第70話 エルディア・カムクロム・カルアンド


「ごちそうさまでした」



 大きな深皿に盛られたシチューを平らげ、女性は私達に深々と頭を下げた。


 女性としては身長がやや高めの美女だ。


 狩人らしい細く締まった身体を機動性重視の軽装鎧に包み、太腿と腰と肩に投擲ナイフのホルダー、額に七つの宝石を埋め込んだティアラを身に付けている。


 青がかった金色の髪は短く揃えられ、ピンと先が鋭い耳が彼女の種族をはっきりと明示していた。どこからどう見てもエルフとしか形容できない、種族進化の中で研ぎ澄まされた美の境地がそこにある。


 彼女に思い人がいなければ、ユーリカと並べて頂きたかった。


 積もったばかりの雪のような穢れを知らない白と、穢れをいくら浴びても染まる事のない強い黒。


 甘味に塩を入れて味を引き締めるように、辛味に砂糖を入れて感じる辛味を増すように、素晴らしい味わいになると確信できる。


 先程まで柔らかな唇に包まれていたスプーンが丁寧な所作で置かれ、人心地付いた安心の息が漏れ聞こえた。


 彼女の未来の旦那に嫉妬が湧き、表に出してはいけないと内なる自分を杭で打ち付ける。


 寝取りは繁栄とは逆なるもの。決して手を出してはならず、しかし、目の前の魅力をさらに高めんと望む欲が、抑えがたい程に私の心を占めていた。


 ぽすんっ、と膝の上に何かが乗る。


 ラスティの尻尾だ。


 テーブルと椅子の下を通って腿に巻き、甘噛みに近い感覚で締め付けてくる。まるで私を過ちから遠ざけようとしてくれているようで、そっと握って互いの想いを確認し合った。


 ありがとう。落ち着いた。



「食事を恵んで頂き、感謝致します。私だけでなく、部下達にワインまで頂いて……」


「喜んで頂けたようで、何よりです。私は、女神軍第四軍団長しなずち。主神は繁栄の女神ヴィラですが、理の女神アルセアの要請で白狐族の保護に来ています」


「お、おい、主様っ」



 一切を偽らない私の言葉に、ラスティを始め、巫女全員が焦りの表情を浮かべた。


 わざわざ不利になりそうな話題を自分から振る。そんな事をして何になるのかと、普通ならそう考える。


 だが、状況と身なり、振る舞いから考えて、『そっち側の情報』を彼女に隠す事はしない。


 真に信頼を得るなら、ある程度は腹の底をぶちまけ合わないと。


 ある程度、は。



「申し遅れました。カルアンド帝国第三皇女、エルディア・カムクロム・カルアンドと申します。抜ける突風グアレスの討伐の為に参りました。こちらは副官のガニュス。年老いてこそいますが、戦漕ぎの二つ名を持つ我が国の英雄です」


「ガニュスと申しますじゃ。お噂はかねがね。表も裏も、其方の薬のおかげで非常に助かっております。特に『愛の証の薬』は良いですな。エルフは出生率の低さが大問題でして、特に愛用しておられる第一皇子はこの一ヶ月で三人の妾を――」


「ガニュス、そのくらいで」


「――と、失礼致しました」



 エルディアの制止で、彼女の後ろに控えていたガニュスは首を垂れた。


 一見、腰が曲がり始めた覇気のない老兵に見える彼。


 おしゃべり好きで口が軽そうに見えて、私は全く逆の評価を下す。僅かな会話から隙を探り、第一皇子に私の興味が惹かれるよう仕向けて来た。


 戦いの荒波の中を思い通りに漕ぎ進む『戦漕ぎ』の名は伊達ではないらしい。


 皇女の利が大きくなるようさりげなく誘導する知謀と会話力は、この場の誰よりも警戒に値する。同時に、味方に出来ればどれほどの力となるかを考え、彼も教育の対象に加え入れる。


