第19話 この世に不幸というモノはないのです
自分を不幸だと思う人は意外に多いのかもしれない。この世に幸せというモノは存在するが不幸というモノは実は存在しないのである。
しかし、そういう存在しないモノを作り出し悲観する人は多い。それは、最近とみに感じる間違った言葉の使い方に依るものである。
大抵の人が不幸だという言葉を使う状況は、実は全て不遇なのである。ツイて居ない状況、上手く行っていない状況、大失敗した状況、思いも依らない状況といったことではないだろうか?
それは、きっと幸せというモノを知らないから、そういう言葉を使うのではないかと思うのです。幸せというのは心が感じる感情。従って、幸せという感情を得た時が幸せであり、それが感じられないのであれば、それを感じないだけなのです。
それを不幸という言葉にするのは脳の誤りなのです。恐らく、脳には幸せという感情が分からないから、脳が分かる状態、例えば満足とか優遇とか成功とかといった状態を幸せと置き換えているからのそうなるのです。
そして、人間は脳の指示通りにその誤解をそのまま受け入れる。だから、不幸などという実際にはない感情をあたかもある様に錯覚してしまうのです。
人間には他の動物に無い心という感情を発する器官をもっており、人間の自発行動を制御する重要な役割を担っている。心がない動物は本能という自然の意志で動くのですが、人間は本能だけでは動かない。
従って、人間独自の行動が自然の意志に沿っているかどうかを判断し制御する器官が必要なのです。何故なら、人間は自然から生まれたモノであり、その領域から出ることは命の危険をもたらすから。
つまり、脳が独自に作り出す行動が自分にとって自然にかなっているかどうかを心が判断しているのです。そして、その理にかなうと幸せを感じて、その行動が自然であることを示している。
その方向に向かっていれば生きていけるということなのです。
しかし、幸せを感じられない状況は取った行動、或いは取って来た行動が間違っていることを示しているだけのこと。すぐさま行動を改めるべきだと警告を発しているに過ぎないのです。
人間の頭脳が自然を凌駕する能力を持っているために、必要となったのが心という器官ではないかと思います。逆に、心という制御器官が出来たから脳の機能が高まったとも言えるのかもしれません。
人間の頭脳が作り出した科学技術を振り返れば、非人間的な機械やプログラムなどが目立つと思いますが、そうしたものを生み出す論理というモノは、生命の起源を危うくするものでもある。
その進化によって人は生命体としての立ち位置を見失い、人類滅亡を招く危険性があるわけで、それを防ぐために用意されたのが心という感情を発する器官ではないかと思えるのです。
しかし、頭脳の暴走を阻止する感情によって、行動改善を起こさなければ状況は変わらないために人は苦しむようになってしまった。そして、脳がそれを不幸という言葉で認識するようになっただけのことなのです。
喜怒哀楽に象徴される感情には「不」の文字が付くモノはありません!
今や、現実と仮想現実の垣根は低くなり見極めることは困難になりつつありますが、それを感じる心を使って脳が作り出す幻覚に騙されないように注意が必要だと思います。その為にはより厳格な言葉を使うようにすべきだと思います。
その一例として、この世に不幸というモノはないということを書きました。
上手く伝われば良いのですが・・・
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