第69話 酒、酒、酒、酒、酒、樽


 人の腰ほどの大きさのワイン樽が丸ごと二つ、ドンッと床に直接置かれる。


 かなり重いらしく、台車に乗せて運ばれてきた。「次もご贔屓に」なんて言って塊のチーズまで置いて行かれ、想定と正反対の規模に頭が揺れる。


 長期熟成のヴィンテージワインをボトルで一本、というのが当初の考え。前世のインターネットでチラッと調べた事があり、金貨十枚か十五枚かでそれなりの物を買えるかと思っていた。


 ところがどうだ。


 うちにある一番高いのでその金額だとこれだよと、恰幅の良い女将さんに笑われた。それでもまだお釣りが出るらしく、高めの料理を頼んで早めの夕食にする事にした。


 シムナが樽を私に寄越す。


 『飲みたかったのだろう? 遠慮せず飲め』と、強烈な眼圧で凄まれた。他の三人も同様で、最低でもこれ一つは私の担当と決められてしまった。


 出口を塞ぐ栓を抜き、そっと香りを確かめる。


 アルコールのツンとした匂いに混じって、ブドウの甘酸っぱい香りが通り過ぎる。初めて嗅いだ時の鉄臭いアルコール臭とは違い、何というか、白いベッドの上で覚悟を決めた処女のような、刺激的な新鮮さが例えとして頭に浮かんだ。


 これは……リザ? それともシムカか?



「飲みながらで良いのでお聞きください。先にマイアが報告した通り、白狐族は勇国の奥に引っ込み自己防衛に入っています。帝国としては白狐狩りの為に裏部隊を派遣したい所なのですが、グアレス殿の行動が活発化し、影響を懸念して断念。勇国相手に少しでも有利な条件を引き出す為、グアレス討伐の同盟軍を立ち上げて、近くこの町に集結予定です」


「軍の規模は?」


「数自体は多くありません。勇国はグアレスを帝国に対する壁に使いたいらしく、戦っても死なない程度に実力のある三パーティ。帝国は討伐と並行して白狐狩りを行えるように、第三皇女率いる魔装軍三個中隊を派遣しています。どちらもそれなりの精鋭という話ですが……お三方が揃うと、正直相手にならないかと思います」



 極めて気の毒そうな口調でハーロニーは語る。


 無理もないかと思う。


 第四軍の戦闘部門トップ四の内、レスティを除く三人がこの場にいる。守り蛇や狩り蛇、ゾンビ軍団などで数の問題は解決でき、個の実力者はシムナとラスティが抑えてくれる。


 想定外さえなければ、問題なく対処できる。


 では、どのように対処すべきか。それが目下の懸案事項であり、方針を定め、最も有効かつ利の有る手段を検討しなければならない。


 樽を片手で持ち上げ、グラスに注ぎながらラスティが口を開く。



「個人的には帝国側、第三皇女の懐柔を提案する」


「理由は?」


「私達が取れる選択肢は四つ。両国とも殲滅する事。勇国を懐柔する事。帝国を懐柔する事。両国とも懐柔する事。殲滅は容易いが、将来性を考えると懐柔策の方が利口だ。ただ、勇国の懐柔には材料が足らず、帝国は第三皇女向けの餌がとりあえず見えていてわかりやすい。グアレスもこちら側だし、ここに向かっている三パーティを黙らせてしまえば、そのまま勇国に侵攻も出来る」


「帝国から増援を呼ばせて本国が手薄になれば、潜入しているレスティ達も動きやすい。向こうが上手くやれば、帝国も手に入れられる、か?」


「そういう事だ」



 区切り良く、私の前に樽がドンッと置かれる。


 私の分も含め、テーブルの上にはワインが注がれたグラスが五つある。全員に行き渡っていて、私の前に置くっていうことは、つまり、そういう、こと?