 きっと良い教師になってくれる筈だ。


 表も裏も。



「お互いに大変ですね。グアレス相手には、例え勇者であっても討伐は難しいでしょう。ドルトマも『もうアイツとは戦いたくない』と言っていましたし」


「炎精の恋人とお知り合いで?」


「親友です。その縁からアルセア神の依頼を受けました。まだ数名しか保護できていませんが、近い内に全員を我が女神の庇護に加えるつもりです」


「そうですか。ご心労、お察し致します」



 胸に手を当てて俯く所作を取り、エルディアは同情の念を示そうと『見せる』。


 あくまで『見せる』だ。


 俯く一瞬に垣間見た瞳は、いかに相手を利用出来るか探る悪党の物。使える物は何でも使い、目的の為なら何でもする、どこまでも利己的な簒奪者のソレである。


 彼女の軍が、獲物を狙う狼の群れを思わせる。


 同じ捕食者として、彼女達の言動に不快はない。むしろ、エルディアの愛の為に全員が一丸となって動き、謀る様は好感すら覚える。


 ガニュスだけでなく、部隊全員を教育対象にしよう。


 では、まず一手。



「ところで、グアレス討伐の目途は立っているのですか? 彼も白狐を狙っているので、私達の邪魔にならないか少々不安に感じております」


「勇国の出方次第――と思っておりましたが、リタ殿のおかげで何とかなりそうです。単騎でブラックドラゴンを討ち果たせる戦力は貴重です。そういえば、リタ殿の主の名も『しなずち』様とお聞きしましたが……?」


「えぇ、私の事です。リタには勇国の動向を探らせておりました。特に、十四尾の白狐に関して」


「…………十……四尾……?」



 ゆっくりと、実にゆっくりと、エルディアは引きつった笑顔を私に向けた。


 おや?と思う。


 てっきり、エハの情報を知っているかと思っていた。視界端に映るガニュスも考え込むように顔を俯かせていて、いや、そんな事はないだろうと私は続ける。



「リタ、情報は掴めたか? 知り得た事を『全て』教えてくれ」



 隠さずこの場で話す事を命じる。


 リタは何か言いたそうに口を開き、シムナに肩を叩かれて自制した。


 折角の情報をただで渡す事に不満があるらしい。かなり必死になって、苦労して集めて来たのだろう。


 その分の対価は私の払いだ。


 私は肩から触手を生やし、リタを巻いて抱き寄せた。お姫様抱っこのように膝に乗せ、ギュッと体に押し付けて互いの感触を交換し合う。



「むぅ……後で可愛がってくださいね? 幾つかの集落を回ってみましたけど、十四尾を知っているのは長老クラスだけでした。百年前にグアレスと通じていた十一尾がいて、誰かもわからない雌と作った子が十四尾だそうです。当時の精鋭に子の確保を命じたら、誰も帰ってこなかったので、現在の動向はわからないと……」


「他には?」


「グアレスが狙っている十二尾のミサですが、最近自分の権限を他の王妃たちに移して回っているとか。物置から戦装束まで引っ張り出していて、グアレス相手に出陣するんじゃないかって王宮は混乱しています。あとは十尾の双子が行方不明になったとか、帰ってきた私を騎士団に戻そうとしているとか――――」


「エルディア殿。グアレスは私が抑えるので、一緒に勇国を攻めませんか?」



 唐突な提案に、エルディアとガニュスの目が見開かれる。


 シムナとラスティは私の口を押さえ、『何を言ってんだ、この馬鹿!』と騒ぎ始めた。話が中断しそうなので二人ともまるっと包んで取り込み、球体の牢獄に隔離して場に平静を取り戻す。



「それは……本気ですか?」


「リタを奪おうとするなら勇国は敵です。しっかり痛い目を見てもらって、一人残らず調教にかけないといけません。――――あぁ、勇国を占領すれば白狐族の保護もしやすいですねぇ。でも戦争の最中だと行方不明者が出るかもしれません。特に力が弱い尾無しとか半尾とか、急いで保護しないとどこかの国に連れ去られてしまうかも……ねぇ?」



 私は極めて友好的な笑顔を彼女達に向けた。


 エルディアの口端が『尾無し』の言葉にピクリと反応し、ガニュスが纏う雰囲気も少し重くなる。店内で盗み聞きしていた帝国軍人達も息を潜め始め、小声で伝言を回してこちらの様子を窺い始めた。


 空気の変化に、マイアとハーロニーも緊張を高める。


 この場で平然としているのは私だけ。いや、リタに手を出されて怒り心頭だから、長期的な視野は欠けているかもしれない。


 どうでもいい。


 私から彼女を奪おうとする者は絶対に許さない。その報いを、しっかり受けてもらわないと気が済まない。



「…………私達の目的はグアレスの討伐。そこは変わりません」


「私も白狐族の保護が目的です。ただし、過程と手段は問いません。水を飲むのにコップを使うも、水瓶を飲み干すも結果は同じ。それを一人で飲むか、二人で飲むかは――」


「私次第、ですか」



 気丈な目がキッと私を睨み付ける。


 今のエルディアは、悪魔との契約に臨む新米魔女を思わせる。気を付けて気を付けて気を張って、失敗しない様に集中する経験浅い若い乙女に。


 彼女を散らすのが自分でない事が非常に残念だ。


 代わりに、彼女が思い人としっかりばっちり添い遂げられるよう、全力を尽くす事を心に誓う。


 ――――と、ガニュスがエルディアに寄り、耳元で何かを囁いた。


 唇を見ると、『お好きにすればよろしい』とそう読めた。決定を他に委ねるのは任を放棄したからか、どちらであっても大して問題ないからか?


