第20話 人生とは面倒なのです

 ここは若い人が多いという事であり、年寄りは引っ込んどけ!って邪魔にされる立場ではあると思うのですが、そういう状況になればなるほど、むしろ自分の存在価値が露になるという変わった性格なので、もっと書かなければって思った次第です。


 私にも当然若い時代はあったわけで、自分が60歳になるということは頭では分かっていたけど当然、実感などは持っていなかった。従って、若い人たちがそうだろうというのは分かるんです。


 若い人が年寄りを理解できないのは当たり前でありますが、我々年寄りが若い人を理解できないという事はないのです。何故なら、若い時代を知っているから。


 だから、近頃の若い者は・・・という年配者のいう事に私は違和感がある。そういう年寄りは変なのかもしれないが、自分としては普通ではないかと思うわけです。別に若い人に媚を売るつもりはありませんが^^;


 という事で、前置きが長くなりましたが、表題の件に移りたいと思います。


 最近では、何をするのも面倒に感じる人が増えていると実感しています。その代表が、家事育児問題に表れている。仕事だって、言われたこと以外はやらない、決められたこと以外はやらない傾向が強いのではないかと思います。


 それ以外は面倒でうざい。


 何故、そうなるのかと言えば、社会がそれだけ便利になったという事なんです。何でも楽に出来るようになった。


 それを感じられるのが我々だと思うのです。昔は大変だった。何が大変だったかと言えば、好きな子に連絡を取るのが・・・^^;


 携帯電話はないし、メールもない。あるのは固定電話と手紙。若い人は、この固定電話のハードルを知らないだろう。電話を掛けて出るのは大抵親なんですよ。場合によっては好きな子に取り次いで貰えないこともある。


 如何に好印象を持たせるか、きちんとした話し方とか、何故、取り次いで欲しいかをどう伝えるかとか、まあ、面倒極まりないし、掛ける方も、横に親が居たりするわけで、親が居ないのを見計らうとか、わざわざ外に出て公衆電話を使うという実に面倒な作業が伴っていたのです。


 しかし、今振り返ると、あれはあれで楽しい時間だったと思うのです。手紙も結構書きました。ラブレターを書くことで文章が鍛えられるという事もある。その分厚いラブレターは未だに家内がどこかに仕舞っているわけで、見ようと思えば見れるのですが、とてもじゃないが見る勇気はない^^;


 そうそう、当時はカセットテープに声を録音して送ってたことも有った。遠距離だったので、電話代は高いし、そういう事もやったとふと思い出しました。


 こうした面倒が今思うと人生なんだと・・・


 そして、歳を取るごとに面倒は減っていくのです。面倒はうざいと言える若者がある意味羨ましくもある。我々くらいになると、面倒は有難いとなるのです^^;


 やるべきことはやっていくことでなくなっていくし、やりたいことだって、そうかもしれない。人生に於いて最も困るのは、やりたいことやるべきことがない!ということなんです。


 これを如何に作って行くかが人生を楽しむ鍵ともいえる。是非、そのことを覚えておいて欲しいと思います。今後、仕事は格段に減っていくでしょう。人間は最終的に労働から解放される。だって、人間は働くために生まれて来るのではないから。


 ある意味、労働から解放された後が本来の人生という奴だと思うのです。従って、人間の真価が問われるのはこれからなのでしょう。

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