第38話

 青龍の太古様は、天を悠々と泳がれながら、眼下に広がる中の原をご覧になられた。

 中の原は太古様が司る大地でできている。

 其処にうごめく生き物達は多々と居る。

 ふっと、此処を我が子に統治させるも、悪くないとお思いになられた。

 やか様の産む子はさぞ美しく、そして太古様に似て勇猛果敢であろう……。

 太古様の思いは、大きく広がっていった。


「やかよ、やか」


 太古様は、愛しいやか様の名を呼びながら、お出でになられた。


「大神様」


 やか様が目の前に現れると


「其方を妃にするが為、私は誰も召した事のない、寝所へ招き入れる事と致したい」


 と、仰せになられた。


「どういう事でございます?」


「其処で其方を孕ます」


「???子ができますので、ございますか?」


 やか様は大神様とは元来、そうしてお子を残されるものだと、お思いになられた。

 ならば、有り難くも畏れ多い大神様のお子を、授けて頂けるものならば、如何様な事もできるとお思いになられた。


 寝所の入り口は、大神以外のものは〝寝所〟が許すものしか通れない。

 例えば他の大神、大神に仕える眷属、そして大神が招き入れるものだけだ。

 その他のものが入ろうとすれば、弾き飛ばされて、悪くすれば死ぬ事になりかねない。

 太古様は愛おしいやか様を、大事に抱きかかえて寝所の入り口を入った。

 中は何も無い。ただ無限に広がる空間が、暗くあるだけだ。

 其処に、大神であられる太古様が佇まれると、その大神の神々しさで空間が輝いた。

 やか様は圧倒される思いで、太古様の腕から下ろされて立ち尽くされた。


「わたくしはなんと、畏れ多いお方を愛したのでございましょう」


 感極まって涙を流された。

 その美しい涙に誘われて、太古様はやか様を静かに口づけされながら、横たえられた。

 おふたりは其処で、三日三晚の契りを交わされた。

 大神として、初めて寝所に招き入れられたやか様は、大神の初の妃と、八百万の神様、天上天下、宇宙まで広く知らしめられたのである。



 大神様はしとねを離れられて、暁月夜あかつきづくよをご覧になられた。


「太古様は、妃とされておられたのだな……」


 感慨深げに言われた。


「貴方様は尚も私にお望みなのか……」


 大神様は暁月夜を横目に見られて、褥に横たわる夜迦を見られた。

 お側に寄られ、美しくなった夜迦の頰を撫でられた。


「其方は、私の意に添うてくれるだろうか?如何なる事となろうと、許してくれるであろうか?」


 黒く長い睫毛が、微かに動いた。

 目を開けているときは、大神様を惹きつけてやまぬ瞳に気が行き、こんなにも長く有るとは思わなかった睫毛が、今は〝見て呉れ〟と言わんばかり、その存在をアピールしている。

 大神様は、そのいじらしい睫毛に唇をお付けになられた。

 そしてお顔を、暁月夜にお向けになられた。

 月は暁の空にあって、夜迦の美しい睫毛の様に、その存在を誇示している。

 美しくあり愛しい姿で、白々明るくなる天で、光を落としながらも輝いている。


 その日大神様は、目覚めた夜迦に言われた。


「夜迦よ。今宵私は其方を、寝所に召したいと思うが、如何であろうか?」


 夜迦は、大神様に笑みを作って頷いた。

 大神様は至極真顔をお作りになって、暫く夜迦を見つめられた。

 夜迦のくるくると微かに動く漆黒の瞳が、大神様の瞳に映った。

 大神様は夜迦を強く強く抱かれて、いつ迄もお離しにならなかった。

 夜迦が寝所に召されたと聞いた紫蘭は、寝所の事について話しておくべきが悩んだ。


「大神様は、何と申されておいでです?」


「別に……」


「さようですか?実は……」


 紫蘭が続きを言おうとすると


「……でも、ちょっとご様子が変なんだ」


 夜迦がそう言ったので、紫蘭は言葉を呑んだ。


「どういう風に?」


「本当は、召されたくはないのかもしれない?ちょっと解らないけど?」


「さようですか?」


「太古様の様に、私を苦しめるかもしれないと、それが怖いと言われた」


「さようですか?」


 紫蘭は、夜迦に話しをする事をやめた。

 寝所の本当の事は、誰も知らない。

 持ち主である大神様ですら知らない。だから、紫蘭如きが何を言えるというのだろう。

 言い伝えられているのはただの噂に過ぎず、大神様が誰一神として、妃を孕ませた事などないというのに……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る