第50話
一度だけ……。
それは長い年月を生きられた太古様は、たった一度だけ、最愛なるやか様の生まれ変わりの者を、見にご降臨されたことがおありになる。
それは地上に、天から厳かで嫋やかなる粉雪が降り注ぐ、それは寒い日だった。
太古様は従者である、眷属神の白狐を伴わられ、仏門にその身を一生捧げる事となった、やか様の何回目かの生まれ変わりの、静夜迦の元にご降臨された。
静夜迦は、地上ではそれは高貴な身分の者の姫として生まれた。
高貴な身分の者達には、その人間の業の為か、血で血を洗う骨肉の争いが絶えない。
それも、地上に一つの種族だけを繁栄させない為の、自然の摂理の様なものかもしれないが、その業の為に静夜迦の父は、皇帝たる兄に身の潔白と忠誠を誓う為に、一人息子と一人娘を仏門に入れ、我が身は都落ちし隠遁し生涯を辺鄙な海辺で過ごした。
静夜迦の兄は
静夜迦は、やか様にそれは似たお美しさを持って生まれた為、伯父にあたる皇帝に差し出される話しが、父の汚名とは別に皇帝からの要望で残っていたが、静夜迦が寵愛を一身に受けては、再び威光が勢いつくといった懸念と、今皇帝側につく者達の権勢も絡み合って、随分と時間を掛けて言い争われたので、兄よりかなり経ってからの入門となった。
「大神様、あの者がやか様の……」
白狐がそう言ってお顔を見ると、太古様はその目に涙をいっぱいお溜めになられて、唇を噛み締めなおも震えられながら、それはやか様に瓜二つの静夜迦を、遠目にご覧になられている。
その姿が余りにも忍びなくて、白狐は顔を背けて涙を流した。
そして、太古様がご降臨されたいと仰った時に、お止めしなかった事を、それは後悔した。
太古様は、やか様を他の誰にも触れさせぬ様に、額に刻印を押されている。
ゆえに、やか様は生まれ変わっても、決して誰の物にもならない境遇に遭われる。
例えば、前の生まれ変わりのお方は、巫女で生涯伴侶はお持ちになれなかった。
ただ、巫女ならば神との交信も可能だが、その刻印の為関わられるは女神様と決まっていた。
そして、太古様は未だにやか様のお言葉を、そのまま受け留められ、後悔と悔恨で生まれ変わりの者達との関わりをお避けになられている。
只々ひっそりと、遠くよりお守りしておいでだけであった。
静夜迦も当然の事ながら、どんなに望まれようが、決して誰の物にもならない定めを持っている。
父がその美貌を良い事に、兄に差し出す事としたがゆえ、太古様の逆鱗に触れてあの様な顛末となった。
また、未だに静夜迦に未練を残す皇帝には、遅かれ早かれ天罰が下される。
ゆえに、静夜迦は仏門に入って、観音様にお仕えするが最も幸いだ。
その美貌ゆえ現世に在れば、太古様の逆鱗に触れる者は、きっと後を絶たないだろう。
……大神様がご降臨なさりたがられた
白狐は静夜迦をまじまじと見つめて思った。
今まで数人の生まれ変われし者達を見守ってきたが、これ程までにやか様に酷似した者はいなかった。
……これぞ!生まれ変わり……
という様な者だ。
……ゆえに、大神様は今生の見納め……
と、意を決してご降臨なされたのだろう。
「大神様。あれ程までに酷似した者はおりませぬ。この際にございます、あの者を連れ帰りましょう」
白狐は太古様にご進言申し上げた。
一瞬太古様はお顔の表情をお変えになられて、それは愛おしげに静夜迦をご覧になられた。
ご覧に暫くなられて、そして大きくため息をお吐きになられた。
「白狐よ……。あれは、やかでは無いのだ。やかの生まれ変わりであっても、やかではない……」
太古様はそう言われると、静夜迦の面前に佇まれた。
静夜迦は寺の門前で、太古様と向かい合った。
だが、太古様のお姿は誰にも見える事はない。
実体の無い大神は、ご自分で如何様にもされる。
大神がその気になられなければ、実体として目に映らない。
太古様は、それはそれは愛おしげに静夜迦を見つめられ、かの昔思う存分愛されたその白くて透き通る頬を撫でられた。
「かの昔、其方の頬は神泉の桃花とて恥じ入る程に、可憐で桃色であったに、今日の寒さの為かこんなにも冷たく白い……」
太古様はそう嘆かれると、白い粉雪に混じって可憐な桃花を散らされた。
「其方がこよなく好んだ、神泉の桃花である……。やかよ。私は全てを……全てを消す時が参ったのだな……二度と其方に会うは叶わぬ……私は其方以外の者は、
太古様はそう仰ると、スッとお姿をお消しになられた。
そのお姿を静夜迦は、やか様譲りの潤んで美しい瞳でずっと追った。
「どうされました?静夜迦様」
高貴な尼僧様が問われた。
「只今、それは強固で猛々しくお美しく、神々しく後光が差すお方が、佇んでおいででございました」
「まぁ?それは……。して、その方は何か貴女に申されましたか?」
「神泉の桃花……と仰せで、二度と会うは叶わぬと……」
「さようにございますか?神泉は神様が宿られる神山に湧くという泉の事。その周りには、梅桃桜が一年中交互に咲き誇っておるとか?そこの桃花を散らされたのであれば、それはお力のある神様でありましょう」
「神様でございますか?わたくしは、これから観音様にお仕え致す身なれど、許されるならば、あの神様にお仕え致しとうございました……」
「さようか?ならば、観音様にご相談申してみよう……。観音様はそれはお心の広いお方、きっと其方の願いを聞いてくださる」
「いいえ、あのお方は二度と、会うは叶わぬと仰せでございました。決してお会いするは叶いませぬ……」
静夜迦はツーツーと涙を溢した。
「あらあら、それ程迄に悲しいのであらば、お願いを致しましょう」
「いいえ。わたくしが悲しいのは、あの方の強固なご意志です。決して揺るがぬ頑固なご性分です……わたくしは、どなたかも知らぬあの方の、譲る事の無い頑ななご意志を、なぜ知っているのでしょう?そして、なぜこの様に悲しいのでしょう?」
静夜迦は寺の門前で、飽くことなくさめざめと泣いた。
寒々と粉雪と桃花が舞い散る冬の日……。
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