治りますから。実際、何も医薬投与は行っていません。傷口を消毒したぐらいです」

綜縺は少しでも安心してもらおうと、優しい笑みをした。

「?そ、そうなのですか?」

皐はその言葉に、少しきょとんとした。

それは周りも同じだった。

「ええ、繻樂様は体力が無いだけです。極端にね。だから体力が無くて倒れているだけで、傷はそう深くありませんし、この程度なら大した事無いですよ。体力が戻るまで寝てれば大丈夫です」

「そうなのか?」

嵐は信じられない思いで聞き返した。

「ええ」

「でもなんでそんなに体力が無いんですか?役人なら普通、鍛えてるとは思うんですけど?」

颯月が口を挟んだ。

「ええ、確かに。それは我も気になるところです。我が初めて繻樂様にお会いした時、彼女は道で倒れてましたから。嵐と共にね」

綜縺が颯月の疑問に賛同し、答えを求め、嵐を見た。

嵐なら何か知っている筈だと。

その答えは、嵐ではない意外な人物から返ってきた。

「大方、妖術師に力を奪われ失くしたのだろう。愚か者め」

老人だった。老人は繻樂に近付き、顔や首筋を触りながら言っていた。

「妖術師?」

その言葉に颯月は首を傾げ聞き返した。

皐はきょとんとし、園蛇と颯月はその言葉を聞くなり、一瞬で顔を険しくした。

「何故、分かるのですか?」

嵐は少し顔を険しくしながら聞いた。図星だった。

園蛇は、そこまで気を付けて敬意を払われる老人とは一体何者なのか。

そして、妖術師について何を知っているのか。

謎が次々に生まれ、早く解き明かしたい欲望で園蛇の心は埋まった。

「彼女に触れば、妖術師を知っている者なら、身体に残った気で分かるわ」

老人は何か、昔を思い出す様に言った。

「あなたは誰なんですか?」

園蛇は冷静を装い、聞いた。

本当はもっと厭見たらしく、じわじわ相手を責めて、謎に迫るのがより快感を生むのだが、その姿をここで見せるわけにはいかなかった。

「我は草津弦郎(くさつげんろう)。武術士、扇士(おうぎし)階級の老いぼれじゃよ」

草津弦郎と名乗った老人は、繻樂から手を離し、園蛇を見た。

その眼は園蛇を見透かしている様な眼だった。

園蛇は一瞬、身体が凍りついた。厭な感じがした。

園蛇は相手を追い詰めず、普通に聞いて謎を知ってしまうことに、一瞬はつまらないと感じたが、この老人はただ者ではないことをその眼から感じ、その謎にわくわくした。

「やはりか。やはりそなた様は草津家当主。草津弦郎様か」

嵐は頭を下げた。

園蛇の眼には異様な光景に見えた。

あの誰にも敬語を使わない、敬意を払わない様な口の悪いユニコーンがそこまでするとは驚きだった。と、同時に草津という武術士はその世界でどう捉えられているのか、気になった。

この世界は階級事に世界が別れており、その階級の事は同じ階級の人達が一番良く知っていて、ある一つの階級で頂点が誰なのかを他の階級の人は、繋がりが無い限り、知らなかった。

例えば、武術士の世界で一番強い家系は何処なのか。

それは、同じ武術士とその世界に関わっている職人しか知らなかった。

例外として、政府の役人の中で役人階級から上の者達は、全ての階級の頂点を知っていた。

「お前さん、草津家に仕えておったか」

弦郎が確信を持って聞いた。

「いえ、我の母親が、草津弥八(くさつやはち)様にお仕えしていました。我は主を風間繻樂様に持ち、仕える嵐。弥八様は繻樂の師範でした」

嵐は頭を下げたまま答えた。

「そうか。弥八は我の息子じゃ。十四年も前に死んだがな」

「申し訳ありません。守れず」

嵐は過去を思い出し、歯を食いしばった。

「よい。十四年も前だ。お前さんにどうこう出来る歳頃ではなかっただろう」

弦郎は責める事無く、優しく言った。

「…はい」

嵐は酷く悔やんでいる様だった。

「そうか。彼女が弥八の弟子か。最初で最後の一番弟子か。よく弥八の文でも聞いておった。嵐のことも、母親のこともな」

「そうですか。弥八様が文で…」

嵐は顔を上げ、弥八や母親を思い出し、昔を懐かしむ様な顔をした。

(チッ、つまらない。もっと謎は刺激的に解いていくものだ)

