第82話 リビングの姿見
さっきの話。正確に言うと、開かずの間の話ではなかったね。定期的に開けなければいけない間の話って言った方が正しかったかな
まあ、開かずの間っぽい話って言ったから、セーフってことで。
はは、まあ、こんな風に、緩く語っていくから、肩の力を抜いて聴いててよ。
それじゃ、次はよく怖い話の題材に挙げられる、鏡の話をしようか。
—リビングの姿見—
ルームシェアをしていた人から聞いた話。
その人は会社に就職すると共に実家を出て、先輩がルームシェアをしていた中古住宅に転がり込んだ。
本当ならずっと憧れてた一人暮らしをしたかったんですけど、経済的な事情で、仕方なく先輩を頼ることにしたんです。
その人は顔を曇らせながら言った。どうやら、その先輩をそこまで慕ってはいないような感じがした。
その家は部屋数の多い二階建ての一軒家で、先輩の他に二名が暮らしていた。全員が女性だったから、そういう意味では安心できる物件でもあった。
もちろん、トイレや風呂やキッチンは共同になるわけだから、ルールは守らなくてはならない。シャンプーは個人で用意するとか、冷蔵庫の中の食料は勝手に食べないとか。家賃と光熱費はきっちり分割するとか、トイレットペーパーなんかの消耗品は共用物としてレシートをとっておいて、後で精算するとか。
引っ越し前に、先輩からはそんな説明を受けた。
そして最後に、いかに共同生活といえど、個人のプライバシーに踏み込むような真似はしないこと、と念を押された。ルームシェアでは、それが一番重要なんだそうだ。
あまり気乗りはしなかったけど、背に腹は代えられない。その人は快く承諾したふりをして引っ越した。
あてがわれたのは、一階の和室だったそうだ。なんでも、もう一階と二階の洋室は既に埋まっているからだと。
和室なの?と落胆したけど、文句は言えなかった。
まあ、押し入れもあるし、八畳もあるから、広々と使えることは間違いないだろう。そんな風に考えて、いざルームシェアを始めた。
でも、いざ暮らしてみると、あまりルームシェアをやっているという感覚はなかった。
先輩以外の二人のルームメイトの内、一人は仕事がかなり忙しいらしくて、家にいる時間帯がほとんど合わず、滅多に顔を合わせることがなかったし、もう一人は頻繁に遊びに出ていて、彼氏の家に泊まることが多かったから、滅多に家にいることがなかった。
先輩は在宅仕事だったけど、部屋に籠りっきりで、食事の時間も不規則だったから、こちらもほとんど顔を合わせることがない。
まともな生活をしているのはその人だけだった。これじゃまるで、大家さんみたい。そんな風に思いながら、生活していると、ふと気になるものがあった。
それは、リビングの隅に置かれていた姿見。
食卓に着いて食事をしていると、丁度斜め前にそれが置かれている。視界に映ると、どうもそっちを気になって見てしまうことがあった。
もちろん、自分の姿は映っていない。鏡はリビングの誰もいない空間を映しているだけ。
でも、なぜか気になってそっちの方を何度も見てしまう。リビングで過ごしている時も、気が付くと鏡をボーっと見ていることがあった。
何で気になるんだろう。ルームシェアしてるから、家の中でも自分の容姿が気になるのかな?
どうしたの?
振り返ると、先輩が立っていた。
ああ、いや、なんかこの鏡が気になっちゃって。
ああ、これでしょう。この鏡ね、ここに来た時からずっとあるの。
先輩曰く、先輩が家に来るずっと前から、その姿見はあるそうだ。
誰かが買ってきたって話は聞かなかったし、元々この家にあった物なのかもね。・・・ああ、そうそう。この鏡ね。真夜中に見ない方がいいわよ。
えっ?
先輩はそれだけ言うと、姿見の縁の木彫りの装飾を撫でて、部屋に戻ってしまった。
一体どういう意味なんだろう。真夜中に見るな、なんて。
もしかして、からかわれたのかな?あまり冗談は言わない人なのに。
不思議に思いながら、リビングを後にした。
ある日のこと。仕事が立て込んで、家に帰るのがかなり遅い時間帯になってしまった。
時計を見ると、もう真夜中の二時。いつもはけたたましい音を立てて開く玄関をそーっと開けて、ひっそりと部屋に戻って、寝巻きを抱えてお風呂に向かった。そのまま寝ても良かったけど、どうしてもさっぱりした身体で眠りにつきたかった。
シャワーを浴びて、寝間着に着替えて、また抜き足差し足で自分の部屋に戻ろうとしていると、リビングに人影があるのに気が付いた。
あれは・・・、○○さん?
いつも仕事で忙しくしていて顔を合わせることがなかった○○さんが、リビングに座っていた。椅子じゃなく、床に体育座りをしている。あの姿見の前で。
息を呑んだ。
鏡の前の○○さんは座っているのに、鏡の中の○○さんは、立っていて、腹を抱えて笑っていたそうだ。時折、手を叩いて、ツボに入って大爆笑をしている人みたいに。
恐ろしいのは、その音は聴こえないんだよ。無音なんだ。しんとした真夜中のリビングで、鏡の中の○○さんは延々と笑い続けている。鏡の前の○○さんに指を差したりして。
当の、鏡の前の○○さんは体育座りのまま、じっと鏡を見つめていて、微動だにしていなかった。本当ならば鏡に映るはずの○○さんの顔は、全く見えなかった。
あまりに異様な光景に動けないでいると、背後でキシッと床が鳴った。
驚いて振り返ると、先輩が無表情で立っていた。口に人差し指を当てて、静かにするように促された。
恐る恐る頷くと、手を取られて階段を上がり、先輩の部屋に通された。初めて入る先輩の部屋は、恐ろしいほど綺麗にしてあった。
・・・先輩、あれって。
忘れなさい。
え?
見なかったことにすればいいの。
で、でも、あれって何なんですか?あの鏡は、一体何なんですか?
・・・あれは、心の応急処置みたいなものよ。
え?
好きにさせてあげて。○○、最近疲れてるから。のめり込まなければ大丈夫だから。
先輩はそれだけ言うと、布団を用意し出した。
その日は、先輩の部屋で寝させてもらったそうだ。
翌朝、○○さんの姿はなかった。もちろん、いつものように仕事に行っているんだろう。
そして、当然のように、リビングに姿見はあった。
それから一年後、その人はその家を出た。入れ替わりで、また別の人が入居して、和室で暮らすことになったそうだ。
四人で分割だったから、かなり財布には優しかったんですけど、あんまり気味が悪くって。
何なのかは分からないですけど、何か・・・、引き寄せてるんだと思います。あの鏡は。
それに、何が気味悪いかって・・・、○○さんだけじゃないんですよ。
先輩の部屋で眠った時、見たんです。
仕事用の机の上に卓上鏡があったのを。
縁が、そっくりでした。リビングの姿見と全く同じ模様の、木彫りの装飾でした。
誰が、どこまで、何を知っているのかは知りませんけど、とにかく関わりたくなかったんです。あの家で暮らしてる人間に。だから、必死にお金を貯めて、引っ越しましたよ。
その人はそう話し終えた。今は一人暮らしをしているそうだ。
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