第37話

 そんな事を知る由もない紫苑は、主人たるやか様に子供の事を口にさせて、お二人の間に何かしら波風を立てようと思った。

 上手くすれば太古様が気づき、他に子を成せる者を選ばれるかもしれない。

 そういう下心で太古様に言ったのだが、何せやか様しかお目に入らぬ太古様だから、やか様の願いに添おうとお心を砕かれる事となった。

 やか様はそんな太古様を思って、毎日毎日藍色の衣に金糸と銀糸をあしらって、それは見事な龍の刺繍を刺している。



 夜迦は目を覚まして、せつなげに夜迦を覗き見る大神様を見つめた。


「お目覚めでしたか?」


 夜迦は、それは愛らしい瞳を向けて言った。


「夢を見てました」


 すると大神様は、一瞬怪訝そうなお顔をなされた。


「凄く綺麗な、やか様というお方の夢なんです。それも大神様のご寵愛を受けているんです……。私が綺麗になりたいから、こんな夢を見るのかなぁ?」


「夜迦よ。其方は充分美しくなった」


「またまた……」


「真である。其方は此処へ来てから、それは美しくなった」


「本当に?」


 夜迦は嬉しそうに、そして誘いをかける様な視線を向ける。

 しかし大神様は、その誘いに乗らぬ様に身を起こされた。


「それは、太古の昔〝やか〟という人間を寵愛した、大神の思いだ」


「太古の昔?」


「私ですら知らぬ、何代か前の大神だ。永きに渡る私の中の代々の大神の中で、私同様に人間に恋情を持った、唯一の大神だ。太古様は青龍と成りて中の原をご散歩の折に、龍神の貢ぎ物として差し出されたやか様を見染められた。かつて、私が涼との出会いも、涼が龍神の貢ぎ物として参った時であった。かの方の生まれ変わりであった涼と、太古様の思いを封印された私は、惹かれ合うは定めであった。夜迦よ、私が其方を求めると同様である」


 大神様は、夜迦をそれは熱く見つめられた。

 多少の事では悪怯れる事を知らぬ夜迦ですら、恥じ入るほどである。


「おふたりの思いはそれは深い……だが、それ以上にいろいろおありになられた。

 私は、太古様の思いを負うが怖い……。あの方は私が想像だにせぬものを、お持ちだったやもしれぬ、それにより、かの方をお苦しめになられたやもしれぬ、延いては其方を私が傷つけるが怖い。太古様は何をお望みであったのだ?……」


「太古様は昔の大神様なのだろう?大神様ではないのだろう?」


「ああ、だが大神は全てを残して代を替わるゆえ、大概の記憶があるのだ」


「でも、大神様ではないのだろう?」


「……………」


「なら、大神様は私や涼夜迦さんを、苦しめたりしない。もし万が一、そんな事になったとしても、そんなの苦じゃない。大神様の為だったら、きっとなんだってへっちゃらだ……太古の大神様が封印するほど思っておいでだったのなら、やか様だって全然へっちゃらだったと思う。うん、屁の河童だ……そんな事気にする大神様は、大神らしからぬ大神だ……」


「………………」


「偉い人はもっと威張ってて、勝手で嫌な奴じゃなきゃ……」


「私は然程偉くない」


「だから、私は大神様が大好きなんだ」


 夜迦は甘える様に、大神様に抱きついた。


「夜迦よ。私は其方を愛すると、太古様の思いがより鮮明に蘇る……。ゆえに……私は怖いのだ……其方を愛すが、怖い……」


「……だったら、神泉に呑み込まれて果てるぞ」


「なにを……」


「彼処に落ちれば、呑まれて死ぬんだろう?」


「夜迦よ……」


 大神様は困惑顔をお向けになる。

 夜迦はその潤んだ漆黒の瞳を、微かにくるくると動かして、大神様を再び誘いかける。


「だったら、うんとうんと愛しておくれ、涼夜迦さんの分もあの綺麗なお方の分も……」


 夜迦は大胆にも、大神様に跨って唇を押し付けた。

 大神様はその唇を受けながら、夜迦の細い腰を抱きしめられた。

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