 とてもまじめな顔でラスティを見る。


 樽の意図を視線で問い、考え直すよう圧をかける。しかし、返ってきたのは嘲るような邪な笑みで、まるで悪の総帥のような黒いオーラをワインと一緒にくるんっくるんっくゆらせる。


 透き通った丸い器に無色透明の香りが溜まり、口に傾けて私の表情と一緒に飲み干した。


 喉を鳴らした時のラスティの顔は、実に満ち足りた物だった。私の意志も、思いも、感情も、全てを思い通りの手中に入れて、碌な抵抗をさせずにモノにする。


 殆ど、いや、完全にいじめだ。


 私はそっと顔を背けて涙を流した。歯を食いしばり、悲しみを堪え、胸に刻み付けて今夜の復讐をヴィラに誓う。


 すぐ、『周りを見ろ』と神託が下った。


 目を向けると、他の三人までニマニマした目でグラスを回し、信じられない事にラスティと全く同じ所作で口に運んでいた。


 私の巫女達はどうしてこう、意地の悪い方向で仲が良いのだ。それなら独占やら何やらしようとしないで全員でかかってくればいいのに。



「……それで良いよ、ばかぁっ」


「クククッ……では、方針が決まった所で明日から行動に移すか」


「料理も来たようだし、英気を養うとしよう。しなずち様、一杯注いでくれ」


「シムナ様、それは部屋に行ってから……」


「ん? ワインの話だぞ? 何の話だと思ったんだ? ん?」


「マイア、願望が出てる。シムナ様も煽らないでください」


「はい、おまちどぉ。あ、しなずち様。うちの娘が近々帰ってくるんですけど、貰ってやってくれませんかねぇ? 大層な二つ名を貰ったくせに初陣で行方不明になって、やっと連絡があったと思ったら任がどうとかこうとか。仕事も良いけど、あの娘には女として幸せになってもらいたいのよねぇ……」



 肉八・野菜二という割合の肉々しいシチューの鍋をテーブルに置き、女将は実の娘を私に売り込んだ。


 非常に魅力的な提案だ。どうにもラスティとシムナには頭が上がらないし、ハーロニーとマイアを愛そうにもすぐ割り込みがかけられる。巫女化と理由付けして二人きりになれれば、今の私の鬱憤を思いっきり吐き出せるかもしれない。


 グアレス相手に生き残れると見込まれた一人だから、そのくらいはきっと耐えられると信じる。耐えられなくても直して、何度でも壊して直して壊して直そう。


 私は女将に若返りの秘薬結晶を二つ渡して是を告げ、娘の幸せを任せてくれるよう頼む。


 やや重そうな身体が軽やかに跳び上がった。


 「孫と子のどっちが先か競争ですよ」なんて、繁栄の女神の尖兵相手に何て勝負を挑むのかと思う。その気になればすぐ作れるのに、それを知らない明日からのお嬢さんは、飛ぶように奥に引っ込んで旦那さん相手に夜の相談を始めている。


 旦那さんには頑張ってほしい。


 娘さんとは頑張るから。



「ぉぉぉ……スレイプニルのシチューですっ。干し肉でも相当高価なのに、これは捌いてからまだ日が経っていません。滅茶苦茶精が付きますよっ」


「ありがたい。これなら私達が新しい娘の分を考える必要がない。諸共にたっぷりと、どっぷりと頂くとしようか」


「ラスティ、涎が凄い。これで拭け。しなずち様は大皿で良いか? 出来るだけ食っておかないと後が――――」



『たっだいまーっ! 皇女殿下、こっちです、こっち! 早くしないとスレイプニルのシチューが終わっちゃいますよ!?』


『貴女の足が速すぎなんです! もうちょっと女性らしく慎みってものを学びなさい! 貴女の主人に見限られても知りませんよ!?』


『しなずち様はそんなことしません! 剥かれて組み敷かれて口を塞がれながら注がれるだけですよ! 殿下も目当ての子が見つからなかったらしてもらいましょう! きっと色々忘れさせてもらえますって! ガニュスさんもほらほら早くっ!』


『リ、リタ殿、しばし待たれ……ぐほぉっ……』



「――――しなずち様」


「………………うん」



 私はそっと触手を伸ばし、近くのテーブルから椅子を引っ張った。

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