第59話 墓地

 薄いビニールに挟まっているのは、難解な数式と化学式、乱雑に記された記号の羅列。

 知識でもあれば、興味をそそるのかもしれないが、生憎、俺には学が無い。

 ただ…解ったこともある。

(スライムのこと…なんだろうな)

 数十枚のレポートにクリップで止められた写真には『スライム』が写っているものが数枚あった。

 人体に付着した…いやさせた状態を観察、記録したと思われるレポートに止められていた。

(高木に至るまでの人体実験ってわけか…)

 手に取った写真を軽く指で弾く。

 ここから高木に至るまで何人が実験台にされたんだ…

 いや…そもそもスライムを人体に移植するなど、誰がいつ思いついたんだ?

 高木に至る経緯、その前段階に何があった?

 あんなゲル状の生き物を人体に移植するなど…なにか無ければ…しかるべき機関が人体実験になど至らないはず。

 なにがあった?

 偶発的な…事象があったか…スライムが人体に寄生する事案を確認できたから?

 つまり、食われずに共存した事例があったのでは?


 桜はファイルを乱暴にめくった。

 コレに至る経緯…

 桜がビッとファイルから剥がした写真、産まれたばかりと思われる赤ん坊。

 写真の裏には『影親』と書かれている。

 俺なのか…

 無関係のわけはない、そう思いながらも、自分の名前が書かれた写真が、こんなところに…そう思うと、いい気持ちはしない。

 自分でも忘れたはずの名『影親』

(あの日…俺は…その名を捨てた)

 日本が変わった、あの日から俺は『ユキ』と名乗っていた。

(なぜ? 俺は…名を変えたんだ…)


 俺は…あの銃声を聞いた…確かに聞いた…


 日本を終わらせた銃声を…桜の記憶は埋めた地中から這い出そうとしていた。

 除草剤を撒かれた大地から苦痛に悶えながら地表へ這い出るミミズのように…

 身をグネらせて醜悪な姿を人目に晒す。


 今…桜は『ユキ』から『影親』へ戻ろうとしている。


 俺はなぜ…『ユキ』と名乗った?

 キンッ…

 頭に鋭い痛みが走る。

 脳髄に針を刺されたような鋭い痛み…と同時に髪の長い女性の顔を思い出す。

(オマエ…)

「……ユキ…」

 桜は記憶の女性に呼びかけるように呟いた。


 額を押さえて、うずくまるように倒れる。


「ユキ!!」

 叫び、記憶の女性に手を伸ばす桜。


「そうだ…俺は…ユキを…」


 桜は、あの日…あの場所へいた。

 TVで観たと思い込んでいた、あの記憶は嘘だ…

 議事堂の壇上…あの青年の言葉を聞いた。

 誰かの手を取って…

 記憶の中で桜が壇上の青年を見ている。

 隣に視線を移すと、そこには髪の長い女性が立っている。

 桜の右手は彼女の左手をしっかりと握っている。


 次の瞬間…


 四方から囲まれるように響いた銃声…倒れる壇上の青年…

 そして…

 倒れた隣の女性。

「ユキ!!」

 記憶の桜が倒れた女性の手を握る。


(俺は…あの場所へいたんだ…)


 桜がフラフラと立ち上がる。

(なるほど…ココには俺の過去が保管されている…)


 桜は部屋を出て、大きく深呼吸した。

 隣の部屋のドアノブに手を掛ける。

(逃げるわけにはいかないようだ…)

 桜が下唇を軽く噛む。


 この屋敷を出る時には、俺は俺で在り続けることができるのだろうか?


 ナミに最初に名乗った名前は『ユキ』…

 それは、俺の姉の名だった…

 なぜ?

 俺は『ユキ』と名乗った?

 いや…そもそもナミ以外に『ユキ』と名乗ったことなど……


(そうか…俺は姉の名を名乗ったわけではない…ただ…ナミに姉を重ねただけ…姉の名を呼んだだけ…)

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