凝縮3分クッキング

@r_417

凝縮3分クッキング

***


 上京している兄・一輝(かずき)の帰省が久々に決まり、家族総出でホームパーティーの準備をする時間はハッピーだった。そして、母のおいしそうな手料理を目にした時も同じくハッピーだった。つまりは悲劇が生じたのはメインのスープを口にした瞬間だったわけだ。


「……えーっと、何でこんなことになったのかな?」


 ショックを受けている作り手である母を含め、皆が言葉を失っている中、家長である父がそっと一言物申す。

 未だ嘗て味わったことのない未知なる領域に踏み入れた文字通り家族にも大きな打撃を与えたスープは我が家の名物・定番料理だったりする。つまり裏を返せば、今まで数え切れないほど母が作り続けている馴染みのメニューでもあった。

 今まで食べたことがない未知なるメニューに挑戦し、失敗したとしても、父は頭ごなしに怒るタイプではなかった。とはいえ、さすがに何十回、ひょっとすると何百回と作り続けていたスープが驚きの不味さになっていれば、病気の可能性も含めて、流石に見逃せなかったのかもしれない。

 ちなみに母の料理の腕前を悪いと思ったことは一度もない。さすがにプロの料理人と比較することこそ憚られるが、私や妹が束になっても太刀打ちできないくらいには上手いと思っている。だからこそ、悶絶するほど不味いスープを母が作ること自体が既に大事件になってしまっているのだ。


 自分自身の行動が理解できず、本気で戸惑う母。そして、母の健康を心配する父。自分のいない間に何が生じていたのか困惑しきりの兄。そして、ただただ呆然としてしまってる使えない私……。何とも言えない静寂が家族を包み込む中、妹・三奈(みな)が恐る恐る語り始め、事態がようやく明るみになってる。


「じ、実は……。お兄ちゃんが到着する3分前に鍋の様子を見るように、お母さんに頼まれてて……」

「あぁ、そういえば。三奈に頼んでいたわね」


 三奈の言葉にナチュラルに相槌を打つ母の様子から、本当のことなのだろう。尤も、三奈は保身のために嘘を吐くような子ではない。それは姉である私が一番理解しているつもりでもある。そんなことを思いつつ、三奈の言葉に耳を傾ける。


「その時におたまを取ろうとして、調味料ケースの取っ手に引っ掛けてしまって……。中身を鍋にぶちまけてしまったんだけど……」


 確かに三奈が言う通り、おたまが仕舞ってある位置とコンロの鍋の動線上に調味料ケースが置かれている。まだ背が低い三奈にとって、おたまが仕舞ってある場所は手が届く場所とはいえ、常にギリギリの体制になっていたことを不意に思い出す。


「みんなお兄ちゃん帰ってくるのにワクワクしてて、水を差すことなんて言えなくて……。それで自力でなんとかしようと思ったんだけど……」


 そこまで言って、三奈は大粒の涙をボロボロとこぼして消え入るような謝罪の言葉を何度も述べる。三奈から発せられる『ごめんなさい』というフレーズがリビングに痛々しく響き渡る。


「で、でもっ! 三奈、こんなに料理が下手ではなかったよね?」

「うん、そうだよね。今まで三奈が作ってくれた料理が不味いと思ったこと、お母さんもないよ。お父さんも美味しいって、言ってたし……」

「あぁ、三奈の料理は美味しかったぞ」


 兄を除く家族三人が口々にフォローする中、三奈が衝撃の発言をする。


「うん、いつもはお母さんに習った美味しくするためのポイントを守って、味の深みを出すために色んな具材をふんだんに使ってたからこそ、美味しかったと思うんだけど……」

「え、じゃあ。三奈、まさか……」


 ピンときた様子の私を見た三奈は小さく首を縦に頷いた後、淡々と語る。


「鍋にぶちまけた塩の量が味付けには明らかに多すぎる量だったから、他の調味料を入れて深みを出せば帳消しになるかなと」

「いや、有り得ない。有り得ないから」


 三奈をフォローするつもり満々だったはずなのに、気付けば辛辣な言葉が飛び出していた。だけど、三奈はその言葉に傷付くことなく、冷静に分析を重ねている。


「うん、冷静になれば分かるんだけどね。そんなの有り得ないって。だけど、せっかくお家に帰って来たのに、お母さんのスープがないとお兄ちゃんもガッカリする……。そう考えたら、何とか3分で直したいと意固地になっちゃって……更にお兄ちゃんをガッカリさせる結果になってしまって、本当にごめんなさい」


 ちなみに家族の中で一番ダメージを受けていたのは、ガッツリと一口目から頬張っていた兄だった。一口目から頬張るほどに、久しぶりの食す母のスープに胸を躍らせていたのは間違いない。とはいえ……。


「分かった、三奈の気持ちはよーく分かったから。だから、泣くな。な?」

「お兄ちゃんっ……」

「それに、帰ってすぐに食事がなくて怒ったりなんかもしないから。次に同じことがあったら、慌てずにみんなで一緒に味を調整しような!」

「うん、うんっ! ……ありがとう!」


 若干、まだむせ返りながら兄は三奈の頭を優しく撫で続ける姿をうるうるとしたまなざしで見つめている両親の横で、三奈のテンパり回避を見事にアシストする助言を行う兄の手腕に私は惚れ惚れしていた。とはいえ、やはりこのまま闇に葬るには惜しい……。


「ところで、三奈」

「なあに、お姉ちゃん?」

「結局、三奈は何の調味料を使ったの?」

「え?」

「いや、これ……。作ろうと思って、作れる味じゃないと思って。参考のために……」


 そう言って、尋ねる私に三奈はしれっと答える。


「いや、実はぶっちゃけ分からない」

「へ?」

「とにかく、3分間。台所にあるあらゆる液体を投入し続けたから」

「…………」


 あらゆる液体を投入し続けたとか、怖すぎるんだけど……。

 私の顔を引き攣らせていることに気付いた三奈は、実に爽やかな笑顔で言い放つ。


「あ、安心して! 流石に洗剤を入れるほど、血迷うことはなかったから!」

「……」

「ちゃんと、食べ物だけ! だけど、手当たり次第に鍋に突っ込んだから、覚えていないんだよ」

「…………」


 たたが3分、されど3分。本気を出せば、何でも出来る。

 何を鍋に投入したのか、把握することさえ出来ないほどの種類を両手に掴むことさえも。そして、未だ嘗て味わったことのない未知なる領域に踏み込む味を作り上げることさえも。


 そうなのだ。

 料理人にとって、最後の3分間には全てが掛かっている。

 だからこそ、その3分間に奥深さや偉大さを感じずにはいられないのだろう。


【Fin.】

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