第五話

 しばらく悩んでから、リリィはジェームズからスズキを一匹買った。正直、品物を見ないでお金を払うのは心配だったが、デイビッドがジェームズなら問題ないと言う。

 魚は馬車の馬留めの番号を伝えれば船から馬車まで運んでおいてくれるらしい。スズキとニシンを仕入れたデイビッドに連れられ、今度は貝類のコーナーへ。

「デイビッドさん」

 忙しく走り回る仲買人や市場の作業員とぶつからないように気をつけながら、リリィは先を歩くデイビッドの大きな背中に声をかけた。

「さっきの、漁もする仲買人ってどういう意味なんですか?」

 不思議に思ってデイビットに尋ねる。

「ああ、ジェームズのことか」

 歩きながらデイビッドは振り返った。

「あいつのうちはどうやら金持ちらしくてね、船を持っているんだよ。普通、仲買人っていうのは漁師から魚を卸してもらってそれを市場で売るだろう? ところがあいつの場合、その漁師も自前なんだ」

「そうなんですか?」

「ああ」

 デイビッドは頷いた。

「自給自足って言ったら変だけど、ジェームズのところは海から魚屋の直前まで一手に引き受けてるんだよ」

 だから漁もする仲買人なんだ。

「お坊ちゃんだから海には出なくていいはずなんだが、ジェームズは海にも出ているようだよ。まあ、実際の漁は使用人がやるんだろうけどさ」

 デイビッドは肩を竦めた。

「金持ちの道楽と言えばそれまでなんだけどね、ジェームズの場合はどうやら本気で魚に賭けているみたいだ。魚で一財産作ろうとでもいうのかねえ」


 デイビッドは貝類の入った木箱が並んでいる一角にリリィを案内すると、自分はしゃがみこんで熱心に貝を吟味し始めた。

「……貝はさ、目利きが難しいんだ」

 背中を向けたまま、呟くようにデイビッドがリリィに話しかける。

「死んだ貝を売っている仲買は論外だ。でもな、あいつらもこすいから、たまに箱の下の方の貝は弱ってて上だけ活きがいいってこともある……あるいは活きが良くても身が痩せてたりね」

 デイビッドが矯めつ眇めつ箱の中のムール貝を吟味している。

「……しかも箱の中に手を突っ込むわけにも行かないからな。ギャンブルなんだよ、仕入れってのは」


 数軒の仲買人を見てようやく納得する鮮度の貝を見つけると、デイビッドはそこでムール貝を二箱、さらに別の仲買人からオイスターを三箱仕入れた。それぞれの仲買人に馬車を止めた馬留めの番号を伝え、馬車に貝を運んでもらうようにお願いする。

 いくらムール貝やオイスターが美味しいとはいえ、流石に箱一個は多すぎる。

 リリィは貝類はデイビッドのお店からあとで買うことにすると周囲を見回した。

(人が減ってきた……もうみんな仕入れが終わったんだ)

 見れば、減った仲買人や魚屋の代わりに貴族の家にいそうな白いコックコートを着た料理人シェフが増えてきていた。どうやら彼らも新鮮な魚介類が欲しいらしい。

(大きなお家のシェフって大変)

 忙しげなシェフたちを見ながら、リリィが彼らの行方を目で追いながら感心する。


 その後もデイビッドは市場の中を回りながらリリィに色々と教えてくれた。

 活きのいい魚は身がピンとしている。だが、最近は冷凍で誤魔化していることもあるとか、カレイの鮮度は背中の模様がはっきりしてるかどうかでわかるとか、顔が赤い青魚は鮮度が低いとか……。