園蛇は、簡単に色々な謎が明かされたことに不満だった。

「ああ。そう言えば、何故彼女は妖術師に襲われた?」

弦郎が少し話題を無理に変えた。

今はあまり感傷に浸ってはいたくないのだろう。

嵐も同意だ。それを汲み取り、話を合わせた。

「そうだな。これから先、お前等と旅をする中で、我等が妖術師を追うことになった経緯を話しておかないとな」

嵐は皆に向かって言った。

「我はその他にも、繻樂の髪の短さが気になるなぁ」

弦郎があまりにも短過ぎる繻樂の髪を見て言った。

「確かに、我があの時、会った時にはもう髪は短かった」

綜縺がその時の状況を思い出しながら言った。

「我と皐が会った時にも既に」

園蛇が皆に空気感を合わせて言った。

「そうか。そこから話すと長くなるぞ?良いか?」

嵐は少し考え込んで聞いた。

「ああ」

皆は一斉に同意した。

そして嵐は、これまでにあった事、起きた事を皆に話した。

妖術師に襲われた事、愛する人の為に髪を短くした事。

雨野雅についてはなにも語らなかった。

 

「そうか。そんな事が。愛する人を喪うとは、辛かったな、繻樂」

弦郎は眠る繻樂を悲しげな眼で見つめた。

「繻樂様の力を奪ってこの国を滅ぼす事が目的か…」

園蛇が呟き、考え込んだ。

「妖術師において、まず情報が少な過ぎる」

嵐は軽くため息交じりに言った。

「教えようか?」

ふと、弦郎が重い声で言った。

「知っているのか!?いえ、いるのですか?」

嵐はその言葉に驚き、すかさず聞き返したが、敬語を忘れ言い直した。

「我は命令により妖術師討伐をした一人だよ」

弦郎は皆を見据えて言った。

「そうでしたか」

園蛇がそう答えると、繻樂の目が開いた。

「!目、覚めましたか?」

綜縺がすぐに気付き、繻樂に声を掛けた。

「……雪城…綜縺」

繻樂は虚ろな眼差しの中、その目に映る彼を見て呟いた。

「はい、よく覚えておいでで。あの仕えとは大違いですね」

綜縺は嵐に嫌味を言いながら、繻樂に答えた。

「翔稀馬様の大切なご友人を、忘れるわけはない」

繻樂は辛そうな息遣いをしながら答えた。

「そうですか。それは光栄です。ですが、今はもう少し休んでくださいね。まだ辛いでしょう」

綜縺はそれを気遣い、再び眠りにつくよう促した。

「あぁ…」

繻樂はその言葉に従う様に、すぐに目を閉じ、再び眠りに落ちた。

「はっきりとした症状だな。体力が戻るまではほぼ眠り続ける。目覚めるのはほんの少しの間のみ」

弦郎は淡々と繻樂を見て言った。

「これが妖術師に力を奪われ失くした者の症状ですか…(それに、彼はあの奏音宮様のご友人だったのか)」

園蛇は繻樂を見た。

「ああ。討伐の最中にも、何人ものやつが力を奪われ失くし、死んでいった」

弦郎は昔を思い出すように言った。

次々に戦友が死んで逝く戦場が目の前に広がった。

言葉では言い表せない程の悲惨な現場だった。

戦友は力を奪われ、抵抗も出来ず、妖怪の餌となり、妖術師の餌食となり、切り刻まれ、ズタズタになって、儚き命を散らせて逝った。

「主も死ぬのか!?」

死んだと聞き、嵐が慌てた。

「力を奪われ失くしただけでは死なぬ。力を奪われ失くした中で戦っても、負けは見えている。皆、力に負け、殺された」

弦郎は首を横に振り、答えた。

「力が急激に弱くなれば、戦中楽に相手を倒せますからね」

綜縺が妖術師の戦法に納得の意を示した。

「何か、雅と関係があるのかな?」

颯月が暗い顔をして呟いた。

「さあな。それに関しては分からないが、主とは有るぞ。雅は弥八以外にも、繻樂の周りの者達を数え切れぬ程殺した」

嵐は冷たい目で颯月を見た。

「そんなにも…」

颯月は驚き、顔を青ざめた。

「その雅とやらは、どうゆう方だったのですか?」

園蛇が聞いた

「普通の庶民の子だ。ちょっと人より家庭環境は複雑だったが…」

颯月は瞳に影を落としながら答えた。

 

