第9話

 その言葉に大神様は、不快な表情をお作りになられた。


「この辺の神使達は、わたくしの息子を始めと致し、皆この者の虜にございます。この者は大神様に恋い焦がれておりますが、大神様が今此処で引導をお渡しくだされ、誰かに下げ渡すと言い渡してくださいませ。どのみち毎日毎日泣いておるのです、大神様を諦めるまでの日々、顔が晴れ上がる程に泣き暮れましても同じこと。ならば何年泣いたとしても、大神様が下げ渡したならば、いつかは諦めます。その内には心あるものが慰め愛し、この者の気持ちも変わるというもの……。お慈悲をもちまして、そのようにお計らいくださいませ」


 尊い大神様に対し、微塵も悪怯れる事なく言い放った。

 それにはさすがの大神様も、苦々しくお思いのご様子を露わにされた。


「大神様、後生にございます。どうか下げ渡すなどと言い渡しにならないで」


 涼夜迦は手を合わせて懇願した。

 その顔は蒼白と化して、見るも憐れだ。


「私に如何致せと申すのだ?」


 大神様は紫蘭を睨め付けられて言われた。

 紫蘭は一瞬ほくそ笑んだが、直ぐに真顔を作って大神様を直視した。

 普段大神様を、紫蘭如きが直視できるはずはない。だが、勝利を確信した紫蘭は、只々小心者の青い大神様を、不遜にも直視した。


「この者を憐れと思しめすなら、頂きのお屋敷にお連れくださいませ」


「…………」


「寝起きを共にし、この者の望む事をお与えください」


「……それは何である?」


 大神様は真顔で聞かれた。


「わたくしには想像もつきませぬ。ゆえにに行きましたら、おふたりの時に……くれぐれもの時に、この者にお聞きくださいますよう……」


 紫蘭は明らかに解るようにほくそ笑んだ。

 大神様はそれは真摯に頷かれた。


「涼夜迦よ、参れ」


 大神様は側にひれ伏す涼夜迦に、手を差し伸べられた。

 涼夜迦は面を上げて大神様を仰ぎ見た、次の瞬間、蒼白だった顔面が一瞬にして紅色に染まった。

 涼夜迦は手を大神様に差し出すと、大神様は力強くその手を握られ引き上げられた。

 そして立ち上がった涼夜迦を抱くと、スッと姿をお消しになられた。


 ほっと息を吐いたのは、お側に在って只黙って見ていた白蘭だ。


「貴方様……」


 紫蘭も震えが止まらぬ様子で言った。


「た、大義であった……」


「まったく、手のかかる大神様でございます……」


「致し方ない。大神様は独神であられるし、今のお方はまだお若いからな……」


「しかし……。相思相愛ならばようございました。あの様に心根もよく美貌にも恵まれた者など、そう居るものではございません」


「……のみならず、あの大神様の様に猛々しく峻険で荘厳なお方を、恋い慕う美女などそうおらぬ……」


「ならば尚の事、この縁は逃してはなりません。独神とは申せども、女子のひとりやふたりはお側に置いてこそ……お幸せと申すもの……。貴方様がご誕生の砌より慈しみお仕えしたお方なのです、お幸せになられて貰わねば……」


「さよう……大神様はあの様に、強固で強い〝物〟でご誕生の為、何を申そう美しい物への憧れは人一倍。ゆえに天照様へ怖気づかれる有様」


「それもじきになくなられる。お側に置く愛するお方が、太陽神様に劣らずの美しさ、お子が誕生致せばそれは美しく猛々しい若君様と見目麗しい姫君様がご誕生なされます」


 紫蘭は身の震えは疾うに落ち着いて言った。


「しかしながら、今更の様に其方の肝には頭が下がる」


 白蘭はしみじみと言った。


「なに、まこと大神様が煮え切らなんだら、我が嫁と目論んでおりました。貴方様なら眷属神の筆頭、数多の神使達とて我が子息ならば、あれ程の者を下げ渡されても、誰も文句は言いますまい」


「それ程に気に入りであったか?」


「あの一途さは、実に愛らしゅうございました」


 紫蘭は微かに笑みを漏らした。

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