終章 玉響
第49話
大地の大神様は、かの八百万の神様ですら平伏される程の、それは偉大で尊いお方だ。
頭を垂れるお方は数大神しかおらず、その殆どがお隠れになられているから、頭を垂れられた事が無いというお方だ。
その大神様が唯一頭を垂れられるのは、夜な夜な大神様が夜迦様を、こよなく愛される時だけだ。
大神様はその強靭な身体を屈め、頭を垂れ平伏して夜迦様を愛される。
夜迦様は、それはそれはか細いお身体をくみしだかれ、そして甘いお声を発せられる。
私達大神妃付きの従者は、この世でただお一人の大神妃の、夜迦様のお世話を仰せつかっている。
地上で誕生された人間の夜迦様は、乱世を生きておいでであった所為か、痩せておいででとても幼顔がお残りの、それはお転婆……お元気なお方で、いつも尊く偉大な大神様を慌てさせ、驚かせ呆れさせておいでだ。
特に神泉の梅林桃林桜林の精霊様方は、尊い木々によじ上られては枝を折られたり、花々を散らされたりされるので、大神様にご注進するわけにもいかずお困りだ。
仮令大神様が精霊様方から、ご注進を聞かれたとしても、きっとおおらかに笑われて
「許せよ。我が愛する妻が致す事ゆえ、森林を倍に致すとするから、多少の悪戯は多目に見てもらえまいか?」
とお言いになられて、ポンと森林を増やされる事だろう。
そして、木々によって傷ついたお身体をそれはご心配なさり、尊いお力で傷痕をお消しになられるに違いない。
「如何してその様に、私が愛しむその清らかな肌に、傷など付けられるのだ……」
とお嘆きになりながら。
神使や精霊等の従者の私達とて羨む程の、細やかな夜迦様だがそれはご活発で、人間で乱世を生きられた所為か、多少粗野で大雑把で、とても大神妃とは思えぬ所もお有りだが、夜になると別のお顔をお見せになられる。
時には、それは妖艶に大神様をお待ちになり、そして巧みにお誘いになられる。
その美しさといったら、昼間の快活で幼顔のお残りの夜迦様とは別人の様だ。
そして、大神様がお出でになられない時は、物憂げにそれは美しい刺繍を、大神様の衣に施される。
大神様の衣は夜迦様の見立てで、それはお似合いになる藍色に染めた物が多い。
同じ藍色でも、染め物の達人達は大神様の為に、微妙に深みを変えては献上する。
それも夜迦様のご要望だ。
大神様が青龍に御身を変えられて、夜迦様を背にお乗せする時の、そのお色に近い藍色を夜迦様は殊の外好まれる。
青月の薄蒼白い月光を愛でながら、夜迦様が刺繍を刺されているお姿を、お見受けした事があるが、まるで別人の様に淑やかで粛々とされている。
そして私にお気づきになると、静かに笑みをお浮かべになられ、その白魚の様な細い人差し指を立てられて、桃花の様に愛らしい唇に置かれ〝しぃ〟と言われる。
その艶やかなお美しさに、同じ女子でありながら釘付けになる。
大神様と夜迦様のおふたりの毎日を、只羨ましく見守りながらお世話をする私達は、ある日唐突に大神妃お目付役の紫蘭様から、縁談のお話しを頂く。
それは身に余る程の良縁を頂き、幾人かの神使又は従者とお見合いをする。
そして、とくとくと言い聞かされる様に、意に叶ったものの元に嫁いでいく。
私達従者の生は長い。
大神様や神々様には及ばないにしても、それは長い。
だから、それはそれは長い生を生きられる大神様と、大神妃と知らしめられた夜迦様の、お世話をさせて頂きたいが、それは決して許されない。
特に夜迦様に近いお付きのものは、唐突に紫蘭様から縁談を頂く。
もう少しお世話をさせて頂きたいと懇願しても、決して許しては頂けない。
そして、紫蘭様は私達に言い聞かされる。
「早く目を覚まして、幸せになりなさい」
と……。
大神様は、とても硬いものでおできになられている。
実体は無く、只硬い〝もの〟だけでできておいでだ。
だが、実体が無いのではご不便をされるので、その〝もの〟で実体を作られておられる。
元来大神様は、その硬い〝もの〟の為に、強固で硬いお考えのお方だ。