十四年前

「うわぁっ!」

肉を裂く音に、液体の飛び散る音。

その後に、男のうめき声が響いた。

その音に慌てて家に入る少年颯月。

そこには息を呑む光景が広がっていた。

真っ赤な返り血を浴びた少女雅と、目を見開き口や体から血を流している男女の死体。

雅は真っ赤に染まった包丁を握り締め、息を切らしながら、男を睨み付けていた。

男と女の死体は、まだ腹の傷からドクドクと血が溢れ出ており、部屋に大きな血溜りを作っていた。

颯月はその光景に恐怖を感じた。

「み、雅…」

恐る恐る声を掛ける颯月。

今、起こっている全てが嘘で有る事を必死に願った。

その時、雅が言葉を発する前に、村人が集まってきた。

「何?殺人?」

「あの子が殺したみたいよ」

「やぁねぇ。自分の父親をよ」

「いくら義理とは言ってもねぇ」

「有り得ないわ」

「いかれてるのよ」

「どうかしてるわ」

と、村人達の様々な声が、幼い二人の耳に入った。

「おい、颯月!何をしているんだ!戻ってこい!そんな罪人と一緒にいてはいかん!離れるんだ!」

颯月の父親が顔を真っ青にして、颯月に叫んだ。

「でも父さん」

颯月は振り返り、父親を見た。

「いいから来いっ!」

父親は何を見たのか、酷く顔が引きつった。

「?」

颯月は理解出来なかった。父親の視線が気になり、雅の方を振り返った。

「!」

目の前には間近に迫った雅がいた。

雅は包丁を颯月の腰のあたりに向けていた。

しかし、颯月はそれが自分に刺さるとは思わなかった。

その刃先は、颯月の父親に向いていた。

「雅…」

颯月は雅の目を見て、堪らず呟いた。

「…さよなら」

雅はか細く呟いた。そして颯月の横を通り、家を出た。

「!」

颯月はその時、今まで見たことのない雅の表情を見た。

「雅!」

颯月は慌てて振り返り、雅を追った。

しかし、家を出たところで、父親に捕まった。

「父さん、離して!雅が、雅がいっちゃう!」

颯月は必死にもがき、叫んだ。

「行かせない。あんな罪人、役人に捕まる」

父親は必死に颯月を制止した。

「そんな!雅!雅!!雅!!!雅――――!!!!!」

颯月は届かない手を必死に伸ばし、声を上げた。

涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら叫ぶその声は、誰にも届かなかった。

その声は虚しく、雅は遠ざかり水平線上に消えていった。


颯月は誰かに体を触られているのを感じた。

「……か?」

声も聞こえてきた。

「!」

ふと我に返ると、園蛇達が心配そうに颯月を見ていた。

「大丈夫か?さっきから呼び掛けにも反応しないし、顔色も悪いぞ」

園蛇が顔を覗き込んだ。

「ああ、すみません。大丈夫です。少し、昔の事を思い出してしまってただけです」

颯月は過去を思い出し、我を失っていたようだ。

「昔の事?」

皐が聞いた。

「ああ、少し」

颯月ははぐらかそうとした。

「どういった?」

しかし園蛇はそれを許そうとはせず、突っ込んで聞いてきた。

「…雅の事ですよ」

颯月は嫌そうに答えた。

「へぇ、楽しい思い出でしたか?」

園蛇は薄く笑みを浮かべながら聞いた。

「…ああ。そうですよ」

颯月は若干園蛇を睨み付けながら言った。

「そうですか。それは良かったですね」

園蛇はこっにりと笑った。

(彼はそこまで探りを入れて何がしたいんだ?)

綜縺は園蛇を冷やかな目で見た。

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