 最後にデイビッドは魚売り場に戻ると、イワシを二箱、それにうなぎの煮こごりを少し仕入れた。

「まあ、こんなものかな。タイがなかったのがちょっと残念だが……リリィちゃん楽しかったかい?」

「はい!」

 リリィは頷いた。

「とても楽しかったです」

「では、帰るかい?」

「いえ、ちょっと……」

 リリィは少し迷ってからデイビッドに言った。

「わたしはジェームズさんの所の船を見せてもらおうかと思って」

「ああ、さっきそんな事を言っていたね。しかし、俺はそれに付き合うのは無理だなあ」

 デイビッドは急いで帰って店の準備をしなければいけないと言う。

「じゃあどうする? もう少ししたら汽車が走り出すから汽車で帰るかね?」

「わたしはそうしようと思います」

「わかった。気をつけてな」

 それでもデイビッドはジェームズのところまでリリィを連れて行ってくれた。

「ジェイムズ」

 デイビッドは店仕舞いをしている背中からジェイムズに声をかけた。

「やあ、デイビッドさん、もう今日は品切れだよ」

「いや、そうじゃない」

 とデイビッドはリリィの背中を押し出した。

「ジェイムズ、リリィちゃんに船見せるってさっき言っただろう? リリィちゃんが見たいってさ」

 デイビッドが髭面の顔でニヤリと笑う。

「一応念のために教えておくが、リリィちゃんは魔法院のハウスメイドだ。くれぐれも粗相がないようにだけは頼むぜ?」

…………


 ダベンポートが書いてくれた、魔法院の封蝋付きの特免状は今日も大切にハンドバッグの中にしまってあった。これがあればいつでも汽車に乗ることができる。

 買い求めたスズキはあとでオイスターと一緒にデイビッドが家に届けてくれると言う。届けてもらうのは申し訳ないので帰り道に立ち寄ると言い添えると、お買い物のバスケットをデイビッドに預けてリリィはジェイムズのそばに行った。

「さて、これで終わりだ」

 デイビッドが集めた木札を小脇に抱えてリリィに言う。

「リリィさん、だっけ? 君は魔法院に住んでいるの?」

「はい、そうです」

 リリィは頷いた。

「ダベンポート様のおうちでハウスメイドをしています」

「ダベンポート……」

 驚いたようにジェイムズの片眉が上がる。

「ダベンポートって、魔法院の魔法捜査官のダベンポートさんかい?」

 旦那様って有名だったんだ。

「はい、そうです」

 なんとなく誇らしい気持ちになって胸を張る。

「へえ、ダベンポートさんも隅に置けないなあ」

 ジェイムズは鼻を鳴らした。

「リリィさん、こっちだよ。僕の船は波止場に泊めてある」

 木札を小脇に抱えたジェイムズはリリィの先に立つと波止場の方へと続く大きな両開きのドアへと進んでいった。


 ジェイムズの船は船体を飾る赤いストライプが可愛い、丸まっこい形の小さな船だった。

 多分十人は乗れないだろう。網を巻き上げるためのウインチが漁船らしかったが、それがなければ港を走り回るタグボートのようだ。

 ジェイムズはさっさと船と波止場の間にかけた板を渡るとリリィに言った。

「中を見てみたいだろう? 水槽もあるよ」

 ジェイムズが船の上から手を差し伸べる。リリィはその手を取ると、急いで船の上に移動した。

「この船はね、元々はセントラルの港で大きな船を押すタグボートだったんだ」

 ジェイムズがリリィの先に立って舷側を歩きながら説明してくれる。

「ところが退役するっていうんでね、船の形が好きだった叔父が出資してくれてこの船を買ったんだ。マリー・アントワネット号っていうんだよ、じゃじゃ馬だったからね」

「じゃじゃ馬?」

「うん、じゃじゃ馬。化け物って言ってもいいかな」

 ジェームズはなぜか嬉しそうに言った。

「こんなに小さな船なのに、馬力は二千馬力を超えてたんだ。シュナイダーに付け替えたから後ろにも下がれるし。こんないい船はないよ」

「そうなんですか」

 そう言われてもリリィにはよく判らない。

「こちらへどうぞ」

 ジェームズは船内に入る小さな扉を恭しく開けた。

「狭いから頭をぶつけないように……。中に入ると階段があるからそこを降りると水槽があるよ」


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