第33話

 大神様はかなりのご立腹か、夜迦の元へのお出ましがない。

 これにはさすがの紫蘭も、お怒りが過ぎるのを待つしかない事を、夜迦に言い聞かせたし、白蘭からも此度の事は叱られているので、自分の非を認めているから、かなり殊勝に大人しく日を送っている。

 大神様は、かなり呆れられたが、殊の外ご立腹という訳でもない。

 まさか大神様が忌み嫌っていたあの刻印が、夜迦を助け多くの魍魎と鬼を退治するを助けたのだから、皮肉としか言いようがないが、夜迦にダメージはなく、身を挺して夜迦を守ってくれた神使も、事なきを得たので、腹立たしくはあるが、もの凄く怒っている訳ではない。

 だが、今夜迦に会うのは少し怖い気がしている。

 己が夜迦に何をさせようとしているか?何を望んでいるか?それが怖い。

 再び夜迦を、寝所に召そうとするかもしれない。

 それは何を望んでする事なのかが、己自身でも解らないのだ。


 夜迦はしおらしく、神泉に映る月を覗き込みながら、大神様が救ってくれた村を見ている。

 そして、村とはかけ離れた都の荒れ果てた様子を見ている。

 長きに渡る乱世で、都も周辺の町や村は荒れ果てているが、大神様が温情をかけて救ってくれた村は、貧しいながらも荒れ果てる事もなく、如何にか村人達は楽しく暮らし、子供達もひもじい思いもせずに成長できている。


 ……大神様のお慈悲って凄い……


 夜迦はしみじみと、身を乗り出して覗き込んだ。


「夜迦よ。落ちるでないぞ」


 大神様のお声を、聞いたように思って振り向いた。

 だが大神様のお姿はなく、今は花盛りの桜が満開に咲き誇っているだけだ。


「大神様、かなり怒っておいでなんだなぁ……」


 夜迦はもの凄く悲しくなって啜り泣いた。

 大神様への恋慕が増して行く。

 我が身がやらかしてしまった事だ、暫くお怒りでお成りがなくても我慢しなくてはならない。

 だが、夜迦にとって初めての経験だ。

 こんなに恋い焦がれて、男を待ち侘びた事などないから、どうしてよいのか解らない。

 毎日泣き暮らせばよいのだろうか?

 夜迦はどうしてよいか解らずに、紫蘭に聞いた。


「毎日どう暮らせばいいか?ずっと巫女様から教えを頂いたもので、悪しきものを見たり除霊をしたりして暮らして来たが、此処神山には悪霊も妖もいないから、何をしていればいいか解らない。神使にでもなる修行でもしようか?」


「何をたわけた事を、言っておりますか?まずはあなたは、もう少し女子としてのいろいろを習わなくては……」


「例えば?」


「例えば、身だしなみだとか……、人間の身ゆえできぬ事も多い」


「……確かに、巫女様は料理の仕方よりも、私はいろいろ見えたから除霊やら、霊媒だとかを教えて頂いていた。他には何の取り柄もないから……あっ!やはり修行かな?そういうのはできそうだ」


「とにかく、まずは女子の心得から修行なさいまし」


 紫蘭にピシャリと言われてしまった。

 最も夜迦の苦手とするところだ……。やはり、そこから修行しなくてはならないか……。

 夜迦はがっくりして、紫蘭からの宿題の刺繍とやらを手にした。


「………」


 夜迦は刺繍を手にクラリと目眩を覚えた。


 綺麗な女の人が、それは見事に豪華な刺繍を男物の衣に施している。

 来る日も来る日も、それは見事な金糸銀糸の糸を巧みに使い、藍色の衣に龍の刺繍を施している。


 ……ああ、この間大神様が身を変えられていた龍のようだ……


 夜迦は目覚めて気がついた。

 これは大神様を、思うおひとの記憶だ。

 神山の皆が口にする、涼夜迦というひとの記憶だろうか?

 夜迦は記憶の人を思い、苦手で避けていた刺繍糸を手に取った。


 ……こうやって、あの人は日を過ごしていたのか……


 不器用に一針一針、涼夜迦を思って刺していく。


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