第58話 詩人
外へ繋がる正面の扉、開けて帰ることも出来る。
鍵など掛かっていないはずだ。
そうしなかったのは、ココに自分の過去がある、その言葉に戸惑ったからだ。
なんとなく自分の影に背を向け逃げだすような気がした。
階段の手すりにリモコンが置かれている。
まるで、観るも観ないもオマエ次第だと言わんばかりに…。
桜はリモコンを手に取り電源を入れる。
ブンッ…
モニターの電源が入る。
連動しているのか、しばらくすると映像が流れ出す。
わざと乱したのだろう音声も画像も、擦り切れたビデオテープのようだ。
映し出されたのは能面、映像が引くと白い和服の男だ。
「この洋館に覚えはあるかね? 桜
声の感じからすると、歳は若いような感じがした。
「覚えているかだと?」
ボソリと呟いたのは、無意味だと解っていながらも声に出さないと事態を飲み込めないような気がしたからだ。
「個人的には、キミの記憶になんぞ何ら興味はないのだが…キミの記憶の始まりはどこからだ? あの日…この国を変えた銃弾の音かね? あるいは学生の頃? この洋館には我々が確認できたキミの過去を無造作に置いてある…まぁ倉庫みたいなものだ、飽きるまで散策してもらって構わない」
不気味な能面の下で、ほくそ笑んでいるのが解る。
「遊ばれているというわけか…」
バシッ!!
桜はリモコンをモニターに投げつけた。
「過去を拒み…目を背けるな、拒絶して封じた記憶がココにはある、放した過去に追いつかれる時が来たのだよ、過去を取り戻した後、オマエが望めば話してやろう…オマエという稀有な存在のことを」
ブツッ……
映像が途切れた。
「俺の過去…稀有な存在?」
桜の心臓の鼓動は少し乱れたようにリズムを刻む、静かな洋館に低音響かせる雨音、調子の外れた心音、拙い
銃を携帯しなかったことを後悔していた。
持っていれば、この場でモニターをぶち抜き、少しは自分のイラつきを抑えられただろうに。
心を乱されたまま、歩き回る気にはなれなかった。
桜は階段に腰を下ろし、頭を抱え大きく深呼吸する。
(落ち着け…落ち着け…落ち着け…)
ここに何があろうとも、それは俺自身の事…。
別に驚くことはない。
隠していることない、そもそも自分に、そんな過去などないはずだ。
逆に聞きたい…俺の過去が稀有だという理由はなんだ?
「その理由がココにあるってことだ…」
桜は立ち上がり、少し考えた。
(1階からってのがセオリーだよな…)
桜は階段を下りて、1階のロビーに立って左右を見比べた。
(どっち…ってこともないか…)
桜は扉を背に左の奥の扉に向かった。
鬼も蛇もでやしない…あるのは俺の落し物だ。
装飾が施された古いノブを回して部屋に入る。
(まずはひとつめ)
書庫だろうか、陽の入らない部屋はホコリとカビ臭い。
(まさか、この量の本を読めなんてことないよな?)
ざっと千冊近い本が棚に収められている。
長いこと誰も触っていないであろう古書が並ぶ。
丸テーブルの上に無造作に置かれたファイルが、部屋にそぐわない異質さを放って目立つ。
桜はブルーの安っぽいA4ファイルを手に取った。
(俺の過去の価値なんて、こんなもんか…)
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