第5話 妖術師 ニ
眩しい朝の光に、繻樂は薄っすら眼を開けた。
聞こえてくる声は、嵐の誰かを問い詰める声だった。
繻樂は気になり身体を起こした。
「あっ」と、男は繻樂が起きた事に気付き、声をあげた。
嵐は慌てて振り返り、繻樂を見た。
「!主!もう大丈夫なのか?」
嵐は駆け寄って行った。
昨日の夜一日で、嵐はすっかり元気になっていた。
今も、男に昨晩の問い詰めをしているところだった。
「ああ」
「大丈夫なわけがないでしょう。まだ、安静に寝ていて下さい、繻樂様」
男は繻樂を押し倒し、再び仰向けに寝かした。
「貴様は誰だ?」
繻樂は薄ぼんやりとした視界の中で見える見覚えのある男に、聞いた。まだ、頭がぼーっとしていて、はっきり思い出せなかったのだ。
「もう少し、元気になったら教えます。今は休んで」
繻樂はまだ身体にだるさがあり、また直ぐに眠ってしまった。
昼に近くなった頃、繻樂は再び目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こす。大分身体は楽になった様だった。
「身体は大丈夫ですか?」
直ぐに男が気が付き、繻樂に尋ねた。
「ああ、大分楽になった」
繻樂は、今度はしっかりと男を眼に映した。
男の髪はぼさぼさで、目が髪に隠れ、あまり見えなかた。
「良かった」
男が言う前に、嵐が安堵の表情を浮かべて言った。
男は昨日、嵐に飲ませた物と同じ汁を繻樂に差し出した。
「味は保証しません。そこら辺の薬草を入れて、煮込んだ物ですから。ですが、今の繻樂様の身体には良い物ばかりです」
「…不気味な」
繻樂は受け取った汁を見ながら、嫌そうな顔をして言った。
「見た目は悪いが、味は想像よりも旨かったぞ」
嵐は味の感想を言い、繻樂を安心させようとした。
「…嵐がそう言うと余計に心配だ」
繻樂は溜息を付きながら答えた。
「!何故だ!?」
嵐は安心するだろうと思っていたので、逆の反応にひどく驚いた。
繻樂はそれを無視し、意を決して汁をすすった。
「フゴッ…!」
繻樂はむせ返った。
「主!?」
嵐は取り乱した。
今まで繻樂が食事でむせ返るなど有り得なかった。
「ま、それが普通の反応でしょうね」
男が繻樂の反応を見て平然と言った。
「何だと!?」
嵐はどうゆうことかと男を問い詰めた。
「本当に旨いと思ったのですか?味音痴ですね」
男は馬鹿を見る目で言った。
「…まずい」
繻樂が呟いた。
「そう。見た目通りこれはまずい。我は味見した時点でそれ以上は飲まなかったですが、繻樂様は飲んで下さいよ。今必要な物しか入っていない、言わば薬ですから。それに良薬口に苦しと言いますから」
「いや、これは苦いを通り越してまずいの領域に入っているのだが?」
「気にしない」
「そんなにまずいものか?」
嵐は二人のやり取りを聞いて、怪訝な表情で聞いた。
「嵐は味音痴だからな。嵐がまずいと申す言うものなどこの世にないだろう」
繻樂は意を決して、再び汁を飲み始めた。濃い緑色のドロッとした液体。口の中に、喉に、へばり付く様な気持ち悪い感覚に吐き気が襲った。しかし繻樂は、それを堪え一気に飲み干した。
飲み終わると、皿を投げ捨て「まずい」と呟き、嵐達に背を向けて、再び横になった。まだ身体がだるかった。
「そんなにまずいものかなぁ?」
嵐は、繻樂が投げ捨てた皿に残った汁を舐めながら言った。
「味音痴はある意味幸せなのかも」
男はその光景を見て、クスリと笑った。
「おい、お前は誰だ?」
嵐が男に向き直り、問い詰めた。
「くどいですね」
男は何度目かの同じ質問に、飽き飽きしていた。
「貴様は翔稀馬様の友人だろう?」
寝たと思っていた繻樂が、嵐達の方へ向きを変え、男に聞いた。
「ええ。上流貴族階級、奏音宮家(そうおんのみやけ)に代々仕える、職人、弓士(きゅうし)階級、二十五代目次期当主、雪城綜縺(ゆきしろそうれん)でございます」
