第20話 奇異

 ホテルに戻る前に雨が降り出した。

(娼婦ばかり狙う殺人鬼か…)


 そういえば、『Jack the Ripper』の正体は理髪師だったとか、DNA鑑定で判明したと昔、読んだことがある。

 容疑者されていたが証拠不十分で起訴は出来なかったとか…

 医師だとか、女だとか言われていたが結局は理髪師だとは、意外といえば意外だが…思い込みってヤツが目を曇らせるのだろう…決めつけてかかると、なかなか思考は枝葉を伸ばさないものだ。

 DNA鑑定とて、血液と精液が付着しただけでは…どこまで信用していいのか…

 相手は売春婦だということを忘れてはいけないと思う。


 事実だけ考えていればいいのだ。

「金は必要としていない」

「売春婦だけを狙う」


 そもそも路上に立つ売春婦は背中を見せないものだ。

 壁にもたれ掛るのは怠いからじゃない、襲われないためだ。

 組織やグループに属していれば、近くに元締め連中がうろついている、簡単に殺されはしないものだ。

 それが簡単に殺されるなんて、まして刃物で…

 実は一番、異質なのはソコなのだ。


 背後から襲われてるというところ、それが恐ろしい。


 背中を見せたのだ、だから喉笛を横一線で切られたのだ。

 安心できる相手だった…少なくても襲われる危険性は無いと判断させたところが恐ろしいことなのだ。

 娼婦は客を背後に回らせないものだ。

 相手は初見の客じゃない、むしろ顔見知りかもしれない…そんな相手に殺されたということになる。

 金目当てでもないのに…何のために?


(それを…美しいと感じたオマエには解るんじゃないのか?)

 もう1人の俺が呆れたように脳裏で呟く

 ため息が脳髄に生暖かい感触を伝える。

 気持ちが悪い…

 生臭い息を脳みそに吹きかけられるような嫌悪感が俺を苛立たせる。


 思わず路地にうずくまり、口を押さえて吐き気を堪えた。


 雨を冷たいと感じるようになるまで、俺はうずくまったままだった。

 ずぶ濡れになってホテルへ戻る。


「雨降ってる…」

 俺にポケットティッシュを差し出す女。

「あぁ…」

(あの時の…専属娼婦…)

 やけに鼻にかかる特徴的な声、受け取ったものの、コレでどうしろというのだろうか。

「あのさ…拭けば」

「コレでか?」

 使いかけのポケットティッシュを返そうとすると

「こうだよ」

 何枚か抜き取ったティッシュで俺の顔をポンポンと叩く。

 髪から滴る雨は、当然、そんなもので拭き取れるはずもなく、すぐに水を吸い取り柔らかさを失った。

「ほら、拭けた」

「拭けた?」

「拭けたじゃん…ちょっとだけ…じゃね…バイバイ」


 彼女はエレベーターに走って行ってしまった。

「拭けてないだろ…」

 俺の手には薄くなったポケットティッシュだけ残された。


 部屋に戻ってポケットティッシュを机の上に置いた。

(そういえば…彼女も娼婦だったな…)


 棄てる気にならなかった…数枚残っただけのポケットティッシュ…

 俺は…何を見ているんだ。

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