第61話 山のジュース缶

 ・・・ん?ああ、ごめんよ。急に黙りこくっちゃって。

 いや、何でもないよ。ちょっとね、やっぱり親友の話をするのは辛くてさ。

 はは、一話毎に腕を切りつけてる奴の言う事じゃなかったかな?

 こんなことじゃいけないね。まだ先は長いのに。半分ちょっとしか終わってないのにさ。

 切り替えていこう。さあ、続けようか。百モノ語を。


 —山のジュース缶—


 登山が趣味の人から聞いた話。

 その人は長年登山を趣味でやっていて、富士山にも登ったことがあるそうだ。

 最近はもうそんなに体力がないから、登るのが簡単な山にしか行けないんですよ。歳は取りたくないもんです、って笑いながら言ってたっけ。

 山っていうと、怪異の宝庫みたいなもんだ。僕はウキウキしながら、山で何か怖い体験をしたことはありますか?って聞いたんだ。

 すると、その人は首を傾げた後、こう言った。

 怖いっていうよりは、不思議な体験でしたねえ、あれは。

 その人がまだ若い頃、難易度としては中級にあたる山の登山に臨んだ時のこと。

 登山に慣れているとはいえ、山では何が起こるか分からない。判断ひとつ間違えれば、危険な状態に陥ってしまう。気を引き締めながら、山頂を目指して登りだした。

 その山の登山道は、長い石段をひたすら登り切って、茂みに囲まれた長い山道を進み、急角度の斜面を登って、その途中に鎖を伝って降りていくような岩場を挟む、そんな危険個所も点在するコース。

 ふうふうと息を上げながらも、順調に進んでいると、喉が渇いて立ち止まった。

 小休憩するか。そう思い立ってバッグから水筒を取り出し、水分補給していると、ふと地味な色の景色の中に目を引くものがあった。

 大きさとしては、大人の目線よりも背が低いけど、とても手を回せそうにないほど太い、丸みを帯びた大きな岩。その岩の上に、ちょこんと未開封のジュースの缶が置かれていたそうだ。あまり有名じゃないけど、一風変わった自販機に陳列されてるような、マイナーな炭酸飲料のジュースが。

 なんでこんなところにこんなものが?不思議に思った。まさか、供え物だろうか。ここで死亡事故でも起きたのか?

 でも、そうは思えなかった。そこは斜面じゃなくて、山道の中腹にある開けた場所だったんだ。人が登山中に転落するような場所じゃない。

 その缶以外には何も見当たらないし、誰かが置いていったんだろうか。まったく、こんなところで、ゴミになるだけじゃないか。

 持って行こうとして、ふと躊躇った。今は登っている最中。バッグに入れても大した影響はないけど、できることなら荷物を増やしたくない。

 帰りに持って行こう。迷ったけど、そう思い直して、また登山道を登りだした。

 それから頂上に着いて、持ってきたガスバーナーでお湯を沸かしてコーヒーを飲みながら、絶景を堪能していると、急に辺りが騒がしくなった。

 何だと思っていると、数人の若者達が騒ぎながら頂上に登ってきたようだった。

 やっと着いたよ。疲れたあ。

 ここが頂上?思ったよりも眺めショボくね?

 うるせえな、ほら、お湯沸かそうぜ。カップ麺食うんだろ。

 若者達の言動や格好から察するに、あまり登山慣れしていない様子だった。中級者向けの山なのに、よく登って来れたなと思っていると、若者達はぎゃあぎゃあと騒ぎながら食事の準備をしだした。

 せっかく頂上に着いたというのに、感慨も何もないのだろうか。眉をしかめていると、ちらほらといた他の登山者達も同じ思いだったようで、騒がしい若者達に冷たい視線を向けている。

 まったく、せっかくの頂上の雰囲気が台無しだな。そう思いながらコーヒーを嗜んでいると、ふと若者達の方から、こんなやりとりが聴こえてきた。

 喉渇いたあ。お前、水持ってねえの?

 ラーメン用でもう無くなったよ。我慢しろっての。

 そういや、お前途中でジュース拾ったろ。あれ飲んだら?

 まさか、あれを持ってきたのか?若者達の方に目をやると、本当にあの缶を持ってきていた。あのちょっとマイナーな炭酸飲料の缶を。

 やれやれ、帰りに持って行こうと思っていたが、若者達の手に渡ったのか。その辺にポイ捨てしなければいいが。

 そんなことを思いながら眺めていると、若者の一人が本当に缶を開けてジュースをゴクゴクと飲みだした。

 うわ、本当に飲んだよコイツ。

 お前、それ落ちてたヤツだろ。いくら未開封だからって、ヤバいんじゃねえの。

 あ、大丈夫だぜコレ。おいしいわ。お前も飲む?

 飲むかよそんなの。バカだなお前。

 まったく、騒がしい連中だなあ。呆れていると、若者達はカップ麺を食べ終えたら飽きてしまったのか、さっさと下山していった。

 もう少し、頂上の景観を楽しんでいけばいいのに。まあ、静かになったからいいか。

 物静かになった山頂でコーヒーを飲み終えたら、風景の写真を何枚か撮って、自分もいそいそと下山した。あの若者達が缶をポイ捨てしていないか、地面に目を光らせながら。

 でも、缶は見当たらなかった。怪我もなく、元来た登山道を無事に降りて、ふもとの休憩所でほっと一息ついていると、尿意を催した。休憩所の向こうにあるトイレに向かうと、なぜか手前に人だかりが出来ていた。

 トイレに並んでいるのか?近付いていくと、複数人が争っているような声が聴こえる。

 どうしたというんだ。とうとう目の前まで来てみると、あの若者達がトイレの前に置かれていた自販機の前で騒いでいた。なぜか、若者達の内一人が他の二人に羽交い絞めにされている。  

 おいっ、どうしたんだよ!やめろって!

 どうしたんだよお前!やめろって言ってんだろ!

 もうやめろ!それ以上飲むな!

 何事だとその光景を眺めていると、若者達の足元にジュースの缶が散乱しているのに気が付いた。それも一個や二個じゃない。夥しい量の缶が散らばっている。

 それが全部、山で見かけたものと同じジュースの缶だった。若者達が揉み合っている前の自販機を見ると、そのジュースがラインナップされている。あまり見かけない、マイナーな炭酸飲料が。

 羽交い絞めにされていたのは、頂上でジュースを飲んでいた若者だった。目を血走らせて、ジュースの缶を凹むくらい握って、狂ったように飲んでいる。口から泡を吹きながら。

 まさか、これ全部飲んだのか?

 息を呑んでいると、羽交い絞めにされている若者が急にこっちに向き直った。

 あんたは飲まなくてよかったなあ!あんたは飲まなくてよかったなあ!

 急に怒鳴りつけられて、足がすくんだ。もう尿意なんかどうでもよかった。一目散に逃げて、車で山から走り去ったそうだ。

 後にも先にも、あんな経験はあれっきりですねえ。その人は懐かしむように話してくれたよ。

 あれは、一体何だったんでしょうねえ。そう聞かれたけど、答えようがなかった。僕は不思議な話って聞いてたから、もっと神聖な感じのものを想像してたよ。まさか、そんな怖い話だとは思わなくってさ。

 本当に何なんだろうね?山には必ず神聖なモノがいるっていうけど、それとは違う変なのが、ジュース缶に憑りついていたのかな?

 それに、あんたは飲まなくてよかったなあ、ってどういう意味なんだろうね?

 ちなみに、その若者がどうなったのかは、分からないそうだ。

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