 彼の選択も興味深い。



「貴方が信頼に値するか、すぐに判断できません」


「わかります」


「ですが、目的の為に手段を択ばないのは私達も同じ。そうでなければ、負けるとわかっている戦に誰が出てくるものですか」



 大きく深呼吸して、強い意志の宿る瞳が私と対する。


 迷いを断ち切った覚悟がそこにあった。何を敵に回しても、自分を貫き通すと無言で彼女は示している。


 こうなったら女は強い。


 ただでさえ強いのに、さらに強くなる。心強い味方が出来た事に私は右手を差し出し、臆する事無く伸びた手とがっちり握手を交わした。



「貴方がグアレスを抑えられたのを確認できたら、勇国との戦争を支援します。対価は、私の求める白狐を夫として下さい。それと、これはあくまで私個人としての決定です。他の誰にも責はありません。それでよろしいですか?」


「ええ、私は――――良いんですが、彼らはそうでないみたいですね」


「え?」



 店内の兵達が全員立ち上がり、私達に体を向けていた。


 両足の踵を合わせ、左胸に右拳を当て、敬意と覚悟をエルディアに捧げている。ガニュスも彼らの前に歩くとこちらに向き、曲がっていた腰をピンと伸ばして、胸に拳を持って行った。


 困惑にエルディアが指が震える。



「愛の為に危うい道を行かれる。本来は正すべきなのでしょうが、次期皇帝はオルドア殿下が頂かれるでしょう。そうなれば、エルディア様の未来はそう明るい物ではございません。その時が来たならば、我らは我らの意志でエルディア様の下に残ると決めておりました」


「ガニュス……」


「ご安心くだされ。これは運命のようなものですじゃ。――しなずち殿。この人数を受け入れて頂ける国はございますかな? そちらの領地はなかなか広く、食事と健康が保証されて快適と、カロステン王国のドゥアーノ大臣から聞き及んでおります」


「あの色ボケ爺さんと知り合いで?」


「どの国も謀略家同士の繋がりがございます。この前の会合では、いかにそちらの協力を得つつ国を維持できるかが議題でしたな。その点、カロステンは良いモデルケースとなっておりますじゃ」


「では、ユウェイレ王国はいかがですか? 私達が占領した時には人口の三分の二が病死していて、急ピッチで復興している所です。王族も生き残っていないし、帝国の姫君なら新たな指導者として受け入れてもらえるでしょう。対価は…………この場の全員に結婚してもらいましょうか」



 結婚の言葉に、大きなどよめきが広がった。


 もう番いがいる者は後回しだが、独身者は一人残らず家庭を持ってもらう。土地が大量に余っているし、人口を急ぎ増やさないと国が荒廃しかねないのだ。


 今は血巫女が五人がかりで運営していて、いい加減社に帰りたいと嘆願も受けている。彼女達の為にもなるし、彼らにとっても悪くはないだろう。


 返答の代わりに、ガニュスは深々と頭を下げた。


 不安に呑まれかけながらも、後ろの兵達もそれに倣う。一人も反する者はなく、私はヴィラに言ってお見合いパーティーの準備を頼む。


 そんなに豪勢には出来ないが、出来る限り上等な酒と食事と薬、寝所、寝具、風呂等々を用意しよう。すぐ近くのナルグカ樹海のハイエルフ集落も復興中だけど、兵の大半はエルフだから気が合うと思いたい。


 それじゃ、次は彼女達の協力を確定させるとしますか。



「では、グアレスの身柄を押さえてくるので、この町に駐留していてもらえますか? ラスティは勇国の部隊が来たら取り押さえて、良さそうだったら調教しておいて。シムナは私と一緒。リタはミーシャ達と合流して浸透工作をお願い。マイアとハーロニーは――――」


「しなずち様。二階に十尾の双子を用意してあるので、先に食べちゃってください。昨晩からずっと媚薬付けだから、そろそろ頭がイカレてるかもしれません。あ、ちゃんと処女なので、容赦も遠慮もしちゃダメですよ? ちゃんと雄を刻み込んであげないと懐きませんから」


「…………ぇ?」



 当たり前のように話されるハーロニーの鬼畜に、エルディアは一歩後退った。

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