第56話 基軸

 桜の顔をスライムが覆う。

「グッ…」

 呼吸が出来ずに桜の顔に苦悶が浮かぶ。

「ククク…なに余裕かましてるんだよ!! いつでも殺せるんだ!! 立場を理解しろよ、このド低能がー!!」

 高木の怒気に左手のスライムが呼応するかのようにドクンッ…ドクンッと激しく脈打つ。

 スライムに顔を覆われた桜、まるで無数の心臓が鼓動しているかのように皮膚が震える。

 剥がそうとスライムを握るが逆効果、指がズブズブとめり込み、飲まれていく。

(クソが…)

 酸素を求めて口が開き、思わずスライムを吸いこみ、喉にスライムが張り付く。


「ガハッ…はぁ…はぁ…グェッ…」

 意識が身体から剥がされる寸前で高木がスライムを戻す。

「殺すな…という命令でな…」

 高木は桜から視線を外してボソリと呟いた。

(コイツ…腕にスライムをぶら下げてるだけじゃないのか…)

『スライム』を、こんなふうに人体に宿らせることができる、その技術、それだけでも充分に驚くべきなのだが、それ以上に、この発想…いったい誰が?

 高木の後ろ盾となっている組織、おそらくは桜が想像しいていたより遥かに強大な力を持っている。

 いや…その強大さより、得体の知れない気味悪さ、桜は高木を通して見える、その組織に恐怖した。

学徒ガクトと言うんです」

 高木は窓の外を見ながら、桜に話しかけた。

 口調は落ち着きを取り戻している。

「ガクト?」

「えぇ…学ぶ者という意味らしいですね」

「随分と医学には精通しているようだな」

 桜は高木の左腕に視線を移す。

「おそらく、この壊れた日本で唯一、進歩してきた組織だと思います…僕は」

「進歩…か…久しぶりに聞く言葉だな」

「でしょうね、この国は世界から取り残されているんです」

「孤立か?」

「いえ…世界の時計は進んでいる…だがこの国は時を止めてしまった」

 高木は車のウィンドウを開ける。

 スーッと冷たい夜風が車内に流れ込んでくる。

「桜さん、解りますか? 僕の左腕…この左腕は、この国がまだ進歩しているという証であり、証明なんです」

 高木は、ひと息ついて、桜の方を向いた。

「高木…その進歩は…いや学徒が進めた時間は正しかったのか?」

 桜は高木から視線を外さず、言葉を続けた。

「俺には、世界からズレているように…」

「そうじゃない!!」

 高木は桜の言葉を遮った。

「俺には学徒のほうが世界から取り残され孤立しているように思える…オマエの左腕を見ているとな」

「例え間違っていても立ち止まるよりはマシですよ…桜さん」

 高木の目つきが変わる。

 まぶたがヒクヒクと痙攣しているのが桜にも解る。

「高木、俺は変わったかもしれない…だがオマエほどじゃない」

「変わった…ソレでいいんですよ桜さん、変われるってことは進まないと出来ないことなんですから」

「確かにな、だがな…俺は、今の自分も嫌ってはいない…感情を失いつつあった俺は最近、再び何か大切なことを思い出したような気がするのさ…俺は、時を進めてはいない、むしろ巻戻そうとしているのかもしれない」

「郷愁ですか? ソレは…ソレは進化じゃない!!」

 高木は右手でシートを強く叩いた。

「時間の方向で言えば、退化だ…だが、俺は進んでいる…オマエのようにズレてもブレてもいない!!」

 桜が高木を目で威圧するように睨んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る