第18話 月光

 飽きてきたのか、人だかりが薄くなって、中心の死体が俺の目に晒される。

(なるほど…たかが人死にで珍しく人が集っていた理由がコレか…)


 喉を綺麗に裂かれている。

 あまりに大量の血が流れ出ていたため、暗がりで転がる死体は陰惨な印象は薄く、むしろ美しくさえあった。


 俺が、ロクな死体を見ていないせいかもしれないが、その死体は月明かりに晒され、ある種の美を醸し出していた。


 容姿には恵まれなかった中年女性ではあったが、生を失った今、彼女は確実に他人の好奇を惹くいびつな芸術品のようであった。


 少なくても俺にはそう見えた。

 しばらく眺めていたが、月が雲に隠れ、死体が闇に包まれると、途端に醜悪な肉の塊に化ける。

 足を引きずって近づけば、血の匂いでむせる。

 嗅ぎ慣れていると思った血の臭いは、女の体臭や香水、他人の口臭を混じり神経を逆なでする。

 胃液が喉まで昇ってくると、俺はソレを飲みこんで、その場を離れた。


 詰まった下水から上がってくる腐臭漂う街の裏、どこまでも薄汚れていくだけの路地裏で起きる、日常の風景、月明かりに照らされ、一時の幻想を魅せただけ…。


 一夜の奇跡


 死ぬことで、ひと時の美を得た中年女性の舞台は、幕を降ろした。

 演出は誰だったのだろう?


 ホテルに戻るのが億劫になった俺は、近くの安い宿で夜を明かした。

 ホコリくさい部屋、清掃もロクにしていないトイレ、風呂…湿ったベッド、タバコとドラッグの匂いが染みついた毛布、俺の部屋とは大違いだ。


 シーツも敷いてない滲みだらけのマットレスに腰かけ、ブーツを脱ぐ。

 擦り剥けた足の小指、踵…明日には水ぶくれになっているだろう。


 翌朝、あの死体は消えていた。

 血の跡は残り、近くの下水へと続いている。

 近くに住む者が捨てたのだろう。


 殺人なんて言葉すら、この日本には無くなったのかも知れない。

 だが…言葉が無いだけで、罪は存在している。


 言葉は、形無いナニカを具現化する手段なのだ。

 その言葉を誰かが覚えている限り、ソレは無くなりはしない。


 裁く者がいないだけ…


『罪』は己の内に存在し続けるし、『罰』は己の身でしか償えない。


 この街の風景なんて、この世界の欠片に過ぎない。

 ソレが汚れた世界だと感じても、世界が汚れているとは思えない。


 ほんの一坪…俺が見ている景色が汚れて見えただけだ。


 アイツは、この世界を変えたのか?

 議事堂の壇上で叫んだアイツは…アイツが造った世界なのか…これを望んだのだろうか?

 日本を…この目の前の景色を変えたアイツの『罪』は…

 アイツは裁かれたのだろうか?


 俺は白く水の溜まった足の皮をナイフで裂いてブーツを履き直して、ホテルへ戻った。


 部屋は清掃され、真新しい白いシーツに変えられている。


 汚い宿屋と、この部屋…俺は比べる術を持たない。


 どちらも俺にはリアルを感じない場所だから…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る