傍観

津田梨乃

傍観

 男は、地球を眺めていた。


 最低限人間が入れる小型の宇宙船に、男は一人酒を飲んでいた。


 太古の昔、「地球は青かった」と残した人間がいたらしい。

 確かにその通りだ。青い。ひどく青い。


 だが、それだけだった。男はそれを、特別美しいとは思わなかったし、だからといって陳腐だとも思わなかった。


 それに魅了される人間がいるのも理解できる。絵心のない人間に、世界の美術品を見せるのと一緒だ。

 男にこの光景は贅沢すぎたのかもしれない。



 地球は、あと三分もすれば爆発する。

 いや。正確なところは知らない。手品のように消えるのか、あるいはドロドロと溶けていくのかもしれない。恐怖の魔神が現れて、地球を粉々に砕く、なんてのも有り得る。


 飛び立つ直前も、識者たちが各々の見解を述べていたように思う。


 意見は、まるでバラバラだった。ただ奇妙なのは、科学的見解だろうが、オカルトの類だろが一定の時間に滅びるという、ただそれだけは一致していた。


 それが、ちょうど今から三分後。もっとも男の近くには時計もないため、体内時計に依るのだが。


 地上は、意外にも冷静だった。

 発表当時は、ざわついたものの、やがてそれが日常になった。少なくとも、男のいた国はそうだった。ありのままが一番だと信じて疑わない。

 だから目立った暴動は起きず、各々がいつも通り生活していた。

 ひょっとしたら、今日が滅亡の日だと忘れてるのではないか。そんな皮肉が飛び回るほどに。



 男は、金だけはあった。

 だが名声は、なかった。


 愛したはずの家族はいた。

 だが、もう愛はなかった。


「私たちは、地球に残ります。旅立つなら、あなた一人で行ったらいいわ」


 言うまでもなく、金を得るのに代償は尽きものだ。

 家庭を顧みない富豪など、珍しくもない。


 男は、空席のコックピットを見ながら酒をあおった。もともと広くはない設計だ。金に明かせて作ってはみたものの、時間はなかった。なにもノアの箱舟を作ろうというのではない。男にはこれで十分だった。


 そろそろか。

 男は、だらしなく伸ばした両足を地面につけ、地球を見据えた。

 今は感慨も湧かない地球も、無くなったあとならば何か思うところがあるかもしれない。

 そう思い、黙って終末を待った。


 変化はすぐに表れた。

 地球の左端からサラサラとした眩い光が散っていく。それが拡大するように地球の青は消えていった。


 地球は、まるで砂のように姿を消したのだ。


「あっけないな」

 男は、呟いた。正真正銘の独り言だ。答えるものはいない。それを言って聞かせる人間もいない。


 男は、一人になった。




『機内の酸素が残りわずかになりました。操縦者は、直ちに地上に着陸するか、酸素の供給をお願いします』

 けたたましいサイレンと共に、無機質な機械音声が流れる。

 そして、最後に付け足した。


『残り3分です』


 男は、ただ見届けたかったのだ。

 地球の最後を。

 急繕いにしては、よくもってくれたな。男は、笑った。


 地球が消えても、やはりあの球体は、ただの球体だった。


 ——俺が、バカだったよ。


 サイレンはいつまでもいつまでも鳴り響いていた。


(了)




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傍観 津田梨乃 @tsutakakukaku

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