第六話

 ジェームズの船、『マリー・アントワネット号』は乗員四人の小さな船だった。

 船長が一人、機関長が一人、漁師が二人。そのほかにジェームズが乗客として乗る。

「元々はね、船全体がエンジンみたいなすごい船だったんだよ……あ、足元気をつけて」

 ジェームズが先に立って狭い階段を降りながらリリィに説明してくれる。

「だからこの船を買い取って、最初にやったのはエンジンの交換なんだ。いや、それは大変だったよ」

 ジェームズの身振りは大げさだ。しかし、不思議とわざとらしさは感じさせない。

「エンジンの大きさを半分にして、燃料も石炭から石油に変えたんだ。でね、空いた隙間に水槽とウインチを入れて漁船にしたんだよ」

「でも水槽ってお魚はすぐに死んじゃわないんですか?」

 リリィはスカートの裾を少し気にしながらジェームズに訊ねた。

「ああ」

 ジェームズが誇らしげに胸を張る。

「水槽には特に力を入れたからね、その点は大丈夫。この船の水槽は水族館アクアリウム並さ」

「へえ」

 船の中はエンジン音で騒がしく、なんだか石油臭かった。元は白かったであろう内装も油でくすみ、隅の方は茶色くなっている。

「これでも綺麗にしている方なんだけどね」

 リリィの視線に気が付いたのか、ジェームズが帽子を取って後ろ頭を掻く。

 どうやら、船の中には泊まるスペースはおろか座るスペースもなさそうだった。狭い船内は機関室と様々な漁具で占められている。

「あの、水槽って……」

 なんとも言えない居心地の悪さを感じて、リリィはジェームズに訊ねた。

 これは、男の人の船だ。それも、とびっきり。

「ああ、水槽かい?」

 なぜかジェームズは笑った。人懐っこい、柔らかな笑顔。

「水槽ならもう見てるよ」

「?」

 不思議に思って周囲を見回す。

 ふと、リリィは船の中の様子が少し変わっていることに気づいた。

 船の内側の壁に丸い舷窓のような丸い窓が並んでいる。

 窓を覗けるように、壁には細い通路キャットウォークが張り出していた。

 ジェームズに支えてもらいながら階段からその通路に乗り移る。

「ああ、電気をつけないとね。これじゃあ中が見えない」

 そう言うと、ジェームズは傍の大きなスイッチを操作した。


 バンッ


 小さな音と立てて、丸い窓の中が明るくなる。

「この船の発電機は大きいからね。電灯をつけたんだ。リリィさん、中を覗いてごらん?」

「はい」

 促されてこわごわ中を覗く。

 しかし、すぐにリリィは興奮すると窓に張り付いた。

「ふわぁ!」

 思わず声が漏れる。

 明るく照らされた明るい窓の中は、小さな海のパノラマだった。

 船が揺れるにつれ海藻がたなびき、小魚やエビが煌めく。きっと魚が怪我をしないようにという配慮だろう、水槽の角がバスタブのように丸められている。

 リリィは窓から上を見上げてみた。

 水面が鏡のように光っている。揺れる水面越しに電灯がキラキラと輝く。

「凄い……」

 リリィは思わず息を飲んだ。

「魚が入っているときは中に網を落としてあるんだけど、魚は全部売ってしまったから今は網も巻き上げてある。でも網がないほうが綺麗でしょう?」

 腰に手をやったジェームズは得意げだ。

「はい……」

「こんな水槽はセントラルのアクアリウムにもないと思うよ」

「本当に」

 水槽の方を振り返ると、リリィは再び丸い窓の中を覗き込んだ。

 お魚が中にいたらもっと良かったのに。

「外洋でね、魚を獲ったらこの水槽に入れて持って帰ってくるんだ。でも、それだけだと魚が死んじゃうんでね、試行錯誤した上で少々魔法の力も借りている」

 ジェームズはリリィの隣から水槽の中の魔法陣を示してみせた。

「あれでね、この水槽の中の魚は元気に外洋からやってくるんだよ。中のエビや小魚は魚の餌。普通は捕まった魚は餌を食べないもんなんだけど、この水槽だったら食べてくれるんだ」

…………


「……ということがあったんです」

 まだ興奮していたリリィは朝の出来事を一気にダベンポートに聞かせていた。

 今日の夕食はスズキのステーキ、ケッパーソース添えと牡蠣のスープオイスターチャウダー。帰りにお買い物のバスケットを受け取るときにデービッドが持たせてくれたのムール貝はガーリックバターでソテーにした。

「へえ、凄い船だね。なんて言ったっけ?」

「『マリー・アントワネット号』です」

 リリィはパンをちぎりながらダベンポートに答えた。

「いやいや、持ち主の方だよ。それだけ凄い船を持っているんだったら普通の人じゃあないだろう」

「確か、ジェームズ……」

 顎に指をやりちょっと考える。

「ジェームズ・ミスティルさんと仰ったと思います。ただ、お家のことは内緒みたいであまり話したがりませんでした」

「ふむ、ミスティル、ミスティル……」

 スズキのステーキを付け合わせのマッシュドポテトと一緒に口に運びながら考える。

 やがて合点がいったのかダベンポートは

「ああ、ミスティル伯爵アール・ミスティルのところのお坊ちゃんか。今二十歳くらいじゃなかったかい?」

 にっこりするとリリィにそう訊ねた。

「はい、わたしと同じくらいだと思います。でも貴族の方だったんですね。とてもそうは思えませんでした」

 確かデイビッドさんはジェームズさんを呼び捨てにしていた。ということは貴族だということは内緒なんだ。

「へえ、あの坊やがねえ」

 ダベンポートは感慨深げだ。

「ミスティル伯爵は魔法に強い興味をお持ちでね、よく魔法院にいらっしゃっていたんだ。寄付もたくさんしてくれていたらしい。その頃僕はまだ学校で勉強をしていたんだが、よく坊やの相手をさせられたよ」

「そうなんですか」

「戦前の話だよ。そのあと戦争になってミスティル伯爵も大変だったらしいんだが、ご子息がご壮健で在られるのであればそれは素晴らしい」

「でも少し心配なんです」

 リリィは少し俯き気味にダベンポートを見つめた。

「ん?」

「ジェームズさんは少し『魔法の力』を借りたと仰っていました」

「ふむ」

 食事をする手を休め、ダベンポートがリリィの話に聞き入る。

「でも、魔法ってそんなに使ってもいいものなのでしょうか?」

「確かにね」

 ダベンポートは頷いた。

「危険性はマナソースをどこに取るかもよるんだが……。だが、ジェームズ坊やならともかく他の船員たちが魔法を使えるとはとても思えん。言われてみれば不思議だな」

 ダベンポートが両腕を組んで考える。

「基本的に魔法は高等教育だ。だから学ぶ機会があるものは限られる……かと言ってジェームズ坊やが危険を犯す事をあのミスティル伯爵が許すとはとても思えない。これはちょっと、魔法院の名前で調べてみるかね」

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