第78話 刹幻

「影親…」

 建物の隙間を歩く女性の姿、長い髪の背の高い女性。

 建物の影から周囲を伺うように顔を覗かす女性の顔は綺璃子の雰囲気、影親の面影を持っている。

 コォーンッ…クォッコーンッ…

 軽く吹けるようなアクセル音が近づいてくる。

 桜が乗ったバイクだ。

「影親…私が今行くから…」


 女性が建物の影から飛び出しバイクの音の方へ駈け出した。

 その速度は、人のソレではなかった。


 ほんの数十秒で、女性は桜のバイクの前へ立っていた。

「オマエ…誰だ?」

 桜が言いかけて、言葉を飲み込んだ。

「ユキ…か…まさか…いや…」

「影親…」

 桜は事態を理解した。

 そう…死ぬわけがないのだ。

 あのとき、桜を庇うように死んだユキ、いや死んだはずだったユキ。

 その身体はスライムなのだ、簡単には消滅しない。

 そう…死ぬはずがないのだ、あの程度で…。

「ユキ…」

 バイクのエンジンを切って降りようとした桜をユキが首を横に振って止めた。

「影親、早く行ってあげて…彼女は…母様の、綺璃子のところにいるわ」

「綺璃子…生きているのか?」

「当然よ…綺璃子は、私達とは違う形で不老不死を維持している、もはや人でもスライムでもない…唯一…いえ、孤独な進化の果て、袋小路に辿り着いた存在」

「俺達も…だろ?」

「いいえ…アナタは違う、ヒトではないけど…ヒトとして生きれる、どこを進んでも袋小路だったのよ…綺璃子の歩んだ道も、私の行く末もね…」

「ユキ?」

「いいえ…ユキは、あの時に死んだ…復元された私を綺璃子は『リヴァイアタン』と呼んだ…最強の生命と…」

「リヴァイアタン…不死の怪物…」

「そう…神に捧げられる供物…生命の実たる存在」

「そういうことか…」

 桜はアダムの存在を理解した。

 アダムが『ベヒモス』と呼ばれた理由を…

「捧げられる神は…綺璃子か?」

 ユキが頷く。

 最高の生物、最強の生物、知恵の実と生命の実…それを食すことが許されるのは神だけ。

「綺璃子が待っているのは俺じゃない…ということだな」

「いいえ…影親、あなたは綺璃子から産まれた…アダム・カドモンとなる」

「アダム…カドモン」

「綺璃子は、やり直そうとしているの…この世界を、宇宙を…」

「バカな…」

「本気よ…全ては『スライム』、第二のアダムを見つけてしまったことから始まった…」

「第二のアダム?」

「そう…ヒトの身体の源となった神の土地から零れたスライムが模写した第二のアダム…キリストという名のアダム・カドモンの亡骸を模写したスライムの発見がトリガーになってしまった」

「……スライムとは何なんだ? ユキ」

「スライムとは…」

「桜ー!!」

 言いかけたユキの言葉を大気が振るえるような叫びが遮る。

「ベヒモス!!」

 桜の言葉にユキが振り返る。

「行きなさい!! 影親、この先は自分の目で確かめなさい」

「桜ーーーー!! よくも…よくもーーー!! この俺をーーー!!」

「なんだ、さっきと雰囲気が違う…」

「アダムは、ヒトを摂り込んだのよ…その意思を得て初めてベヒモスとなる」

「ヒトの意思…まさか…高木か?」

 自分に向けられる憎悪、それは、高木のものである。

 ベヒモスは先ほどのように、ギクシャクとした動きではなかった。

 先ほどの桜との戦闘で、動きを学んでいた。

「知恵の実か…そうだな…理性とは無関係だものな…」

 桜がバイクから降りた。

「ダメ、あなたは行きなさい」

 ユキがベヒモスと桜の間に立ち塞がる。

「全てを話すには時間が足りなかったわね…アダムが自らベヒモスになるとは思ってなかった…ごめんね、後は自分の目で確かめなさい影親」

 ユキの姿が徐々に変化していく…

「ユキ…」

 ユキはベヒモスを睨んだまま影親の方を振り返らなかった。

 だが影親には解った。

(俺…に化けているのか?)


 ユキは桜を追ってきたベヒモスの注意を自分へ向けるため身体を変化させていた。





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