第5話 令和について

 新元号「令和」については様々なことが書かれているが、もっと単純に見てよいと思う。


 令とは日本語でゼロである。今やゼロ金利であり、成長はゼロ以下のマイナスだ。金利が稼げないということは投資が行われていない証であり、資本主義にとっては自滅の始まりである。


 令和という年号は、資本主義の終焉を意味するゼロであり、資本主義が終われば和することが出来るということを示しているのである。世界中の人々はお金の為に争い合っている。


 自分の会社を守るために相手の会社を潰し、そこの社員は失業する。お金というモノは与えられるモノではないので奪いに行かなければならない。奪い方は概ね、盗むか騙すかの二つである。


 基本的に盗みは犯罪であり罰せられるので、後は騙すしかない。騙しも騙された人がに気づかれると犯罪となるので、気づかれないような騙しが必要である。


 それが取引というモノだ。共に自分が得しようと取引する為に相手を騙すのである。互いが互いを騙そうとするから、互いが騙されていることに気づかないところが「取引」の面白いところである。


 そうやって、互いに騙し合いながら取引を重ねお金を騙し取ることで、経済は成り立っている。しかし、今日では騙せないほど切迫しており、盗むが横行しているのである。


 盗みとは自分だけに利益をもたらす行為であり、盗まれた相手はどんどん貧しくなるのである。こうやって格差が拡大しているのが現在の状況だ。


 しかし、盗み続けることは出来ない。だって、相手がゼロになるからである。従って、盗み続けて格差が広がった後にやってくるのはゼロなのである。ゼロになると盗むことが出来なくなるので世界は平和になるということ。


 それをして「令和」と呼ぶのである。盗みが横行した原因は、学問にある。だって、学問とは知識を盗むことであり、学問に優れる人は、その盗みに長けた人であるということであり、その能力を使って社会を駆け上っていくのだから。


 これからは、基本的にそうした学問という盗みを推奨してはいけないと思う。先ずは自分で考えること。そして、考えたことを過去と照合することで留めるべきだと思う。


 盗人人生は終わりにすべきである。他人から盗むのは容易いが、盗んだ分、自分が消されるという副作用もある。そして、副作用によって自分が消された人は麻薬が切れた中毒患者のようにもがき苦しむことになるから人生を楽しむことは出来なくなるのです。


 自分で考えて行動する!楽しい人生を歩みたければ、これに徹するほかないと思います。

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