「そうか。何十年か前に一度、顔合わせで会ったな」
繻樂は男の名を聞き、思い出す様に言った。
「はい、先日の葬儀にも出席しておりました」
「そうか。気付かず、すまない」
「いえ」
綜縺は短く答えた。
「職人階級が何故、医術を心得ている?」
嵐が疑いの目で綜縺を見て聞いた。
「医者志望だったもので。職人階級に生まれましたので、叶う事はありませんが、医術を心得ている事に越した事はないでしょう。こうして大切な方を助ける事も出来たのですし」
綜縺は隠す事なく答えた。
この世界では、自己の階級とは違う階級を心得てはならぬ禁忌があった。
「そうだな」
繻樂は特に禁忌を追求せず、話を流した。
助けてもらった恩義なのか、その真意は分からなかった。
「さて、話す元気があるのなら、少しお聞きします。ユニコーンや繻樂様の症状は、鎮静剤を浴びた故の中毒症状。しかし、これは身体の力が抜けて行くだけであって、痛みを感じる事はないです。何故、あれだけの痛みを感じていたのですか?」
綜縺は繻樂に聞いた。
「貴様に言う必要はない。世話になった」
繻樂はそう言うと立ち上がり、市女笠を被った。
「!まだ完全ではありません!もう少し休まれよ」
綜縺は慌てて止めた。
「もう良い。それにあまりゆっくりも出来ない。行くぞ、嵐」
繻樂は嵐の背中に乗り、走り出した。
綜縺は下級身分の為に、それ以上強く言う事は出来なかった。
「本当に大丈夫か?」
嵐は完治していたが、繻樂はまだと聞いていた為、酷く身体を心配した。
「ああ、雪城の薬が効いている。一日も時間を浪費した。急ごう」
「…御意」
嵐は繻樂を心配したが、命令に従い、兵士達の後を追い、合流を急いだ。
繻樂と嵐がかなりの距離を行くと、兵士の集団と出くわした。
歌須美周(かすみあまね)を捜す兵士達だ。
「おい、罪人は見付けたのか?」
繻樂は周という名を呼びたくなかった。
「はっ、まだです。引き続き捜索します」
一人の上等兵士が言った。
「ふん、遅いな」
繻樂は兵士達を見下した。
その時、繻樂と嵐は、一つの気配を茂みの奥に感じた。
周かもしれない。
嵐は直ぐ様横道の茂みに入り、気配のする方へ向かった。
兵士達もよくは理解出来ていなかったが、繻樂達を見て何かあると感じ、慌ててついて行った。
茂みを走ると、甲高い笛の音が聞こえた。
目標のものを見付けたサインの笛の音だった。
それは茂みの中にいるもの全てに聞こえた。
繻樂と嵐は茂みを抜け、森の中の道に出た。
そして二人は左方向の茂みの中から気配を感じ、その先をじっと見つめた。
罪人、周がその茂みから出てくるのを。
繻樂は嵐に乗ったまま刀を二本静かに抜刀し、構えた。嵐も何時でも飛び掛れる態勢で準備をした。
複数の足音、草木の揺れる音が段々と大きくなり、近付いてきていることを表していた。
酷々と近付いて来るその音に、二人の緊張感は高まり、最高潮に達した時、茂みの中から女が一人、飛び出してきた。
周だ。
飛び出してきた周は繻樂の姿を確認し、不気味な笑みを向け立ち止まった。
「来ると思った。我を捕えられるのか」
「出来る」
繻樂は逃がさぬ様に周だけを見つめた。
三人の間に厭な間が空いた。
生温かい心地の悪い風が辺り一面に吹雪いた。
雲が風に流れ、繻樂達の下を暗くした。
その時、周を後ろから追いかけて来ていた武士階級の人達と、繻樂の後に続いてきた兵士階級の人達が、茂みから出てきた。
そして直ぐ様、周を取り囲んだ。
「攻撃用意!」
両武士と兵士の代表者が彼らに指示をした。彼等は直ぐに指示通り武器を構え、攻撃準備に入った。
周は周りから狙われているにも関わらず、笑っていた。
