僕は冬の夜に夢を見る。

湊歌淚夜

第1話

冬空に星が瞬いた。

ふと見上げて、静かにため息を吐く。

今年の冬は一段と冷え込み、妙に重苦しい。

鍋でもして温まろう、そう考えながら家路に着いた。太陽の沈み出した空に恋焦がれそうになるのはなんでだろうか。夕暮れ空に重ねたあの人の影がちらついてしまうからだろう。一度目を閉じると、深呼吸をした。

マンションのドアノブの冷たさに軽く身震いして、ドアを開く。

「ただいま〜」

と虚しく言葉は暗い部屋に溶けていく。そう思っていたけれど僕は息を呑んだ。


「お帰り〜」

聞こえるはずのなかった声。その柔らかな声色を聞いて、急激に胸はざわつき出す。夢でも見ているのかと自分の頬をつねったけど、鋭い痛みから現実だとはっきり把握した。

「はぁ?ウワッ?!なんでお前いんの?!」

もう忘れていたはずだった。胸に湧く苦いものに心は浸されて、気分は落ち込んでいく。


あの記事のことは鮮明に覚えている。

3月の暖かくなり始める時期のことだった。

旅行に行った彼女がその日には帰ってこないという事態に胸は酷く凍りついたのを覚えている。しかし現実はもっと酷なものに感じられた。彼女のいない空虚な時間と、内側で彼女との思い出はバラバラになって心の柔らかいところにどんどん突き刺さり、胸を抉る。


「え? なんでいるのって」

「だってお前……」

死んだじゃないか、その言葉はあまりに不躾だと思い口を噤んだ。仮にも現実なら彼女にこのことを告げるのは妙になことになりそうだと思えた。

彼女は何事もないように、笑顔を浮かべながらこちらを急かしてくる。その声と様子に何も忘れていられた。

「いいから いいから」

「夢、じゃないよね……?」

だけど、不安になってきた。彼女がいないという現実から逃れたい妄想がそうさせてるのではないかと。疑心暗鬼に表情を暗くすると彼女は心配そうに頭を撫でながらに言った。「何寝ぼけてるの?現実ですよ〜

それよりもさご飯作って待ってたんだ〜

食べてってよ」

現実から置いてけぼりになり、とりあえず彼女の手料理を食べることになった。半ば強制されているが、何せ初めての手料理だから不安要素が強い。彼女が運んできた料理を見た時にある程度不安要素は拭いきれた気がした。肉じゃがだった。綺麗に盛られ、艷めくじゃがいも。一部崩れているところから見るに、よく煮込まれているのだろう。玉ねぎもタレのおかげか飴色に艶めいて、美味しそうだ。

「お、おう……いただきます」

どこか的外れで、鈍臭いと勝手に思い込んでいた自分が妙に恥ずかしい。ただ、彼女の全てを知るのに1年で気が付かなかったのだなと胸に灼けるような痛みを覚えた。美味しいはずの肉じゃがに、なぜだか味わいを感じなくなりかけた。

「美味しい?」不安と期待の入り混じる彼女の声を聞いて、我に返り、口の中で踊っていた表現が自分の中で再燃する。ひしひしと湧く感謝と後悔が視界を滲ませた。こんな日々がずっとここにあればいいのに。そう考えながら、言葉を紡ぐ。

「うん 美味い。まさか、お前の手作り料理

食べれるとは思わなかった」

「えへへ 美味しいって言ってくれて嬉しい」

彼女の笑顔を久しぶりに見た。あの日から灰色の日々だったのに、こんな恵まれ方をするとは思いもしなくて、目の前が微かに潤んだ。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

それだけ告げたけど、まだ何か足りていないような気がした。言葉の難しさを飲み込んで、皿を1箇所に集めた。


寝転がっていても心で沸いた思いは吹きこぼれてしまいそうだ。どうしても抑えられない気持ちは気がつけば彼女へ抱きついた。褪せていた体温も距離も匂いも、全てが蘇って許容範囲を越えてしまう。

「わおッ……どうしたの」

「どうしてきたんだよ」

何故かそんな現実的な言葉がこぼれた。脳裏は真っ白でその言葉は自分の言葉かさえ不透明な色彩を帯びる。彼女は何かを悟った遠い目をしていた。死んだと言うよりかは、魂の抜けた宝石のように見える。だけど、今こうやって抱きしめていれば暖かい。彼女は生きているのだ。

「心配になって、いてもたってもいられなくて来ちゃった」

彼女の声は至って平然と呟く。悟ったかのように生気の感じられない、機械のような声だった。

「離したくねぇ 何処にも行くなよ・・・・・・」

だけど、彼女がいる現実はここにある。彼女は少し瞳の奥の火を微かに揺らした。頬を静かに垂れる汗がきらりと光る。

「うん ずっとそばにいる」

確信を秘めたる眼光に、確かなものを感じた。彼女の言葉は本物に違いない。

「ほんと?」

「うん」

愛おしい。その言葉が脳裏を塗りつぶした。

例えこれが幻でも構わない。

キスをした。この柔らかさをどこか忘れてしまっていた気がしたけど、多分この先だって消え去ることになる。

でも今だけは憶えておきたい。

たとえ、夢だとしても。二人の時間は自分の胸に光る苦い宝石の中に閉じ込めよう。

「好き、大好き。だからずっとこのまま・・・・・・」

溢れた欠片は光りながら言葉に変わって溶ける。思いは歯止めの利かないまま、またひとつ、またひとつ。こぼれる涙は止まらない。

「なにして・・・・・・んッ」

彼女は静かにキスをして、僕の目元を塞ぐ。

意識が溶けた絵の具のようにぼんやりとしていくのを感じ、抗いたいと必死にもがこうとした。

「さぁ 目をつぶって。いい子は寝る時間だよ

大丈夫、ずっとそばにいるから」

彼女の声もふんわりとしてきた。輪郭は溶けだし、どこか聖母のような優しさを思い出す。

「やだ・・・・・・まだ・・・・・・

眠く・・・・・・ない・・・・・・よ・・・・・・?」

抵抗の声もひ弱になり、彼女も存在があやふやに感じた。世界が溶ける寸前、彼女の声を聞いた。

「おやすみ・・・・・・そしてありがとう。私の我儘に付き合わせちゃって」

夜の空に星は溶けゆく。

月は佇んだまま、空の平穏を空虚に眺めていた。

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僕は冬の夜に夢を見る。 湊歌淚夜 @2ioHx

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