3分で億万長者になる方法

龍輪龍

運命に抗うもの

「俺は受験をやめるぞ!」


 高らかに宣言したのは、今年めでたく三浪となった男だ。

 今の今まで家庭教師をしていた乙女は、彼のストレスが遂に振り切れたらしいぞ、と察する。


「やめてどうするの?」

「神になる」


 どうやら悪い物を食べたらしい。

 炊事は彼女の当番なので、拾い食いか。

 採ってきたキノコにヤバいのが混ざっていた可能性もある。


「お医者さんに行こう」

「待て。俺はおかしくないぞ、フーカ。実際俺は神なのだ。紙の神々の王の紙神……」


 呂律が回ってない。これは重傷だ。


「ようは稼げれば良い。受験はいらない。……宝くじで一山当てるのだ!」

「あぁー……」


 フーカは憐れみの視線を向けた。


「疑ってるな? 今に見てろ。……出でよ、くじ引きの神!」


 ボロアパートに木霊する男の声。

 当然何も出てこない。

 戸棚を開けたり、座布団をひっくり返してみるが、何もなし。

「くじ引きの神やーい」と呼び掛けながら、外に出て行ってしまった。

 そんな奇行をきょとん、と見送って。


「あっ! 逃げたな!?」


 フーカはいっぱい食わされたと気がついた。


   ◇


 遊び歩いて帰ってくる男。

 フーカは仁王立ちで待ち構えていたが、後ろのお客さんに気付いて角を引っ込める。


「その子は?」

「神様」

「――ボッロい家じゃのぅ」


 神様と紹介された少女は、靴を脱ぎ捨てて上がり込む。

 座布団にどっかと胡座をかいて。


「さぁ、余を持て成せ! 一山当てたければな!」

「……あんなこと言ってるけど?」「そうしてやれ」「えぇ?」


 フーカは不審者を見やった。

 ハンチング帽にトレンチコート。赤ペンを耳に挟んだ姿は、少女なのにおじん臭い。いかにも怪しい。


「なんじゃ? 余を疑っておるのか?」

「当たり前だよ」

「ならば権能を見せてやろう。ラジオを持って参れ」


 神様が選局したのは競馬実況。

 丁度ゲートが開いたところ。先頭馬から名が挙がる。


「……8-2-5じゃな」


 90秒後、呟きをなぞるように着順が実況された。

 三連単をピタリ的中させたのだ。オッズは2532倍。文句なしの万馬券。

 フーカは目を丸くする。


「えっ!? これっ、当てたの?」

「容易いことじゃ」

「も、もし100円でも買ってたら、25万円? 今のだけで!?」

「その通り」

「……信じられない」

「ではお主。フーカと言ったな。好きな数字を申してみよ」


 適当に答えた馬番は、続く最終レースで一位になった。

 もう、まぐれとは言えない。


「あなた、何者なの?」

「余は――『馬券のカミ』である」


   ◇


 神は盛大に持て成された。

 霜降りステーキや手の込んだオードブルに御酒を添えて。

 男はすぐ資金難に陥ったが、先行投資と割り切る。

 満腹になった少女は素足を伸ばした。


「おいシロ。足を揉め」

「……俺って、紙神かみがみの王だよな?」

「嫌なら構わぬぞ? 余は出て行くからな」


 中央競馬の開催は土日だけ。次の土曜まで居てもらわねば困るのだ。

 奉仕の日々は約一週間続いた。


   ◇


 快晴の競馬場。むわっとした熱気は太陽にせいだけではない。

 三人はスタンドに座っていた。

 神様――通称ウマ子の予言は、ここまで全て的中している。


 実際に買うのは今からだ。

 精度を確認し、満を持してレースに臨む。


 単勝から三連単まで、大穴を絡めて全賭け。帰りの電車賃まで注ぎ込んだ。

 レース後にはこれが億の金に変わるのだ。


「買ってきたか。どれ、見せてみよ」


 頬張っていた土手煮をフーカに預け、馬券を確認するウマ子。


「……やはり狂気の沙汰じゃな。大穴に全ツッパとは」

「今になって無理とか言わないよな?」

「まさか」


 強気に微笑むウマ子。

 その後ろで場内アナウンスが流れた。


「お知らせいたします。猪野いの琢磨たくま騎手、負傷により、次走7番、シクロカイザーの鞍上あんじょう軸丸じくまる仁太じんた騎手に乗り替わり――――」


   ◇


「乗り替わりじゃと!? こんな直前で!?」

「どうしたウマ子。不味いのか?」

「不味くはない。不味くはないが……、嫌な予感がする」

「え。ちょっと……。返品って出来ないの? 一回やめて次に」


 フーカの言葉に首を振った。


「無理じゃな。日本では」

「先週は好きな馬を1位に出来たんだ。大丈夫だろ」

「う、うむ……。しかし、軸丸仁太か……」

「誰が乗ったって変わらないさ。走るのは馬なんだ」


 眉間に皺を寄せる神様。


「騎手の役割をここで説く気はないが。それを差し引いても、あやつは化け物じゃ」

「化け物?」

「馬は繊細な生き物。故に、好不調の波が激しい。名馬が駄馬に劣る凡走をすることもある。逆もしかり。そこに介入している訳じゃが――。……奴の騎乗した馬は、常に自己ベストか、それに近いタイムを出す。……このヤバさ、主らには伝わらんかもしれんが」

