第14話 百恵世代の一員として
かつて、アイドルであった山口百恵さん。先日からNHKで最後のコンサートが放送されて話題になっていました。昨日、たまたま時間があったので録画していたモノを見ることが出来た。
まず最初に感じたのは映像が汚いってこと。昔はあれが普通だったんだと思い出した。あれから40年の歳月が流れており、私は61歳で百恵さんはもう62歳となっている。
大ファンだったのは高校時代であり、地元の百恵ちゃん(当時の呼び方で)のコンサートのチケット欲しさに通学の防寒コートの高い商品を親に無理やり買わせた記憶が蘇る。初めて行ったコンサートでは、こっちが震えてしまい何が何だか分からないままで終わった気がする。会場も体育館的なしょぼいモノであった。
彼女が最後のコンサートをする頃には、大人になったのかアイドルで騒ぐこともなく、だけども昔のファンとしてテレビで見た記憶だけは残っていたが、40年ぶりに見た映像で覚えていたのはマイクを置くシーンだけだった。
彼女がコンサートの中で語っていた「幸せになる」という言葉が印象的で、40年たった今も夫婦仲良い印象があり、夢をかなえたんだと嬉しい気がした。あれから、六年経って結婚し、未だに夫婦仲良く幸せにいる自分とダブって見えた。
人生とは実にままならないものだ。上手くいくことが幸せにはならない。私の人生など何一つとして上手く行ってはいないと言える。だが、お陰で幸せは手に入った。
大抵の人は、物事が上手く行くから幸せになると思うのだろうが、私は自分の人生経験からそうではないことを学んだ。きっと、百恵さんも似たようなものではないかと思ってしまう。だって、成功を捨てて幸せを選んだのだから・・・
私の場合は、成功を目指して失敗したので、彼女とはレベルが違うかもしれないが。
飽くまで、外から垣間見たに過ぎないので本当のところは分からない。
ただ、ふと思ったのは、ご主人である友和さんは、少し年上であり私とは違う。因みに私は高校の同級生だ。まあ、何が言いたいかと言えば、ご主人が先に亡くなる可能性が高いという事。もしそうなれば、結構寂しいだろうと思う。
家の場合は、諸般の事情により私が先に死ぬことは許されないが^^;
そして、お子さんは男二人。因みに家は女二人なので、万が一私が先に死んでも、それほど寂しくはないだろうと思っている。
若い時には全く気にもならないことが、歳を取ると気になる。それは、やはり死が近づいているという証拠かもしれない。
春には六人目の孫が生まれる。従って、死を意識する暇はない。子孫たちの為に出来ることをやらなければならないから・・・・
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