第36話

「紫苑、確かにわたくしは此処へ来て随分と経ちますが、残念な事に子を成せないでいるのですね……」


 やか様は、それは寂しげなお顔をなさった。

 そこへ青龍となって、悠々と飛び廻られて来られた太古様がお戻りになられた。


「!!!やかよ如何致した?その様に寂しげな顔をしておる?」


「大神様、やか様は、お子様が未だにおできになられない事に、悲しくおなりなのです」


 紫苑は主人のやかを思ってか、ただ口軽なのか太古様に告げた。

 太古様は少し眉間を寄せられて、やか様をご覧になられた。


「大神の身である私には子は要らぬのだが、其方は欲しいのか?」


「いいえわたくしは……」


「大神様、女子と生まれし以上、子が欲しいは当然かと?」


 紫苑は、不敬にも太古様に言った。


「紫苑、わたくしは大神様が要らぬと申されるものを……」


 やか様が、太古様に何かを申し上げようとした時


「……確かに子が欲しいは、女子の当然の思いであろうな……」


 太古様は、至極考え込まれて言われた。


「やかよ。今どうこうできるものではない。だが、其方の願いは私の願いでもある……」


 そう言われると太古様は、再び青龍と身を変えられて飛び立たれた。


「紫苑。其方はそれは気が利き、よく仕えてくれますが、わたくし達の事に口を挟む事は許しませんよ」


 やか様は紫苑に優しく諭されたが、紫苑は端から言う事を聞く気は毛頭ない。

 太古様は翌日お越しになられると


「やかよ。やか……」


 と名を呼ばれて、それは強く抱きしめられた。


「昨日飛びながら考えてみたが、確かに子を成すとは妙案である……。今まで考えた事もなかったが、私はこの様に強い物ばかりでできておるゆえ見た目が美しくない、しかしながら、其方の美貌が合わされば、それは美しい〝神〟が強固なる力を持って生まれよう……。そう考えれば私は急に其方の子が欲しくなった」


 太古様はそう言われて、やか様に口づけをされた。


「…………」


 大神様は汗をおかきになられて、目を覚まされた。

 腕には夜迦が、安らかな寝息を立てて眠っている。


「太古様は私に何を望まれて、この様なものをお見せになられる……」


 大神様は恨めしげにお呟きになられた。


 夜迦も同じ夢を見ている。

 やか様のお側に仕える侍女紫苑は、太古様に横恋慕を抱いていた。

 神使ではない紫苑は、大神たる大神様を知らない。

 大神様は、大神となるべき〝物〟でできているから、ご誕生された時から大神だ。

 特に、この大神はとにかく固い物でできているから〝恋〟というものに無縁な大神なのだ。

 太古の昔から女性が権力者に寵愛を受けて、天下を好きにできたり、王や皇帝や天子の愛を後宮で争い得る、というものとは違う。

 元々はその様なものに、全く無関心なのだ。

 天下の為に子孫を残す事も、権力維持の為に子孫を残す必要もない。何故ならば、必要に応じて大神は大神として誕生するのであって、子供が大神になる事は無いからだ。

 つまり、太古様はお気に召した〝やか様〟だから恋情を持たれるが、他の女人には何の感情も持たれない。

 どんなに横恋慕を紫苑がしようとも、太古様には紫苑は、他の神使達と同じにしか映らない事を知らなかった。

 女とか異性とか欲情とか、そういう〝もの〟にはならないのだ。

 紫苑は、太古様のお子様を幾年も宿す事のできぬ、やか様の代わりになりたいと、いつの日からか思う様になった。

 子を宿しその子を、大神としたいと思う様になったのだ。

 王の座を得る様に、大神の座を得られると勘違いをした。

 どんなに望もうと、王の〝座〟の様な大神の〝座〟は存在しないという事は、余程神に近いものしか知り得ない事だったからだ。



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