第34話

「夜迦様……」


 年若い神使の鼻芯は、修行場に大神様の思いびとである、夜迦が自分を呼んでいると聞いて、それは畏まってやって来た。


「夜迦はよしておくれよ……」


 照れる様に言う。


「そうは参りません。貴女様はそれは尊い、大神様の思い女でございます」


「うーん?私というより、私のってやつらしいんだけどね……」


 夜迦が言うが、事情を知らない鼻芯は、反応のしようもない様だ。


「……私に、如何様なご用でございますか?」


「ああ、あの時はありがとう……。紫蘭さんに聞いたら、大した事なく済んだって聞いて……本当によかった」


「何を申されます。貴女様に大事がなくて、本当によかったです。私は多少の修行は致しておりますゆえ……。大神様の大事なお方に何かありましたら、其れこそ主人に合わせる顔がありません」


「そう言って貰えるとホッとしたよ。私の為に大事なくてよかった」


「夜迦様も、どうかお気になさいません様に……」


「ああ……うん。ありがとう」


 鼻芯は始終畏まったまま、辞儀をして行ってしまった。


 ………なんか、大神様って凄いんだなぁ……


 夜迦は解っていたものの、余りにかけ離れた天のお方……というか、実際のところ実感のわかない尊過ぎる存在なので、こうして鼻芯にいわれるまで、どの程度尊いのか解らなかった。

 いろいろ見えもするし、妖、霊の類は除霊をやっていたので、ちょっとは知っているつもりでいたが、神様の偉大さなど知り得ようはずなどない。


「鬼の憎らしさは重々承知だし、魍魎、霊、妖の類だって大体解ってるのになぁ……」


 夜迦はトボトボと修行場を後に歩いて、桜が盛りの神泉にやって来た。

 風神様の悪戯か、物凄い風が吹いて桜を散らした。

 夜迦は渦を巻いて、薄ピンクの花びらが舞い落ちる神泉を覗き見た。

 もう、毎日の日課になっている。


「ああ……彼方も桜が満開だ」


 少し涙ぐんで鼻を啜った。


「…………」


 夜迦は腰を抱かれて、其方に気をとられた。


「夜迦よ。落ちるでないぞ」


 大神様はそれは心配そうに、顔を見て言われた。


「大神様!」


 夜迦はそう言うと、飛びつく様に抱きついた。


「夜迦よ。まことに落ちてしまうぞ。落ちてしまったら、呑み込まれてしまうのだ。さしもの私も如何様にも成らぬ、かもしれぬのだ」


 大神様はしがみついている夜迦に、とくとくといい聞かされる。

 夜迦はうんうんと頷きながら、大神様に抱きつく手に力を入れた。


「凄く凄く寂しかったんだ」


 夜迦は大神様に抱きかかえられながら、四阿までやって来ながら言った。


「凄く反省した……。もう、あんな事はしない……だから許しておくれよ」


 涙ぐみながら、鼻を啜って言った。

 こう言うところは、まだまだ子供の様だ。


「今回は其方も、其方を庇った神使も大事がなかったゆえ、さほど怒ってはおらぬ」


「本当かい?」


 パッと明るい笑顔を浮かべて言った。

 かなり現金なものだが、素直なところが大神様は快く思われる。


「よいか?鬼の〝気〟はかなり厄介なのだ。万が一浴びたり吸い込んだならば、人間は死んでしまうし、二度と私に仕える事は叶わぬ……ゆえに、気をつけて呉れよ」


 大神様は優しく諭された。


「うん。鬼には何故か恨みがあるが、もう関わらぬ様にする」


「恨みがあるは解るが、そうして呉れ」


 大神様はしみじみと言われた。


「して、今日は何を致しておった?」


「ああ……。泉を見ていました。ずっとお出ましはないし、お怒りだと思っていたので、とても悲しくて……」


「泉を見ていただけか?」


「はい……」


 大神様は、ジッと夜迦を見つめておられる。


「あ?神使の鼻芯さんに、あの時のお礼を言いに行って来ました」


「其方ひとりでか?」


「はい。彼処の修行場は、私も行った事があったので……」


 夜迦は大神様が、少し怒ったお顔をお作りなので狼狽した。

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