第4話 国民とは

 国民とは国家の奴隷という意味です。


 何となくそう思って色んなとこでそう書いてたのだが、改めて調べると「民」という字は臣民という意味で君主国家の支配下にある人という意味でした。


 未だに世界の国々は君主国家であり、どこにも民主国家は存在しない。その君主を血筋で選ぶのか選挙で選ぶのかの違いに過ぎないだけなのだ。


 まもなく元号が変わるが、我が国は今もなお君主は天皇であると思う。内閣総理大臣はお飾りに過ぎず、天皇に支配されている君主国家なのだ。別に天皇は君主的な行動は一切ない。飽くまで象徴としての天皇ということではあるが。


 君主国家と言っても、君主にそれだけの才覚があってそうなっているわけではない。国家をまとめられる才覚を持つ人間はそうそういない。従って、大抵は君主は象徴に過ぎないのである。


 実際に取り仕切っているのが、君主に仕える官僚たちである。従って、国家の命運は官僚の力量に拠るところが大きい。世界でトップの力量を持っているのが日本である。


 それは官僚としての歴史が最も長いからであり、個人の能力というより蓄積されたノウハウの差であると考える。私がそれを知ったのは、ヒトラーを怒らせたとされる「シオン賢者の議定書」である。


 ヒトラーは、あの議定書をユダヤ人と思ったのだろうが、あれこそが日本の官僚だと思った。面白いのは、日本人とユダヤ人は同じであるという噂があることだろう。そして、ホロコーストからユダヤ人を一番助けたのは日本人だという話もある。ユダヤ人の新たな居住地を中国に作ろうとしたという噂もある。


 話は大きくそれたが、私たちは21世紀という文明がとても発展した中にあって未だに国民という名の奴隷の処遇なのである。ということを声を大にして言いたい。


 自由のある奴隷、夢のある奴隷、豊かな奴隷 などなどバージョンアップした奴隷ではあるが所詮奴隷であると私は思う。


 私が許せないのは、そういう奴隷に対して憲法では「主権者」と書いている点にある。自由と夢と豊かさがあろうとも奴隷は奴隷であり主権者とは雲泥の差である。


 若い頃から何となく感じていた違和感が、還暦にしてようやく晴れてすっきりした気がする。


 それにしても巧妙な詐欺である。やんわりと主権を投票権にすり替え、選挙に出たり候補者を選ぶことで主権を行使しているように思わせる。そして、投票という行為によってむしろ主権を無力化しているわけだ。


 選挙で選ばれた政治家が官僚に勝てるはずはない。結局、官僚の犬となって働いて地位を得るしかないわけで、主権の行使どころではない。こうして、何度投票しても何も変わらない実態が生まれ、大半の国民はそれを見て投票にさえ行かなくなる。


 もちろん、投票に行かなくても代議員は選ばれ、何の力も無いので猿芝居で国民に働いているアピールをするしかなく、そういう政治家に国民も諦めているところだと思う。


 私の夢は、主権を人々が持つコミュニティを作ることだ!昔は民主国家を作ることを夢見たものだが、流石にこの先の人生を考えると、そこまでは辿り着ける自信が無いのでコミュニティと規模を縮小した。


 そのコミュニティがどういう意味を持ち、何を成し遂げるのかについては、本にする予定である。


 題して「思いやり社会の作り方」


 こうやって公言して自分にプレシャーを掛けている。かなりの大作になるが故に、未だ数十ページしか書けてない。この本は実践を踏まえなければ書けない部分も多いので後10年以上は掛かるだろう。


 資本主義が終わった後には必ず役に立つ本だと確信している。この21世紀は資本主義と決別し新たな世界を構築する時代となると私は思っている。もちろん、そうならないかもしれないが、自分がそう思う限りやるべきことだと思う。

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