そして独神の為に、特定の感情をお持ちになられない。
慈愛、慈悲、恩情の様な情や愛はお持ちだが、大神様以外のものは持ち合わせる、恋情というものをお持ちでは無い。
只おひとり〝夜迦〟の名を持って誕生する、人間にだけはそれをお持ちになられる。
只その者にだけにしか、お持ちになられない。
仮令、お側に在ってどんなに恋い焦がれて欲しても、決してお与えくだされない。
長きに渡り、お二方のお姿を見て、偉大なる尊い大神様が、有り余る程の恋情をお与えになるお姿を拝見していると、〝夜迦様〟が我が身と混同してくる。
そして、己も〝夜迦様〟に成れるのではないかと錯覚する。
だが、決して誰一人として〝夜迦様〟には成れない。
なぜならば、夜迦様は大神妃として大神様と生を共にし、そして大神様と共に塵と成り、そして再び大神様の一部となって誕生して、その一部が生まれ代わりの〝夜迦〟の名を持った人間の女子を呼び、そして、大神様と共に永遠に近い生を共に生きて行くからだ。
気が遠くなる程の永遠を生きて行くー。
只それを許されたものは、只ひとりしかいない……。
私達はとくとくと、紫蘭様から言い聞かされて、そして目を覚まして身に合った相手と幸せになる。
「花穂」
夜迦様は幼顔を向けて名を呼ばれた。
「はい」
「明日鼻芯との婚儀だな」
大神妃様にしては、お言葉がとてもお綺麗とは言いがたい。
だが、とても優しくそして温かみのあるお方だ。
「鼻芯は凄くいいヤツだから、きっと幸せにしてくれる。私の命の恩人なのだ、だから、花穂は凄く可愛いから、私は鼻芯に嫁いで欲しかったんだ」
「はい。とてもいい方です。夜迦様のように大事にして頂きます」
「うんうん」
夜迦様はそう頷かられると、少し涙ぐまれた。
「うんとうんと大事にしてもらえ。私からも言っておく……」
夜迦様は言いかけて花穂を見られた。
「大神様から言って頂くよ。私は鼻芯とは会えないから……。以前修行場に行っているのを知られて、お叱りを受けたんだ。紫蘭さんから、男神使と気安く会ったりしちゃいけないって言われた」
「それは……それは当然です」
「そうなのか?」
「夜迦様は、大神様の唯一の思い人ですから」
「うーん?私にはよく分からないけど、紫蘭さんが〝いけない〟って事は、大神様のお言葉の次にしない」
「…………」
「大神様は私の唯一の神様だからさ……もう二度と聞き分けの悪い事はしない……って、肝に銘じた事がある」
夜迦様は、それは真顔を作って言われた。
「夜迦様は大神様を、心から愛しておいでなのですね」
「うん。私は凄く愛してる……けど、大神様はどうかな?」
「何を言われます。あれ程に大事にされておいでなのに?」
「大事にされる、と、愛情は違うと思うがなぁ……。だけど、ずうーっと一緒に居たいのは私らしいから、それでいいや」
「気が遠くなる程の歳月です」
「そうなの?気が遠くなっちゃったら、大神様に支えてもらうよ。それでも倒れる時は共倒れだ」
夜迦様は、首を抑える真似をされた。
「大神様とですか?」
「うん。喰らいついて、共に倒れる……きっと、そうしてくださる。そして顔を見合わせて笑うんだ」
「……そうしてくださいますね」
「うん。花穂もそうしろ。倒れる時は、鼻芯と一緒にな。そしたらきっと全然平気だ……鼻芯もきっと笑ってくれる。私は親がいないし、育ててくださった巫女様は早くに死んじゃったから、ずっと一人だと思ってた。だから、気が遠くなっちゃう位一緒に居てもいいって言ってくださったら、それだけで充分だ。飽きられても一緒に居る」
夜迦様はとても可憐に笑われた。
大神様がこよなく愛される、その
紫蘭様が、私達に言い聞かされる、その
私は明日、身の丈に合う男神使に嫁入りする。
ただ、夜迦様のお側に居たという理由だけで、身に余る程の嫁入り仕度をして頂いて、夢のようなこの世界から目を覚ます。
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