「捕えて見ろ。低能な奴等め。我を捕えること等出来ない。止めておけ。我は捕えられんぞ。我は殺しを続けるのだ。殺しは快感を得られるからなぁ。繻樂、貴様の旦那の殺しは実に良い快感を得たなぁ。我は呪いの女、繻樂の旦那を奪ってやった。これ程までの快感は無いな。どうじゃ?貴様が呪いの女で有るが故に、旦那を失い、他の者の旦那をも奪うとは。貴様こそ存在自体が醜態!」
周は高らかに笑い、声を挙げ叫んだ。繻樂の顔が険しくなった。
「貴様は我が捕える」
繻樂は強い口調で言った。
「アハハハ!笑わせるでない。髪を失う程に精神のいかれた貴様に、我を捕えられる筈がない!」
「貴様…主に…!」
嵐は怒りを剥き出しにしていた。
「挑発に乗るな。単細胞め」
繻樂は嵐を制止した。すぐ怒る嵐に半ば呆れていた。
「生憎、我は死ぬ気など毛頭ない」
繻樂はそう言うと、周を睨んだ。
「しねぇぇぇぇぇ―――――!!!」
周は叫びながら繻樂に向かっていった。
嵐は周が刀を振る降ろす瞬間に、上空へ飛び上がりひらりと周の後ろへ回った。
周はすかさず間を取りながら振り返った。
繻樂は嵐から飛び降り、周に太刀をふるい、周に向かって行った。
周も持っていた刀で対抗した。
辺りは、周の下品で不気味な笑い声と、鉄同士の擦れる甲高い音だけが響いた。
ほんの一分程度の交戦で、決着は付いた。
周の刀は、繻樂の刀によって折られた。
繻樂は周の後ろへ回り、後ろから周の首へ刀を当てていた。
そして周の身体を呪縛と言う技で、拘束していた。
「これで我の勝ちだ」
繻樂は周の耳元で言った。酷く息を荒げていた。
「覚えておけ。この先もっと貴様を苦しめる事が起こる」
周は捕まっているにも関わらず、いかれた笑い声を高らかに上げた。
繻樂は周の身柄を武士階級、上等武士へ預けた。
周は護送用の籠に乗せられた。
その籠には結界が貼られていた。
繻樂は刀をしまい、嵐の背に乗り帰路についた。
しかし、繻樂は酷く息を荒げ、苦しそうだった。
「大丈夫か?」
嵐が心配そうに尋ねる。
「だい、、じょう、ぶ、だ…」
繻樂は言葉とは裏腹に、息を荒げ、冷や汗をかいていた。
「少し休んだ方が…」
「嵐、お前に乗っているだけで癒される。だから大丈夫だ、行こう」
繻樂はそう言うと、嵐のお腹を軽く蹴り、嵐を進ませた。
繻樂達は夕方頃、戻ってきた。
繻樂は先陣切って前を進み、後ろから護送用の籠を持った男達が着いて来ていた。
そして市場街を進み、政府の御所まで向かった。政府の御所まで行くには、必ず市場街を通らなければ行けなかった。
政府の御所に続く市場街を進む中、こそこそ聞こえるのは繻樂へ向けられる下位下級の人達の言葉だった。
「呪いの女、繻樂が罪人を連行して帰って来たぞ」
「怖や、怖や」
「任務に出て二日で帰って来た」
「執念か?」
「あの話は本当か?」
「本当だろう」
「呪いの女、繻樂のせいで、他の人の旦那は殺されたんじゃ」
様々な声が飛び交った。
「失礼な奴等だな」
嵐は市場街の人達を睨みながら、ぼそっと言った。
「ほっとけ。奴等の他愛もない噂だ」
繻樂は静かに言った。
嵐は繻樂の顔の表情は分からなかったが、声はとても辛そうで、悲しい声をしていた様に感じた。
市場街を抜け、政府の建物がある場所まで、残りはそう遠くなかった。
先を進むと、武装した男達が繻樂を待っていた。
「任務、お疲れ様でございました」
『お疲れ様でございました』
一人の男が声を張り上げて言うと、周りの者が続けて言った。
最初に声を上げた男が、一歩前へ出て、繻樂に話し出した。
「此処からは、我々が責任を持って連行させて頂きます。迂笒(うかん)大臣がお呼びでございます」
「分かった。後を任せる」
繻樂はそう言うと嵐と去っていた。
「御意」
男は一言答えた。
繻樂は嵐を走らせ、直ぐに政府の建物に着いた。
門兵が繻樂に気付き、扉を開けた。
繻樂はそのまま、扉の中に入って行った。
