アカシックレコードの向こうで

夏祈

アカシックレコードの向こうで

 世界は終わる。アカシックレコードに刻まれた、変えようも無い未来の出来事として。それは今日、あと数分後の話。

「……なぁ、もうすぐ死ぬのにこんな男二人でゲームしてて虚しくないわけ?」

「なんだよ、早瀬は俺といるの嫌なの」

「──そういうわけじゃないけど」

そう話しながらも、互いにコントローラーを操作する手は止めない。某有名会社が出した格ゲーをガチャガチャ二人でやりながら。だってこれは、人生最後、地球最後の決着なのだ。そう簡単に負けてやるわけにいかない。

 暗くなり始めた街に、パンザマストが響く。細く開けた窓からその音は室内に流れ込む。もう誰も聞きなどしないだろうその音楽に、一体何の意味があるのだろう。喉がカラカラに乾いていたけれど、迂闊に手を離すことも許されない。画面から目を離すことだって出来ないから、いま隣のこいつがどんな表情をしているのかもわからない。

 世界は、アカシックレコードを見つけてしまった。そもそもそれは、実在するものでは無いはずなのだ。──無かった、はずなのだ。でもそれは、人類の手に触れられるものとして存在して、そこには終わりの瞬間までも書かれていた。8月3日16時3分。ちらりとテレビの横の時計を見やれば、時刻はとうに16時を指していた。ゲームの残機は共に一機。共に死に近い状態。あと一発ぶち込めば、きっとどちらも死ぬ。

「なぁ早瀬」

 隣のそいつは俺を呼ぶ。このタイミングで。忙しなく動く手と、部屋に響くボタンの音。そこに夕焼け小焼けの音が混ざり合って、鼓膜を指す。酷く吐きそうな気持ちになる。早く、早く終わって欲しい。死にたくはない。でも、長引かせたくも無い。

「死にたくない?」

 本当に、本当に数分後、世界が終わる保証なんてない。今までにも沢山あったじゃないか。世界は何度だって終わろうとしていたじゃないか。もしかして今回も、その類なんじゃないか。

「──……死にたくはないよ」

 時は酷にも一分進む。彼のキャラに俺のキャラが倒されそうになって、必死に避けて。でも、それも限界なことはわかっていた。彼は強いのだ。ここまで追い詰めることが出来たのだって、奇跡のようなものなのだ。最後だから、最期だから。

「そっかぁ」

 彼の柔らかい言葉とは裏腹に、飛ぶ鋭い攻撃。

「でもね、ごめん。死ぬんだ」

 攻撃が、当たって、俺のキャラは呆気なく吹っ飛ぶ。あぁ、軽かった。

 ガシャン、と音を響かせながら、コントローラーを持つ手を床に打ち付けた。これが人生最後の戦いだった。いい試合だった。これに関しての悔いはない。彼の方を向けば、俺を見ながら柔く微笑む表情をしている。

「俺の力じゃさ、地球全部、滅亡から救うことが出来ないんだよ」

 痛ましそうに、顔を歪めながら、彼はそう零す。今にも涙が零れ落ちそうな大きな両目を閉じながら、彼は俺の手を掴んだ。外の喧噪が漏れ込む部屋の中のはずなのに、時計の分針が時を進める音が明瞭に耳に落ちる。

「全部終わって、何もかも無くなった後、迎えに行くね」

「──待って、待って……え、どういうことなんだよ、なぁ」

 彼はそれに答えずに、振り向いて、窓の外を見やる。ガラス越しの空は、それは見事なほどの夕焼けに染まっていた。──まだ、夏の太陽が沈む時間じゃない。赤い、紅い光が、段々近づいて、強くなって、それは美しいの感情から一転恐怖に変わる。終わりなのだと、告げられている。ふと向けた視線の先では、強い光を浴びて逆光の中、彼の身体の輪郭は淡く白く輝き、その背中から澄んだ一対の大きな翼が伸びている。死ぬのは怖かった。あの光に呑まれて、存在も何もかも消えていくのは。それでも、一人きりじゃないのなら。

「……なぁ」

俺の言葉に、彼が振り向く。そういえば、こいつの名前はなんだっただろうか。また出会えるなら、その時にでも教えてもらおう。

「次は、俺が勝つからさ」

 それに、彼は微笑む。彼の色素の薄い瞳に張っていた透明な膜が、形を得て頬を零れていく。視界は段々と白く染まって、座っていることすら困難になる。

「またあとで」

 どちらともなく口にした言葉は、アカシックレコードの向こう側への切符。

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アカシックレコードの向こうで 夏祈 @ntk10mh86

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