第10話

「大神様、月が美しく輝いております」


 神山の頂きのそれは立派な屋敷の窓から、涼夜迦は天空を眺めて言った。


天満月あまみつつきである」


「とても綺麗……」


 涼夜迦は大きな黒目を、くるくると微かに動かして見入っている。


「其方は私の側に在って、如何致したい?」


 すると涼夜迦は、黒目がちな瞳を大神様に向けた。


「大神様は先程、わたくしを抱いてくださいました」


「うむ……。移動致すにそう致した」


「わたくしはそれは畏れ多くも、嬉しゅうございました」


 涼夜迦の瞳がキラキラ光って見える。

 天満月の大きな輝きの所為だろうか?

 大神様はその瞳に、引き込まれる様に魅入られた。


「其方の瞳は美しいな……」


「大神様のお顔も、美しゅうございます」


「なにを申しておる?私は強固なる物でできておるゆえ、お世辞にも美しいとは言えぬ」


「いいえ、それはそれは美しゅうございます」


 涼夜迦は大神様のお顔を、じっと見入って言った。

 すると涼夜迦の瞳が、より一層黒く広がって天満月の輝きを受けて、大神様のお顔を写し出した。


「わたくしはこの猛々しくも美しいお顔が、大好きにございます」


 そう言うと細い指を大神様の頰に這わせて、撫でる様に滑らせた。

 大神様はこの世のものとも思えぬ、美しい涼夜迦の頰が桃の花びらの様に、薄い紅色に変化するのをじっと見入られた。

 そしてその薄紅色の頰より、より赤い唇が形良く、可憐に動く事に気がつかれた。


「涼夜迦……何か申してみよ」


 大神様は食い入るように、再び可憐に動くであろう唇を見入っておられる。


「お慕い申し上ておるのは、貴方様だけにございます……」


「もっと申してみよ」


「あっ……」


 涼夜迦は小さく唇を開くと、そのまま言葉を発しない。


「如何致した?何か申してみよ」


「大神様、わたくしの唇をお試しくださいませ」


 一旦止まった唇が動いたので、大神様はいたく満足された。


「如何様に試すのだ?」


 すると涼夜迦は静かに大神様のお顔に、顔を近づけた。

 大神様は涼夜迦の背後に、それは大きな天満月をご覧になりながら、涼夜迦の唇をお試しになられた。


「………」


 大神様は実に満足気に涼夜迦を覗き込まれ


「其方を全て試したいが、よかろうか?」


 とお聞きになられた。


「嬉しゅうございます」


 涼夜迦は恥じ入りながらも、ずっとずっと信濃川のほとりで、初めてお逢いした時より、恋い焦がれて溢れ返る想いが叶う喜びに浸った。



 翌日白蘭は屋敷に遣わす従者選びに大忙しだが、大神様は自分でできると言い張られるし、涼夜迦は大神様のお世話ができれば充分と言うし、結局そんなに侍らす必要はないが、あれ程の美貌の涼夜迦に雑用などさせられるはずもない。

 などと思案していると


「!!!」


 白蘭は大神様と涼夜迦のおふたりの間に、今までに無い何かを感じた。


 ……もしかすると、もしかするかもしれない……


 白蘭は畏まりながら


「大神様、涼夜迦に恩情をおかけになられましたか?」


 と、お尋ねする。


「うむ……涼夜迦が試せと申すゆえ、いろいろ試してみた」


 ……なにを?……


 聞きそうになって慌ててやめた。


「何よりにございます。全てを……をお試しくださいませ」


 力を込めて言う。


「全てであるか?」


「涼夜迦の全てにございます」


「ふむ。あれは美しいゆえ、全てを試してみよう」


「ご賢明にございます」


 白蘭はホクホクしながら、うちに帰り紫蘭に報告した。


「なんと?あの大神様がとうとう、涼夜迦に籠絡されましたか?」


「籠絡などと人聞きの悪い」


大神ですからね、そのくらい言っても可笑しくありません」


 紫蘭は真顔で夫に言った。


「思ったより早く、お子が誕生するやもしれん」


 白蘭は孫でも待つ様な言い方をした。

 さもあらん、大神様がご誕生の砌よりずっとお側にお仕えしている。

 誰よりも大神様の事を、思っているのは白蘭だ。


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