その中は広く、建物も多く点在し、迷子に成る程の広さで、全景を一目で見る事は不可能な広さだった。
「お帰りなさいませ、繻樂様」
数人の女達が繻樂の周りに集まって来た。
彼女達は皆、繻樂の女中や侍女の人達だった。
繻樂は嵐から降りた。
嵐は丁寧に侍女が引き取り、小屋へと連れて行かれた。
女中は繻樂の市女笠を取り、持って行った。
女中達は籠を持ってきた。その中に繻樂は入った。
この政府の敷地は広過ぎる程で、身分の高い者は籠で移動するのが普通だった。
繻樂は籠に揺らされながら、迂笒大臣の元へ向かった。
繻樂は迂笒大臣の部屋に行き、正座して迂笒大臣と向き合っていた。
大臣とは政府の役職で、大臣の中では上から大大臣、中大臣、小大臣、大臣となっている。迂笒はその一番下の大臣だが、その中では首長と言う一番上の地位を持っていた。
「今回の任務、本当に御苦労だったな」
迂笒大臣は繻樂を労った。
繻樂は軽く礼をした。
「あの者の刑は既に決まっている。明日にでも取り行われるだろう。斬死刑(ざんしけい)じゃ。準備しておけ」
「御意」
斬死刑とは、罪人(つみびと)が死刑になった時の死刑の一種で、殺された遺族達が槍でその罪人を突き刺し、殺す事が出来るものだった。
「報酬じゃ」
迂笒大臣は巾着を渡した。そこには金が入っているのだ。
繻樂はそれを受け取り、軽く礼をした。そして部屋を出て行った。
報酬を貰うと直ちに部屋を出るのが決まりだった。
繻樂は部屋を出て、女中が待つ場所へ行った。
そしてまた籠に乗り、自分の部屋に向かった。
身分が上級になると、政府の建物内に自室が貰えるのだ。
繻樂はその自室へ向かった。
その後、明日の朝、死刑が行われるまで繻樂は、一切の面会を断ち切り、ずっと部屋に籠っていた。
繻樂の頭には、周の言葉や市場街の人達の言葉が、何度も何度も繰り返し流れていた。
「…稀…馬様…」
ふと、繻樂は声を漏らした。
翌日、政府の建物内の地下牢、処刑場に繻樂を含め、被害者の妻達と役人が集まっていた。
周は壁に磔にされていた。
妻達は役人から一本ずつ槍を渡された。繻樂にもそれは渡された。
刺す場所は自由。
刺した槍は突き刺したままにする事。
一斉に刺す。
心臓を狙いたい者は最後まで待つ事。
役人から、注意事項が上げられた。
「それでは、これより斬死刑を始める」
その声を合図に妻達は一斉に槍を突き刺した。
槍は周の腕や足、腹を突き刺した。一瞬でその死刑場は血にまみれた。
まだ、二人槍を持つ人が残っていた。
繻樂ともう一人の妻だった。
「あら、繻樂様も心臓を狙っておいでですか?ならば我はそこをお譲りします」
女が言った。
しかし繻樂はそれを断った。
「我はその様な場所、狙ってはいない。一緒にいくぞ」
「御意」
二人は一斉に槍を周に刺した。
その瞬間、女達から息を呑む小さな悲鳴が発せられた。
一人の女は心臓に槍を突き刺した。
繻樂は周の顔面に槍を突き刺していた。
そんな事は今までに一度も無かった。
顔に槍を刺す者等いなかったのだ。
周りの女達はその行為を非難した。
繻樂はそんなことは気にもせず、串刺しになり、血まみれになった周の死体を見つめていた。
何を考えているか、誰にも分からなかった。
しかし、女達にとって、それを見つめる光景はなんとも不気味に見えた。
「繻樂様」
一人の使いの男がやってきた。
「迂笒大臣が新しい任務との事でお呼びです」
繻樂は何も言わず、向きを変えた。
「こちらです」
使いの男は繻樂を案内した。
繻樂は静かにその場を後にし、迂笒大臣の元へと向かって行った。
(何故だ…復讐出来たのに…すっきりしない。心が晴れるわけでもない。ただ虚しさだけが残る…)
繻樂は大臣の元へ向かいながら、顔を曇らせ心のもやもやを感じていた。
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