「ドーピングじゃないのか?」

「さぁな。巷の噂じゃ、馬の言葉が分かるとか」

「眉唾だな」


 ウマ子がハンチング帽を脱ぐと、長いポニーテールが飛び出した。

 跪いて頭を差し出す。


「シロ、撫でててくれ。ずっと」

「なんだよ急に」

「負けても良いのか?」


 指先が、わしゃわしゃと髪を解す。

 その感触を味わいながら、ウマ子は思った。


 ――最後になるかもしれんしの。


   ◇


「各馬一斉にスタート!」


 実況が叫ぶ。

 芝3000m外回り。すぐに第一コーナー。馬群がばらける。


 仁太の騎乗するシクロカイザーは最後方。

 出遅れた訳ではない。

 馬には走りやすいポジションがあり、仁太はそれを察するのに長けていた。

 というより。


「焦るなよ。シクロの脚なら余裕で届く」

「替わってくれて助かったぜ。猪野は無駄な鞭が多くて嫌だ」

「不安なのさ、ヒト族も」

「ただの重りのがなんぼかマシだぜ? 怯えないからな」

「違いない」


 彼は馬と・・談笑していた。

 ペース配分を伝達できるのは大きなアドバンテージだ。


 競走馬が全力を出せるのは多く見積もって300m。最高速では50mで息切れする。

 最後の直線が勝負所だ。

 それまでどれだけ脚を溜めておけるかが明暗を分ける。


 特に今回は超長距離。

 上り坂を二回も使うこのコースは、「最も強い馬が勝つ」と言われるほど過酷だ。

 みなスタミナを温存するため、展開は遅い。……はずなのだが。


「……妙だな」

「どうした、大将」

「先頭が飛ばしすぎてる」

「俺にビビッてんだろ? すぐにヘバるさ」

「……もしペースが落ちなかったら?」


 先頭は見覚えのない不人気馬だ。

 警戒する意味が分からない。シクロは鼻で笑った。


「このペースで走れたなら、世界記録ワールドレコードだぜ?」

「……そんな気がする」


 仁太は鞭を入れた。シクロは反射的に加速する。


「おい、マジかよ大将! あんたも臆病風に吹かれたか!?」

「『逃げ切り馬』は怖いんだ。気付いたときには手遅れで、競り合うことさえ許されない」

「だからって――畜生ッ!」


 シクロは破れかぶれに走る。外側から7頭、8頭とごぼう抜き。

 だかそれは、最後尾でじっくりと脚を溜める、という得意戦法を捨てることになった。

 大胆な勝負に出たシクロに、スタンドがどよめく。


 程なく、例の馬が失速して馬群に沈む。

 スタミナ切れで戦闘不能。

 警戒は無意味になった。


「ほれみろ! 駄目だ! こんなのに釣られるようじゃ――」


 悪態をつくシクロ。

 その時だった。先頭集団から青毛の馬が抜きんでる。

 ブルーレグラント。

 間違いなく無名の凡馬。それが今、神懸かった・・・・・好走を見せ、後続を突き放していく。

 ダークホースの登場に観客が悲鳴を上げた。


「安心しろ。ここが最後尾だ。――後ろの奴らは全員死んだ」


 先程よりもハイペース。

 後方集団の巻き返しは不可能だ。

 ポジションに固執していれば纏めて殺されていただろう。

 シクロは笑った。


「ははっ。大した乗り手だ、あんた!」


 最終コーナーを抜け、最後の直線へ。

 前方には5頭。

 人馬は呼吸を合わせ、弾丸となって追い上げていく。

 並ぶことなく4頭差した。


 レグラントの背には翼。一蹴り一蹴り、飛ぶように逃げる。正に独走。


 ――追いつけないか?


「大丈夫。俺達の射程なら、奴に届く!」


   ◇


 3分00秒ジャスト。世界新がアナウンスされる。


「負けた……」


 膝を付くウマ子。

 レース中に奇声を発したり、なにやら頑張っているようだったが、負けた。

 隣には真っ白に燃え尽きた男。

 フーカが二人を慰めた。


「惜しかったね。次は勝てるよ」

「無理じゃ」


 ウマ子が呟いた。


「やっぱり余には無理だったんじゃ!」

「……やっぱり? やっぱり、ってどういう意味だ?」

「余は、余はなぁ……っ」


 帽子を握り締め、ぐずぐずとしゃくり上げる。


「――『ハズレ馬券の神』なんじゃ!」


 叫び、それからうわんうわんと泣き始めた。

 ハズレ馬券。

 そこらで紙吹雪のように舞っている塵紙ゴミ


「買ったら外れる! どーやっても儲からない! クソみたいな運命!」

「なんで先に言わないんだよ」

「だって! あんなに優しくされたの、初めてだったんだもん! 余だって、ちやほやされたい!」

「詐欺だぞ。たらふく喰いやがって」

「……お供えで力を溜めたら、いけるかもって」

「お前なぁ」

「最後に、良い夢が見られた。お主らとなら覆せるかも、なんて思えた。……撫でてくれて、嬉しかった。……けど、バレたら仕舞いじゃ。仲良くしてくれて、ありがとう」


 少女は泣き顔のまま笑って。

 三階席から身を投げた。

 二人は慌てて手を伸ばすが、届かない。

 びゅぅ、と吹いた風に乗り、他の紙片はずれと混ざって消えてしまった。


   ◇


 翌日。

 ウマ子はボロアパートで目を覚ました。


「え? ……どうして?」


 男とフーカが、ハズレ馬券で膨れたポリ袋を見せる。


「捨てる神あれば拾う神あり、だ」

「まさか、それ全部? 余のために?」

「食った分働け、という話だ」

「……居ていいのか?」

「そーいうことになる」


 ウマ子は瞳を潤ませ、それから、ふひひ、と笑った。


「さては余に惚れたな。お主ら」

「バカなのかな?」

「よーし、余の脚を揉め」

「……」


 少女は足首を掴まれ、二人掛かりでくすぐられる。

 足裏をこちょこちょと。


「ひゃははっ?! 待て! 違っ! こないだと違うぞ!? うひひっ!?」

「主従関係をハッキリさせてやる。覚悟しろ」

「やだやだ、やめて! あははははっ♡」


 木造の下宿には、賑やかな声が今日も響く。

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